札幌劇場ジャーナル

<全3回シリーズ>【 特大増補改訂版 】ブルックナーディスク選③ 声楽曲・室内楽曲・器楽曲・編曲もの編

STJセレクト

紙の第10号の企画「ブルックナーディスク選」の評判がよかったので、執筆者と曲目を大幅に増やして特大増補改訂版をお届けすることになりました。ブルックナーを心から愛する5人のゲスト執筆者を迎えて(+私)、存分に語ってもらいました。ブルックナーイヤーを締めくくる企画です。年末にごゆっくりお楽しみください。(編集:多田)

交響曲編の前編(交響曲00番~4番)はこちらから

交響曲編の後編(交響曲5番~9番)はこちらから

執筆者6名のプロフィールはこちらから

声楽曲・室内楽曲・器楽曲・編曲もの編 もくじ

《 声楽曲 》テ・デウム

【遠藤選】ケーゲル/ライプツィヒ放送響&同合唱団、PILZ、1979年録音

テ・デウムは、完璧で無駄が無い詩篇150篇と比べると、多様な音楽を無理やり押し込んだ感があり、その豪快さが魅力。冒頭の厳めしさ、慰めるような室内楽的部分、そして終盤の幸福感のあるフーガ、という展開は、苦難を乗り越えられたことを神に感謝するブルックナーの作曲動機を反映しているようだ。このケーゲル盤は、クラリネットを筆頭に木管の音をよく拾っているのも良い。ブルックナーの響きには、木管の音色が極めて重要だと僕は考えている。(遠藤)

【武尾選】レーグナー/ベルリン放送交響楽団&同合唱団、Berlin Classics、1988年録音

音の密度が比類なく高い演奏だ。冒頭の「テ・デウム」音型は引き締まったテンポもあって、空虚五度であることを感じさせず、飛び出すような勢いがあるし、最終曲の交響曲第7番第2楽章と共通する楽想を用いたクレッシェンドは大きな風船が膨らんでゆくような充満感がある。ブルックナーの内側から湧き上がる信仰心を感じることができる。一糸乱れぬ合唱とオーケストラの統制も見事だ。(武尾)

【福島選】ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ劇場管&コレギウム・ヴォカーレ・ヘント、Phi Cl、2012 年録音

コーラスの至純さにおいて随一の演奏。かつて名盤とされたヨッフム、カラヤン盤らの“ 大交響楽” 感からもっとも遠く、人の声を介したブルックナーと神との交信を目の当たりにできる。カップリングのミサ曲第2 番も美しく、キリエ冒頭に魂が天に吸い上げられるよう。交響曲しか知らない人にこそ聴いて欲しい。(福島)

【やまね選】チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル&同合唱団、EMI、1982年録音

演奏時間を比較するとチェリビダッケ盤31分59秒、ヨッフム盤21分52秒、バレンボイム盤22分42秒、レーグナー盤23分21秒、ヘレヴェッヘ盤20分02秒と、やはりチェリビダッケの遅さは突出している。緩急のうちに膨張と収縮を繰り返す音楽なので、全体にテンポが遅いと間延びし平板になってもおかしくないのだが、そうはならないのがしっかりと噛み締められる言葉の重さだろうか。信徒として主の栄光を称え、慈悲を乞うラテン語歌詞をロマンティックに歌い上げず、グレゴリオ聖歌のように淡々と朗誦し収めることで表現の奥行と強度を得ているのは流石だ。例えば3曲目のAterna fac cum sanctis tuis(諸聖人とともに)や5曲目のIn te, Domine, speravi(主よ、われ御身に依り頼みたり)では、通常もっとテンポと空気が変わるが、ここでは全体の巨大な流れの中にある。オケも細部まで繊細に鳴って美しく、これぞチェリビダッケの芸術と思う。(やまね)

【多田選】ヨッフム/ベルリン・フィル&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、DG 、1965年録音

紙の特集でヨッフムを推したが、今回聴き直したとろヨッフムはわずか20数分程度のこの作品としては劇的すぎるようにも感じられてきた。またテ・デウムという作品自体にも、短いのにたくさんの要素が十分に展開されないままに詰め込まれた感があり、ディスクを選ぶのが難しい気がする。曲の問題なのか演奏の問題なのか。ただ、ヨッフム盤の神の威光が圧倒するような強烈なアレグロとオペラのような声楽のアンサンブル、交響曲第7番のアダージョのゼクエンツがこだまする第5曲の威容など、やはり聴きどころは多い(がゆえに寸詰まり感が出る)。デリケートなヘレヴェッヘのほうが尺に合っているかもしれないとも思った。皆さまはどうお感じだろうか。もう少し時間をかけて考えたい。(多田)

《 声楽曲 》ミサ曲第1番

【遠藤選】ヨッフム/バイエルン放送交響楽団&同合唱団、DG、1972年録音

この曲は初期の作品だが、調性も含めて、交響曲第9番への源流の側面があるのが興味深い。アニュス・デイでのミゼレーレ主題が93楽章に引用されているのは有名だが、サンクトゥスで91楽章の第1主題に似た動きも聞かれる。こうした交響曲的なミサ曲を、交響曲で偉大な業績を遺したヨッフムが指揮すると、やはりシンフォニックで壮大な音楽になる。特に上昇音型が雄大だ。鳥が飛翔するような木管の美しさも印象に残る。(遠藤)

【武尾選】ガーディナー/ウィーン・フィル&モンテヴェルディ合唱団、DG、1996年録音

ガーディナーが手兵のモンテヴェルディ合唱団を随意に駆使し、ウィーン・フィルの豊かな響きをも味方につけて綿密に作り込まれた一枚。Kyrieの冒頭から「ため息」音型をしっかりと印象づけて苦悩に満ちた祈りを表現する。Benedictusでの微妙な和声の移ろいの表現も印象的だ。極めて純度の高いモンテヴェルディ合唱団が見事だが、ベルナルタ・フィンクやクリストフ・プレガルディエンの独唱もすがすがしい。(武尾)

【福島選】ヨッフム/バイエルン放送交響楽団&同合唱団、DG、1972年録音

ブルックナーのミサ曲の中では「3番」の演奏機会が多く、「2番」の美しさが語られることも多い。 しかし、本作は後の2作や来るべき交響曲群への課程というには留まらない、きわめて魅惑的な作品である。我がデフォルトは、ヨッフム&バイエルン放送響による古典的名盤。まるでゴシック様式の聖堂を仰ぐような強固な造型と共感に溢れたオーケストラとコーラス。コーラスの至純さを味わいたいときに聴くのは、ガーディナー指揮ウィーン・フィル&モンテヴェルディ合唱団。(福島)

【やまね選】ガーディナー/ウィーン・フィル&モンテヴェルディ合唱団、DG、1996年録音

ミサ曲第1番は録音も演奏機会も少ないが、第2番よりもむしろ第3番に近く、先日刊行された『ブルックナーのしおり』(石原勇太郎著 音楽之友社)によると「作曲家としての道を本格的に歩みはじめたブルックナーが最初に作った管弦楽を伴う大規模な作品」とのことである。このウィーン楽友協会におけるライヴ録音は、ガーディナーらしい古楽的な鋭角さよりも深い息の壮麗な響きが圧倒的で、作品の評価を高める理想的な名演だろう。カップリングされているモテット5曲も見事で、特に「マリヤよ、あなたはことごとく美しい」の息の長い表現は感動的だ。ガーディナーでCDになっているブルックナー録音がこれ一枚だけなのは本当に残念である。(やまね)

【多田選】ガーディナー/ウィーン・フィル&モンテヴェルディ合唱団、DG、1996年録音

他の執筆者の原稿が揃ってみたら、ガーディナー盤を挙げた人が多かったので迷ったのだが、やはりこれしかないのでどうしようもない、ガーディナーです。神学のラテン語文献を研究している立場からするとこのラテン語の発音・発声の美しさを聴いてしまうと他は聴けなくなる。作曲時期が交響曲00番と並行している(初演は00番の翌年1864年)とのことで、習作扱いになることが多い(音楽之友社『名曲解説全集』)からも外れている)が、もったいないほどの名曲である。キリエの上昇音型には交響曲第7番のアダージョが早くもこだましていることに注目させられる(交響曲00番にはない要素)。Gloriaでは、”Deus Pater omnipotens(全能の父である神よ)”へ向けて緊迫しつつ高まりを見せる音楽が、次の”Gratias(感謝)”の一語でふと和らぐ。核心部であるCredoでも同様。神の全能を讃える前半の厳めしい響きが、同時に人でもある(Et incarnates est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est(聖霊によりて処女マリアから御からだをうけ、人となられた))ことが宣言されると、その瞬間に柔和な響きに覆われる。三位一体の音による具現化である。Credoの最後、Amenへ向けて瑞々しく浸透してゆくような祈りの感情も本当に素晴らしい。一度お聴きいただきたい名曲の名演奏。(多田)

《 声楽曲 》ミサ曲第2番

【遠藤選】ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管&コレギウム・ヴォーカレ・ヘント、Naxos、2019年録音

ヘレヴェッヘと言えば、9番の補筆完成4楽章版の演奏が記憶に残る。ただし、細かくカウントする彼の指揮は、大河的な大きさを持つ後期作品には不向きに思う。その点、初期の傑作のひとつであるミサ曲第2番は、ヘレヴェッヘの良さが発揮される曲だ。歌い継がれる短いフレーズたちのそれぞれが、精緻な和声で表現され、ブルックナーの響きの法悦に浸ることができる。古楽器を使用した管楽オーケストラの音色も存在感がある。(遠藤)

【武尾選】ダイクストラ/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団、BR Klassik、2023年録音

8声部の合唱に対して器楽は管楽器のみという編成。いきおい合唱の扱いが重要なポイントになるが、合唱指揮の第一人者ダイクストラはさすがに上手い。合唱パートに込められたニュアンスを細大漏らさずすくい上げている。特にKyrie冒頭の深い呼吸は特筆で、魂を注ぎ出すような切実な祈りが感じられるとともに、そこから最後のAgnus Deiの平安に到る過程の描き方が非常に丁寧だ。合唱と管楽器のバランスもとてもいい。(武尾)

【福島選】クリード / 南西ドイツ放送交響楽団&南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル、SWR Classic、2007年録音

混声合唱と管楽アンサンブルのための至高の作。長年、ヘレヴェッヘ&シャペル・ロワイヤルの旧録音の静謐さを愛してきたが、もうひとつの愛聴盤が加わった。南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブルは、ヴィブラートを排した至純さだけでなく、声の豊かさ、力強さを兼ね備え、声による伽藍を築き上げる。マーカス・クリードは正攻法の音楽づくりでブルックナーの真髄を伝えるとともに、合唱指揮者、トレーナーとしての能力の高さを示している。(福島)

【やまね選】クリード / 南西ドイツ放送交響楽団&南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル、hänssler Classic、2007年録音

ディファイやジョスカン・デ・プレなどルネサンス・ポリフォニーのアカペラ作品は金管アンサンブルを加えて演奏されることがある。残響豊かな教会のなかで声楽と金管の取り合わせは実に良いものだが、このミサ第2番を聴くとそうした古楽的なものを感じる。
クリード指揮シュトゥットガルト南西放送声楽アンサンブルの演奏は純度の高いアンサンブルにより古楽的なものと現代的なものの両面を備える。管楽アンサンブルと声楽の溶け合いは絶妙で、残響と共に呼吸するテンポと空気感が素晴らしい。カップリングのモテット7曲も見事だ。(やまね)

《 声楽曲 》ミサ曲第3番

【遠藤選】ベスト/コリドン・シンガーズ&オーケストラ、Helios、1992年録音

バロック風の演奏で、弦の鋭いアタックや、ヴィブラートをかけない木管の吹奏が印象的。こうした古風なスタイルだと、無垢な素朴さが一層引き立つ。一方で、官能的・前衛的な和声の色彩感をしっかりと表現しており、未来を志向する音楽という側面も見えてくる。また、劇的なクレドでは、場面ごとに大きくテンポ設定を変えて、楽劇を見るかのような迫力も出す。ブルックナーが時代を超越した異能の作曲家であることを思い知らされる。(遠藤)

【甲斐選】ヤノフスキ/スイス・ロマンド管&ベルリン放送合唱団、Pentatone/YouTube、2012年録音

明晰で交響曲的なヤノフスキ指揮スイス・ロマンド管他(Pentatone/YouTube)を推す。儀式には長過ぎ、教会には編成が大き過ぎるこの交響的大作への短縮の要望に、ブルックナーは「神の栄光のために思いつく全てを書いたら、もっと長くなる」と答えた。演奏会場の世俗的聴衆の前で宗教感情を表現することを躊躇しない「敬虔な変人」(ヴァルター・ヴィオラ)ブルックナーは、本作以後、自発的創作の困難なこのジャンルを離れ、宗教性を包含する独自の交響曲創作に専念することになる。(甲斐)

【武尾選】ティチアーティ/バンベルク交響楽団&バイエルン放送合唱団、Tudor、2013年録音

全曲で62分かかっていながら、不思議と長さは感じられず、くっきりとした造形が印象に残る。注目すべきはCredoの劇的な造形。キリストの受難を歌う場面で沈鬱な葬送音楽を奏でたトロンボーンが、続く復活と再臨、審判を歌う場面で「世の終わりのラッパ」としていかめしく響きわたり、そこへティンパニが轟くという、迫真の「最後の審判」が描かれる。このCredo前半で聴かれるヴァイオリン独奏もこまやかで美しい。(武尾)

【やまね選】チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル&ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団、EIM、1990年録音

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスを思わせるようなこの大曲は意外に録音が多くない。私はずっとレーグナー/ベルリン放送響盤(1988)で馴染んできた。これは残響豊かな中、流麗にすっきりと纏まった美しい演奏で、演奏時間は5549秒である。ちなみに定評あるヨッフム/ベルリン・フィル盤(1962)5811秒。これに比べチェリビダッケ盤は7716秒で版によるところもあろうが20分近くも差がある。チェリビダッケは彼の交響曲演奏がそうであるように悠然とテンポを動かさずに対位法の大伽藍を築く。ロマンティックな表情付けがなくバロック的。といっても古楽的ではなくひと昔前のバッハ演奏のようだ。一方、バレンボイム/ニュー・フィルハーモニア盤(1975 ノヴァーク版)の演奏時間は5749秒で、こちらは濃厚にロマンティックで全く別の作品のようだ(例えばクレドにおける復活の件など)。これは版の問題ではあるまい。(やまね)

《 声楽曲 》詩篇150篇

【遠藤選】リッケンバッハー/バンベルク響&同合唱団、Virgin Classics、1990年録音

リッケンバッハーは代役で大阪フィルに客演して9番を振ったのを聴いたが、素朴で硬質な演奏に感銘を受けた。ヨッフムに似ているのかもしれない。詩篇150篇は8分程度の短い作品だが、ブルックナー晩年の傑作であり、リッケンバッハーの至芸も堪能できる。壮麗に鳴っているのに全く力みが無く、響きに身を委ねることができる。各パートが自然体で存在感を放っているので、特にフーガが鮮明に聞こえ、喜びが次々と沸き立つような印象を受ける。(遠藤)

【福島選】リリング/シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム&シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊、Profil、録音年不詳

詩篇の総決算とも言えるラストナンバー「150番」に、敬虔なカトリック信者であるブルックナーが作曲したことは大きな意味がある。学生時代、ヨッフム盤を繰り返し聴いたが良さを実感できなかった。この度、再聴してみてその理由が分かった。コーラスの絶叫が作品の真価を打ち消しているのだ。その点、リリング盤は、生真面目で楷書的ながら、統制の取れたコーラスにより、作品の良さを素直に伝えてくれている。(福島)

【やまね選】ヨッフム/ベルリン・フィル&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、DG、1972年録音

9分ほどで短いわりに演奏が大変なのでなかなか聴く機会がない晩年の傑作。ただただ主を褒めたたえる祝典的な歌詞だけに、他の宗教作品のような切々とした味は薄く、むしろワーグナーのように劇的である。ヨッフムの演奏はそうしたマッチョなドイツ精神の輝かしさ、力強さが際立ち、テンション高く畳みかけるフーガは圧倒的で、力技で押し切られる感がある。『ローエングリン』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の高揚感に通じる合唱が見事だ。(やまね)

《 声楽曲 》詩篇112篇

【遠藤選】リッケンバッハー/バンベルク響&同合唱団、Virgin Classics、1990年録音

東京書籍『ブルックナー/ マーラー事典』( 以下『事典』)によれば、リンツでオルガニストや合唱指揮者として活動していたブルックナー38 歳の時の作品で、リンツの指揮者オットー・キツラーに師事しての作曲修行を終えた直後に書かれた。自らの成長を神に感謝したことが作曲の動機なのだろうか、演奏される見込みがあったわけではなく、初演はブルックナーの没後である。演奏時間は約10 分。5 曲から構成され、終曲は1 曲目がそっくりそのまま再現される。つまり、第1 楽章の主要主題を全曲の最後で再現するという、ブルックナーの交響曲と同じ様式美を取る。冒頭と最後に同一の音楽を用いることで、最初と最後が繋がって作品が一つの輪となる。そうしてできた音楽の輪に、聴衆は「包まれる」のだ。この作品は、フル・オーケストラの伴奏を備えた混声合唱の宗教音楽で、響きにおいても、祝祭的な雰囲気においても、聴衆を幸福感で包み込む。全体に明るい優しさが満ちており、とりわけ覇気と輝かしさを兼ね備えたフーガが印象的だ。ブルックナーは交響曲においては、厳粛で慄然とさせられる緊張感を持ったフーガを書いた(0 番、5 番、9番)。対照的に多くの宗教音楽では、熱狂的な喜びが次々と暴発するような明朗なフーガを書いており、この曲もそうだ。また、一瞬挿入されるヴァイオリンの陶酔的なメロディーが異彩を放つ。『事典』ではこれを「非ブルックナー的」と解説しているが、僕はそうは思わない。農村の民家の花壇に赤い薔薇が咲いているようで、これもまたブルックナーの故郷の風景を思わせるからだ。(遠藤)

《 声楽曲 》ヘルゴラント

【遠藤選】ホルド=ガッリード/マルメ歌劇場管&ルンド大学男声合唱団、NAXOS、2011年録音

演奏機会は少ないが、ブルックナー最後の完成作品として大いに評価すべき傑作で、特に半音階進行が美しい。また、宗教音楽とは異なる生々しい感情を伴った男声の歌唱も魅力だ。後期作品の顔とも言うべき7番冒頭の音型が、この曲でも重要な役割を果たす。「雲の中に坐します御方よ」という歌詞が付けられていることから、この音型が神への呼びかけであることがわかる。交響曲の理解を深めるためにも、是非とも普及して欲しい作品だ。(遠藤)

【福島選】ネーメ・ヤルヴィ/エストニア国立響&合唱団、YouTubeやSpotify等の配信、録音年不詳

バレンボイムの2つの正規録音は、大仰な語り口により作品の良さを伝えない。そこで聴きたいのが、ネーメ・ヤルヴィ指揮エストニア国立響&合唱団によるライヴ録音である。この演奏は、未完に終わった「9番」フィナーレの深遠な世界が展開されているを教えてくれる。テキストはともかく、音楽的には「テ・デウム」以上に「9番」との親和性がある。惜しむらくは、この作品もハ長調であることだろうか。(福島)

《 声楽曲 》モテット集

【福島選】ヘレヴェッヘ/ラ・シャペル・ロワイヤル&コレギウム・ヴォカーレ、Harmoniamundi、1989年録音

わたしがヘレヴェッヘの名を最初に知ったのがこの盤である。予備知識なしにジャケ買いしたところ、コーラスのあまり至純さに放心してしまった。メインが「ミサ曲第2番」のため収録作品は”Ave Maria” “Chrisutus factus est” ” Os justi” ” Locus iste” ” Vexilla regis”の5曲に留まるが、まさにブルックナーの精髄とも呼べる名曲揃いのため不満はない。(福島)

【やまね選】マルティン・フレーミヒ/ドレスデン聖十字架合唱団、Capriccio、1985年録音

結局いつもここに帰ってきてしまう一枚。少年を含む男声のみで構成されるドレスデン十字架合唱団を東独の名匠マルティン・フレーミヒが指揮したモテット集の録音は、長年繰り返し聴いてきた。童が頬を赤らめて歌っているような風情で、やや音程が甘く素人臭いところもあるが、信徒の切なる歌声は真に迫っていて感動的だ。私はクリスチャンではないが、これはやはり信仰者が主に向き合い共感を深めるための機会音楽なのだろう。カップリングが大変よく、金管やオルガンが付くものまで含めて傑作が選ばれ、曲順も腑に落ちる。とりわけ「見よ、大司祭」の畏怖の強い表現にはリヒターのバッハを想起させる厳しさがある。最近の録音ではラトヴィア放送合唱団(ONDINE 2020年録音)も深々と力強く見事だが、これは金管を伴う作品を含んでいない。(やまね)

《 声楽曲 》アヴェ・マリア(アルトとオルガンのための(オーケストラ編曲版))

【福島選】アリー・ファン・ベーク/オーヴェルニュ管弦楽団&マリー・キールーズ修道女、Erato、録音年不詳

ブルックナーが遺した3つのアヴェ・マリアのうち、もっとも有名なのは無伴奏混声7部合唱のための第2作(1861)であるが、アルトとオルガンのための第3作(1882)の美に魅せられたわたしは、女声合唱版に編曲して度々採り上げている(興味のある方はYouTubeで探して欲しい)。悪趣味なCDが多く辟易とさせられるが、マリー・キールズ修道女によるオーケストラ版(編曲:M.-O. デュパン)の深々とした歌唱は美しい。(福島)

《 声楽曲 》アヴェ・マリア(混声7部合唱のための)

【多田選】ガーディナー&モンテヴェルディ合唱団、DG 、1998年録音

わずか4分程度の合唱曲だが、再生すると日常性がぼろぼろを剥がれ落ちてゆく。清浄なものへの憧れの感情がこれほどストレートに表現された音楽はブルックナーの作品中でも稀なのではないだろうか。反復される”Jesus”の痛切さ、続く憧れが決壊するような”Sancta Maria”。最後、単純な和音へ解決するAmenは、安堵の音楽ではあるが、わずか数分を経て聴くと、手が届かないものへ手が届かないと分かっていて憧れるような複雑さも聴こえてくるように感じられる。チリ一つの濁りも許さないガーディナー盤で堪能してほしい一曲。(多田)

《 声楽曲 》無伴奏合唱曲 「キリストはおのれを低くして」

【武尾選】ハンス=クリストフ・ラーデマン/ハンブルクNDR合唱団、Carus、2000年録音

テキストは新約聖書「フィリピの信徒への手紙」第2章8~9節による(ちなみにこの個所はパウロが初代教会の讃美歌を引用したとされる)。「十字架の死に至るまで」という歌詞にはバスの低い下降音型(カタバシス)、「すべての名にまさる名」という歌詞には上行音型(アナバシス)と、バロック時代にも通じるフィグーラが用いられている。こうした作品ではバロックの音楽修辞に通じたラーデマンの手腕が遺憾なく発揮される。(武尾)

《 声楽曲 》無伴奏合唱曲 「正しい者の唇は知恵を語り」

【武尾選】シグヴァルズ・クラーヴァ/ラトヴィア放送合唱団、Ondine、2020年録音

テキストは旧約聖書「詩篇」第37篇30~31節による。リディア旋法(ヘ音を終止音とする教会旋法)を用いて古風に作られたモテットで、8声で豊かに盛り上がる個所もあるが、最後にグレゴリオ聖歌ふうにユニゾンで歌われるAlleluja唱の純朴な敬虔さには心が浄められるのを覚える。こうした曲は世界最高水準の純度を持つラトヴィア放送合唱団の演奏で聴きたい。リガ大聖堂の深く豊かな残響もこの宗教的感情を静かに高めてくれる。(武尾)

《 声楽曲 》「アルネートの墓の前で」

【武尾選】ウカシュ・ボロヴィチ/ベルリンRIAS室内合唱団&ベルリン古楽アカデミー、Accentus Music、2018年録音

1854年に死去した聖フローリアン修道院長ミヒャエル・アルネートの葬儀のために作曲された男声合唱曲。野外での演奏を想定してトロンボーンがともに用いられている(トロンボーンは死の表象でもある)。神への信頼を歌うテキストとは裏腹に不安定な調性進行が沈鬱な雰囲気を醸すが、最後は調性も安定し真に平安が訪れる。後期の交響曲をも彷彿とさせる佳品。RIAS室内合唱団の深くしかし温かみのある男性合唱が慰藉に満ちている。(武尾)

《 室内楽曲 》弦楽四重奏曲

【遠藤選】ディオティマ弦楽四重奏団、Pentatone、2024年録音

中間楽章の健康的な朗らかさに対し、両端楽章が愁いを帯びていて短調のまま終わるのが印象的。このように、交響曲とはまた違ったブルックナーの魅力がある。習作であるため、楽譜に強弱記号がほとんど書かれておらず、演奏者が補う必要がある。この四重奏団は、スケルツォにスビート・ピアノを加えており、ブルックナーの語法に適っていて好感が持てる。全体として音に覇気があり、初期の習作であってもブルックナーの偉大な作品であると納得できる力演。(遠藤)

【やまね選】ラルキブデッリ、SONY(VIVARTE)、1994年録音

初期作品であるハ短調の弦楽四重奏曲はハイドン風の佳曲で、ブルックナーのイメージからは随分かけはなれたものかもしれない。初期といっても38歳で、その頃ブルックナーは作曲よりも専門家の下で自己研鑽に励んでいた。バロックチェロの巨匠アンナー・ビルスマが主宰するラルキブデッリはガット弦を用いた古楽器による弦楽四重奏団で、この録音は独特に澄んだ音色と均整のとれたアンサンブルが美しい。アーノンクールは官能的な音色のクラリネットが登場した頃から西洋音楽に純潔さが失われたというようなことを語っていたが、ラルキブデッリの演奏で聴くとブルックナーはずっとそういう純潔さに生真面目に拘っていたのだろうと思う。(やまね)

【多田選】ブルックナー弦楽四重奏団、カメラータ、1991年録音

1863年作曲の交響曲00番より前の1862年の作品(と推定されている)。交響曲の00番や1番のミサよりもさらに「習作」の雰囲気が強い。00番にメンデルスゾーンやシューマンからの連続性が垣間見えるとすれば、こちらはシューベルトだろうか。型通りの模倣や展開が続く中でときおり(ごくごく稀に)後年のブルックナーの萌芽と思えるような音型や和音が登場する瞬間がある。今回聴き直したところ、第1楽章の展開部のさざ波のようなトレモロの使い方にもそれを感じた。2楽章のAs-durからa-mollへの転調などは、普通の初期ロマン派っぽくてブルックナー好きとしては少々落胆するとともに「勉強頑張れ!」という気持ちにもなる。ブルックナーカルテットのこの演奏は、やや形式的にすぎるこの習作をごく「習作らしく」生まじめに演奏しているが、それがかえってごく部分的なブルックナーらしさを引き立てている。瑞々しい美しさもありディスクはこれかなと思った。(多田)

《 室内楽曲 》弦楽五重奏曲 初版/第2稿原典版

【遠藤選】ミュージック・ダイアログ・アンサンブル、キングレコード、2024年録音

主要主題間のブリッジ部分も含めて、あらゆる場面が渾身の力で弾かれる。その結果、フォルテとピアノの大胆な対比などが明瞭になり、スケール大きな音楽になっている。細分化された断片が飛び交う前衛性、官能的な和声進行、神に近付こうとするような崇高な上昇音型などは交響曲と同様の魅力。一方で、愁いを帯びた独白的な旋律美や、気楽に散歩するように軽やかな推進力など、交響曲とは一味違ったブルックナーの魅力に接することができる。(遠藤)

【甲斐選】①ファイン・アーツ弦楽四重奏団+ホフマン(Va)、SWR/YouTube、2003年録音、②ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団+シュタングラー(Va)、SOMM/YouTube、1956年録音

終楽章で、最初からフォルテッシモの初版コーダを選択し、内声部を充実させ遅いテンポを一貫して、交響曲的スケールの大きさを聞かせるファイン・アーツ弦楽四重奏団+ホフマン(Va)の放送録音を第一に推す(Naxos/YouTube)。ほとんどの演奏はここでテンポを速めてブルックナー的構築性を損ねている。ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団+シュタングラー(Va)の、ノスタルジックで甘美な演奏も良い(SOMM/YouTube)。(甲斐)

【福島選】①バルトルディ弦楽五重奏団、CAvi-music、2013 年録音、②アマデウス四重奏団、ヴィオラ:セシル・アロノヴィッツ、Audite、1957 年録音

バルトルディ弦楽五重奏団の演奏は、徒に動かず、じっくり腰を据えた音楽運び。まるで巨匠の棒でシンフォニーを聴くような趣が堪らない。一方、アマデウス四重奏団はDG へのステレオ録音ではなく、RIASのための放送録音の方を選ぶ。余分な残響のないシンプルなモノーラル録音が心の琴線を直に震わせてくれる。(福島)

【やまね選】ウィーン弦楽五重奏団、カメラータ、1994年録音

初めてこの曲を聴いた時、ブルックナーは交響曲と同じ調子で室内楽を書くのだなと少々違和感があった。だが、このウィーンの名手によるしなやかな呼吸の演奏を聴くと、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲ととても近く(第4楽章は大フーガの引用?)、シューベルトやブラームスからすら遠くはない。そしてブリテンあたりを連想するモダンな感覚もある。各弦の馥郁たる音色と響きの膨らみ、アンサンブルのバランスは見事で、歌い口は上品でしみじみ温かい。上質な室内楽の録音としてまず思い浮かぶ一枚だ。(やまね)

【多田選】スクロヴァチェフスキ&ザールブリュケン放響、Alte Nova(Oehmus)、 1999年録音

皆さんに名だたるディスクを挙げられてしまったのでここは変化球で。スクロヴァチェフスキが自分で弦楽合奏に編曲した録音が素晴らしい。アダージョだけではあるが、端正でよく練り上げられたフレージングから溢れ出るような歌が聴こえてくる。全集に含まれているのでぜひ。ツァグロセク&バンベルク響盤も弦楽合奏で、演奏によって編成の大小にかなり差があるようだが、いずれの演奏からもシンフォニックな厚みとの相性のよさが窺えるのが面白い。(多田)

《 室内楽曲 》弦楽五重奏曲 初稿(未出版)

【甲斐選】ディスク無し、有志による上演を期待

現時点でディスク無し。この曲の解説には大抵作曲と改訂の経緯が記されているが、当初の形態では第2楽章はアンダンテ、第3楽章がスケルツォで、第1楽章には初版と現行原典版に存在しないカット可部分がある。名作の初稿でありながらファンの関心が低いようなのは不可解だ。IMSLPで自筆譜を閲覧・ダウンロードできる。原典版初稿の出版を願うとともに、有志による上演を期待したい。(甲斐)

《 器楽曲 》オルガン曲 前奏曲とフーガハ短調・フーガニ短調

【武尾選】ゲルト・シャラー、Profil、2015年録音

ブルックナーの残したオルガン曲は多くはない。ブルックナーは優れたオルガニストであったが、その才能・技量は主に即興演奏の分野で発揮されたからである(これはブルックナーに限ったことではなく当時のオルガニストには一般的に言えることであり、現代でもヨーロッパの教会オルガニストには即興演奏の技術が必須だ)。オルガンにおけるブルックナーの対位法はバッハのようにがっちりと建築を組み立てるようなものではなく、むしろ旋律の組み合わせによって生じる微妙な調性の移り変わりを楽しむような趣がある。シャラーの演奏はその色彩の移ろいを絶妙なレジストレーションで表現している。(武尾)

《 器楽曲 》ピアノ独奏曲全集

【多田選】白神典子、BIS、2000年録音

半分くらいの曲は20代(1850年頃)に書かれており、彼の修学のプロセスを知る程度の作品だが、交響曲の作曲にも取り組み彼の個性がはっきりと出てくるようになっている1868年作曲の2曲に聴き応えがある。Fantasie(幻想曲)はごくごく親密な息づかいからワーグナーばりの悩ましいターン(旋回音型)が聴こえてくるし、Erinnerung(思い出)は交響曲3番のアダージョに出てくるマリア終止まで登場する。その後の魔法のような転調はブルックナーが好きなら一度聴くと夢中になると思う。透き通るような音色の白神による演奏もこの録音の価値を高めている。ちなみに、彼が残したピアノ独奏曲はピアノの生徒の女性(うら若い)に捧げられた曲が多い。こっぴどくフラれたんだろうなと妄想をかき立てられる。40代の朴訥としたおっさんからこんなにピュアな作品を献呈されたらどんな気持ちだっただろうか。ああ、哀しいぞ。(※交響曲7番アダージョのピアノ独奏版(編曲者不明))も収録されており、後述のシャルクによる4手編曲と聴き比べるとその端正な佇まいにしびれる)。(多田)

《 編曲もの 》交響曲7番 ヘルマン・ベーンによる2台ピアノ版

【武尾選】ユリウス・ツェマン&大井駿、Ars Production、2023年録音

7番には僕の好きな演奏がいくらでもあるのだが、この曲はブルックナーの交響曲の中でも最も美しい構造を持つと感じているので、その構造自体を純粋に味わうことができる2台ピアノへの編曲版をあげたい。編曲者のベーンはブルックナーの弟子だが、原曲の要点を過不足なく拾っており、テクスチュアのエッセンスが明瞭にわかる。演奏自体もベーゼンドルファーの奥行きの深い響きを味方につけた美しい演奏だ。(武尾)

《 編曲もの 》交響曲8番 リオネル・ロッグ編曲オルガン独奏版

【多田選】リオネル・ロッグ、BIS、1997年録音

オルガン奏者のリオネル・ロッグによる編曲。京都コンサートホールの委嘱で編曲され、1996年に同ホールで初演されている。同じ編曲版を翌97年にジュネーヴで録音したディスク。8番には牧歌的で素朴な魅力もあるが、オルガンで演奏するとただただ宗教的啓示が一貫する音楽に変貌する。筆者は京都での初演に同席しており、演奏会の後、1週間ほどこの編曲が耳を離れなかった。特に(オルガンの奏法や構造のことはよく知らないのだが)アダージョの第2主題第2楽句で天蓋が開いて光が降り注ぐような響き(まさに啓示)に変化して恍惚となった。CDでも十分に伝わる。交響曲後篇のハース版の項目で8番の2稿とハース版の演奏の歴史は停滞ぎみなのではないかと書いたが、今回同曲を聴き直して最も新鮮に聴こえたのがこのディスクだった。(多田)

《 編曲もの 》4手ピアノによる交響曲全集

【多田選】ディノ・セクイ&ゲアアルト・ホッファー、Tobu、2008~2019年録音

かのフランツ&ヨーゼフ・シャルクやレーヴェらによる交響曲の連弾バージョンの全集録音が2019年に出た。録音会場はリンツの大聖堂。豊かな残響を伴った陶酔的な録音も堪能できる。ピアノという楽器に余計な残響は邪魔になることが多いがこれは例外。この全集を聴くと、ピアノ連弾という19世紀における最も親密な音楽ジャンルが、交響曲という公共性を代表した音楽とたしかに連続的だったのだと実感できる。2人称的な友愛を世界全体へと拡大することが可能なのだという19世紀の人類の夢(20世紀に呪いに変わった)がはっきりと刻まれている。声部が縮減されているがブルックナーの音楽が死なないのでそう感じることができるのだろう。シャルクらによる編曲では彼らのオーケストラの版と同様のカットやテンポ処理がなされている箇所が多く、その筋の聴き手にはそうした愉しみ方も可能。7番のアダージョは親しい友人へ向けた弔いの音楽のようで哀しくも温かさに満ちている。(多田)

執筆者紹介

遠藤 啓輔(Keisuke ENDO)

1973年愛知県生まれ。奈良大学大学院修了、博士(文学)。尼崎市立歴史博物館に勤務。専門は考古学で、日本各地の遺跡を訪ね歩く。京都フィロムジカ管弦楽団トランペット奏者。トランペットを池田俊氏(元・大阪フィル首席)に師事。『法貴彩子 ピアノ・ジャンクションVol.5』に出演し、ブルックナーについて語る(Webに動画有り)。

甲斐 貴也(Takaya KAI)

1960年11月4日生まれ
ブルックナー、マーラーの長くてうるさい交響曲と、ヴォルフ、R.シュトラウス、オトマール・シェックらドイツリートを好む。李白他&マーラー『大地の歌』、ミュラー&シューベルト『冬の旅』の詩と楽曲の分析。ニーチェとR.シュトラウスの関連研究。
HP「フィヒテとリンデ世田谷ブルックナーの家

武尾 和彦(Kazuhiko TAKEO)

青山学院大学文学部卒業、同大学院修了。高校生の時から教会でオルガンを弾き、大学では聖歌隊に所属し学生指揮者を務め、以来教会音楽に親しんできた。現在、キリスト教系の学校で教鞭をとる。

福島 章恭(Akiyasu FUKUSHIMA)

桐朋学園大卒。大阪フィル合唱団指揮者。井上道義、尾高忠明、R.エリシュカ諸氏から信任を得る。2026年ライプツィヒ聖トーマス教会にて「ヨハネ受難曲」指揮予定。音楽評論家として94年アリオン賞(柴田南雄音楽賞)奨励賞受賞。著書「新版クラシックCDの名盤」(宇野功芳・中野雄共著 文春新書)他。

やまねほんざ

札幌在住のクラシック愛好家。札響定期会員(2006~)、国際マルティヌー協会会員。仰ぎ見る猛者の皆様の中で恥ずかしながらローカルな一クラオタ目線で偏愛する音盤について書かせていただきました。いまだに「ブルックナーらしさとは?」と首を捻る未熟者ですが、アニヴァーサリーに免じてご寛恕願います。今回の私の裏テーマは「宇野功芳が褒めなかった音盤」です。

多田 圭介(Keisuke TADA)

ブルックナーとガンダムをこよなく愛する本誌編集長。好きなガンダムの作品は、Zガンダム、逆襲のシャア、Vガンダム、∀ガンダム、鉄血のオルフェンズ。好きなモビルスーツはパラス・アテネ、クィン・マンサ、クシャトリヤ、ガンダム・バエル。

 

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