札幌劇場ジャーナル

【新春エッセイ】おお、友よ、このようなカツカレーではなく!

編集長コラム

「あんた、カツカレーかい?」 

小学校の2年生か3年生の頃のお正月。家族で外食することになり、正月だし普段と違うもの食べようと、父が運転するクルマのなかでわくわくしていた多田少年。レストランに到着しテーブル席に通され、メニューが手元に来るのを心待ちにしていたそのとき、母が「あんた、カツカレーかい?」。そう言ったのだ。虚を突かれた多田少年は、「う。うんん、、。」と返事をしてしまい、そのまま運ばれてくるままにカツカレーを食した。今にして思えば、大好物(だと思い込んでいた)のカツカレーを食べさせてやりたいという親心だったのかもしれない。だが、そのときの多田少年には、まるで給食のようにムダなく配膳されることで儀式をスムーズに済まそうとするシステムの暴力のように感じられた(大げさ)。なぜ、カツカレーなのか。幼い僕に深い印象を残した。

さて、なぜ、たかだか好きなメニューを注文できなかった出来事がこんなに暴力的な印象とともに心に刻まれているのか。それには、もう少し理由がある。そのレストランには、清潔な書籍が並んでおり、そこでお小遣いで買う本の品定めをするのが習慣だった。そのカツカレーを食べ(ることになっ)た日、多田少年は、一冊の本を手に取った。森村誠一の『悪魔の飽食』である。少年は当時も今も、森村のようなベストセラーを連発するエンタメ作家の本は読まない。だが、なぜか、その日にかぎってはタイトルが気になったのだ。なにせ、「飽食」である。「またカツカレーか」、そんな心の叫びがその書物を手に取らせたに違いない。

ページを捲ってみると、森村には似つかわしくない凄惨なノンフィクション。太平洋戦争下で日本兵が満州で行った残忍な人体実験の報告であった。カツが揚げられる油の匂いを嗅ぎながら生体解剖の生々しい記述を読み進めた。悪趣味で不謹慎だが、気にならなかった。森村の記述には、それほど鬼気迫るものがあったのだろう。

記述の凄惨さより少年の心を揺さぶったのは、日本兵たちが、解剖される現地住人のことを「丸太」と呼んでいたことだ。丸田一号、丸田二号。一人一人に家族があり物語があるであろう現地の人たちを丸太呼ばわり。人数ですらなく、本数で数えていたことに、なにより震撼した。そこで少年の筆者が出会ったのは、人間から固有な「名前」を奪い、均質な素材として計算可能にする、抽象化と数値化の暴力であった。そう、まるでカツカレーが食べたいと決めつけていたあの日の母のように(んなわけない)。近代は、世界を抽象化し数値化する。それはあらゆる近代的な知の源泉でもある。世界を統べる意志と力。その力は同時に人間から固有の名前を奪いもする。近代の知は人間をかぎりなく残忍にもするのだ。

抽象化と数値化の暴力。これは昨年ずいぶん叫ばれた。「今日の感染者数は」という報道とともに。だが、その暴力性は明らかであっても、その暴力に抵抗するのは簡単ではない。なぜならその暴力は知の源泉でもあるからだ。それは自然科学にかぎらない。個人から「名前」を奪い、量化することができなければ、国家も資本主義社会も運営できない。基盤となる各種統計に個人の人生を反映させてはならないし、資本もマンパワーから名前を奪うことによって成り立つ。いや、「近代的な国民国家や資本主義こそが諸悪の根源なのだ!人間から名前を奪うあらゆる営みを許すべきではない!」、こう叫ぶのは簡単だ。だが、国民国家も資本主義もなしにどのような社会を構想できるかといえば、結局は対案はない。

近代以降の人間は、国民国家と資本主義という暴力装置なしには、人間たりえない。しかし、その装置は同時に人間を非人間化する。人間を人間たらしめる装置が同時に人間から人間性を奪う。人間を可能にする条件は、同時に、人間を人間から最も遠い反対物に変質させてしまう。

ところで、ロシア中部に「ペルミ36」という旧ソビエト時代の収容所跡地がある。スターリン時代に建造され冷戦終結の直前まで機能していたそうだ。今は博物館となっており、収容所で銃殺された処刑者のリストが公開されている。表紙にはスターリンが赤鉛筆で書きなぐるようにペンを走らせた生々しい筆跡がある。数万人の名前が刻まれた巨大な壁を目にすると、筆者は森村の『悪魔の飽食』を思い出す。リストは、一見すると「名前」に満ちている。だが、そのリストは、人生を奪うために、すなわち「名前」を奪うために制作されたものなのだ。リストは、『悪魔の飽食』の「丸太」のように、固有名を剥奪するために作られた。ところが、今では、遺族たちが、犠牲者の人生を取り戻すためにそのリストを閲覧している。名前を奪う銃殺と、名前を記憶するための記念碑。これは、同じ営みによって可能にされた同一の事態の二つの側面だ。

ここで起きていることは、システム化、数値化の暴力と同じである。一方で名前を奪い、他方で名前を回復させる。私たちは、その2つの力を区別することができない。私たちは、死んだものの名前をリストなしに記憶することができない。あらゆる種類の慰霊碑はこれと同じ構造を孕んでいる。だから、訪れるものは複雑な心境に襲われる。記憶のために建てられた記念碑は、建てられたことでひとを満足させ、名前(人生)を忘却させる装置にもなる。プラトンが『パイドロス』で記した文字のパラドクス、デリダが述べた記憶と記録のパラドクスだ。このパラドクスは、記念碑を公権力が設置したとき、その「ねじれ」の感覚を最も強める。公権力が設置した記念碑は、記憶するためではなく、満足させ、忘却させるためにここに建っているという感興を呼び覚ます。実際にそのように機能してしまう。この感覚は、記念碑だけではない。劇場にも当てはまる。過去に生きられた作品をそこで上演するために設置されるはずが、作品の生きたメッセージが捨象され、上演実績と組織の体裁のために量化される。質と量の存在論的な転倒が起きる。ただ、その転倒が生起する場所は、同時に、作品を享受する場所でもある。両者はやはり区別できない。享受しつつ剥奪し、剥奪しつつ享受する。この引き裂かれた思考の生きた運動のみが、剥奪に抗う。抗いつつ享受する。たんなる享受は存在しえないし、逆もまた然り。 

札幌の劇場文化は、人々から名前を剥奪し、人間性を抽象化・数値化する転倒の一面化をひた走っているように見受けられる。3年前に立派なハコを作った。だが、早すぎたのかもしれない。いや、気づくのが遅すぎたのかもしれない。大勢に背を向けられているのも無理はない。この流れに抗うことができるのは、一人一人が、抗いつつ享受し、享受しつつ抗う言葉を紡ぐことでしかない。正月のあの日、カツカレーではなく、刺身定食が食べたかったという記憶とともに新年のご挨拶に代えて。

多田圭介

 

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