札幌劇場ジャーナル

舘野泉 卒寿記念コンサート スペシャルインタビュー(前篇)5/11、リサイタルの曲目について‐「音楽と物語の世界」

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5/11、リサイタルの曲目について‐「音楽と物語の世界」

多田:まず、5/11Kitaraの小ホールで開催されるリサイタルについて伺わせてください。チラシを拝見しましたところ「音楽と物語の世界」と副題に書かれています。この「音楽と物語」は、もともと舘野さんが俳優の岸田今日子さんと長く続けてこられたシリーズですね。岸田さんが亡くなられて草笛光子さんとも取り組まれてきました。そして今回は元田牧子さんが、3代目の相方と申しましょうか、朗読を務められるということです。曲目についてですが、ノルドグレンについては何度かお話を伺っておりますので、まずはエスカンデの新しい曲のほうからお願いします。

5/11のリサイタルで演奏される新しい曲目について

・パブロ・エスカンデ作曲「ナイチンゲールと薔薇の花」(オスカー・ワイルド)(2024年)
・パブロ・エスカンデ作曲「魔女の夜宴(ゴヤを描く)」(2024年)

多田:オスカー・ワイルドは音楽ファンにとってはなんといっても「サロメ」で有名ですが、実は私、ワイルドの作品ではこの「ナイチンゲールと薔薇」のほうが好きなんです。ストーリーは夜泣きウグイスが青年に恋をします。その青年には好きな女性がいてその女性から「赤い薔薇を持ってくるなら踊ってあげる」と言われます。それでナイチンゲールは、その青年のために自分の命をかけて赤い薔薇の花を手に入れて、そして青年の手から女性に渡ります。ですが、薔薇の花はその女性に無下にされてしまいます。とても悲しいお話ですが、どこかピュアな美しさ、そしてなんとも言えない複雑な味わいがある作品です。今回、曲をつけたのはいつも舘野さんに作品を提供されているエスカンデさんです。舘野さんが「ナイチンゲールと薔薇」を題材に選んでエスカンデさんに作曲を依頼したのですか?

舘野:いや、そうじゃないんです。最初のきっかけは、エスカンデに「今度はピアノ一台で演奏できるオペラみたいな曲を書いてくれ」と注文したんです。それでエスカンデが「オペラみたいな」という言葉を「朗読をつけて」という形に受け取ったんです。「それでもいいか?」と言うので、「もちろん」と答えて、ではということで、画家のゴヤについての曲を依頼しました。それも宮廷画家として活躍していた頃の華やかなゴヤではなくて、40歳過ぎて耳が完全に聴こえなくなって、病気もして、絵の作風もすっかり変わってからのゴヤです。

多田:それが今回「ナイチンゲールと薔薇」の後のプログラムに入っている「魔女の夜宴」に繋がったのですね。ゴヤの「魔女の夜宴」も作風が変化した後の作品です。

舘野:「黒の時代」とか言いますね。非常に残酷な絵もたくさんあります。でもその時代のなんというか、生き様というか、それはもの凄いし、画風もより深くなっています。84歳で亡くなるまで追求した何かがあります。凄まじい生き様が刻まれています。でもそのゴヤが好きだから、ゴヤを題材にしたピアノ一台で演奏できる曲をって話だったんです。

多田:最初のきっかけはゴヤだったのですね。

舘野:そうしたらエスカンデがもう一曲書きたいんだけど、と言うわけです。なんだ?と訊いたら「今は言えないけどぜひ書いてみたいものがある」と言うんです。じゃあ、「それでいいよ」と言うと、エスカンデが「そっちには朗読をつけたいのだけど、いいか?」と言うので「好きなようにやってくれ」とお願いしました。何が出てくるか分からないままだったんです。

多田:出てきたらワイルドの「ナイチンゲールと薔薇」だった、と。

パブロ・エスカンデ作曲「ナイチンゲールと薔薇の花」(オスカー・ワイルド)(2024年)について

舘野:ええ。それで出来上がった楽譜をみると、20分くらいかかるのかな?最初に頼んだゴヤのほうが15分くらいで、ねえ(笑)。曲の書き方もこの2曲で全然違うんですよ。「ナイチンゲールと薔薇の花」のほうはね、ピアノがどちらかというと後ろに回って全体を支えているんです。そうして内面の襞を作っていくような役回りです。朗読とピアノが並行する形なんですけど、、

多田:よくある朗読→音楽→朗読→音楽という形ではなく、朗読の中で音楽が背景になっているのですね。

舘野:そうそう。ピアノがメインになっているところに朗読が入ったりもあるんですけど、ナイチンゲールの話は語り手のほうに重心があります。それでもピアノは内側からドラマを支えて、息づかいというか、感情の綾があって、それがこの曲のたまらない魅力になっています。

多田:音楽の聴きどころはどんなところになりますか?

舘野:ナイチンゲールが赤い薔薇を手に入れるために、薔薇を自分の心臓に突き刺して、薔薇を赤く染めますね。そのクライマックスのところはピアノがメインなんです。

多田:そういうところは言葉はないほうがよさそうです。

舘野:演奏会で聴いてもらうしかないですが、ぐわ~!と迫ってくる音楽なんですよね。

多田:最後、青年が恋している女性からその薔薇は「いらないわ」とむげにされます。それで捨てられてしまいます。もう文字通り言葉にはなりません。音楽でどう表現されるか、興味深いです。

舘野:そうそう、残酷というかね。

多田:ワイルドの作品は言葉数は多くはありませんが、感情がとても繊細で複雑です。言葉で一義的に言い表わしてしまうことに抵抗が出るような多義性があります。

舘野:エスカンデもその複雑さに惹かれて音楽にしたいと思ったのでしょうね。でも音楽のクライマックスというか、中心はナイチンゲールが心臓に薔薇を突き刺して赤い薔薇が出来上るところです。

多田:クライマックスはそこに置かれているのですね。

舘野:そうです。そこがピアノのソロで、シャコンヌになっています。それで、ナイチンゲールは死んで、赤い薔薇は青年からも女性からも捨てられてしまいます。そこの音楽も、もう愛とかそんなもんじゃなくて、宝石だとか、俗世間のほうが尊いんだというような、ギャップがすごいです。

多田:とても悲しいお話ですが、自分(ナイチンゲール)が青年のために献身的に尽くしたことも、命を落として赤い薔薇を手に入れたことも、その想いも伝わらないんですよね。それどころか、誰にも知られず、誰からも見られず、でもその青年のために献身的に尽くして死んだのは事実です。おそらく、相手に伝わったかどうかとか、評価とか、承認されたとか、相手が感謝してくれたとか、そういったことと一切関係がないからあのストーリーは美しいのだと思います。その美しさはもう音楽でしか表現できないのではないかと思います。ワイルドもあまりこと細かく書いてないですよね?

舘野:書いてないです。だから、エスカンデが書きたいものがあると言ったのも、そこなんですね。

パブロ・エスカンデ作曲「魔女の夜宴(ゴヤを描く)」(2024年)について

舘野:2曲目の「魔女の夜宴」も素晴らしい作品です。

多田:ゴヤの「魔女の夜宴」は山羊の悪魔のもとに魔女が集まって月の下に集まっている様子が描かれていますが、この絵も後年の美術史家にとっても解釈が一義的ではない作品ですね。あまり詳しいわけではないのですが、ファウストの「ワルプルギスの夜」などもこの絵からヒントを得た作品です。ですが、ファウストも自分流に受け取っていたり、たくさんの作曲家に霊感を与えています。おそらく、「魔女の夜宴」も観る人によって様々な解釈を許容する作品なのだと思います。エスカンデの曲はどんな音楽に仕上がりましたか?印象をお聞かせください。

舘野:3人の詩人がこのゴヤの絵について詩を残しています。T.ゴーティエ、C.ボードレール、それからスペインのM.マチャドです。そのテキストを元にしているんですね。スペインの伝統的なギターの音楽を思わせる生き生きとした堀りの深い音楽です。その他にも単音の旋律で歌われるところもあるんです。ゆっくりなテンポで。音はすごく少ないのですけど、そこの訴えかけも強いものがあります。それはゴヤの描いた世界の、厳しさや残酷さ、そういうものを全部含んだものがそこの音楽に表われていると思います。

多田:先ほど、黒の時代と仰いましたが、ゴヤ本人も自分の老いや衰えを痛感していた時期ですね。

舘野:そうです。ゴヤが死んでから墓地に埋葬されるのも、誰かと一緒に、というか、

多田:合同葬ですか?

舘野:そうそう、一緒に放り出されて、正式にゴヤの墓ができたのは死後100年経ってからのことです。だから、そういうところからも晩年の苦悩などは伝わってきますね。

多田:暴力とか凄惨な感覚がある絵です。先ほど、「単音で」と仰られたところが気になっているのですが、あまり日常生活で口にしづらいような何かを描くような、そんなところがありますか?

舘野:そう、そう。あるんです。本当に単純な形で書いてます。2声ですよ。音が少なくてゆっくりのテンポなんですけど、音楽は深くて突き刺さるようです。

多田:「魔女の夜宴」のほうは、朗読があって、音楽があって、と交互になっているのですか?

舘野:う~ん、あの「魔女の夜宴」はピアノが主なんですよね。ピアノの音楽の合間にナレーションが入ります。いま言った音の少ないところは楽譜で2ページ続くんですけど、そこに語りは入りません。

多田:一番大事なところは音楽だけということで、美しいですね。ではあれこれと言葉で説明するのもこのへんでやめて、後は当日の音楽を楽しみに待つことにします。

ヘンリー・ノルドグレン作曲「小泉八雲の『怪談』によるバラードⅡ」(2004年)より「振袖火事」、「衝立の女」、「忠五郎の話」について

多田:1曲目はノルドグレンの曲です。舘野さんが一緒に人生を歩んでこられた舘野さんの同志のような作曲家です。6年前に私が舘野さんに初めてインタビューしたときの、メインの曲がノルドグレンの「死体にまたがった男」でした。そのときの記事を読みなおしたところ、その曲について舘野さんはこんなことを仰ってます。

「人間の内奥にある深い世界」

これは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談が元になっていますが、小泉の怪談も、ノルドグレンの音楽も、そういう世界から出てくる音楽だと。

舘野:小泉も、ノルドグレンも、ね。こないだね、ラフカディオ・ハーンの、伝記みたいなものを読んでいたら、こんなことが書いてありました。あれは日本の昔話とか怪談とか、そういうのをそのまま書いたわけじゃなくて、奥さんと一緒に読んで2人でもっと新しいというか違う世界を探して、読みこんで、そうして書いたというんです。だから昔からある怪談をそのまま書いたわけじゃないんですよね。

多田:創作ってなんでもそういうものですよね。国とか時代とか関係ないような、舘野さんの言葉でいえば「内奥」から出てくるものが、それぞれの土地や時代で「新しいもの」と受け取られるものですよね。

舘野:今度は元田さんと一緒に演奏しますが、怪談のこういう事実があるっていうのではなくて、その奥にあるものを伝えるようにと、そう話しています。だから元田さんには「あなたの言葉で」とお願いしてます。

多田:昔の人が書いた怪談をそのまま紹介して、ただの資料みたいになるのは創作ではないですよね。

舘野:そうそう。岸田今日子さん、草笛光子さんとも取り組んできましたが今までもこういう風なんです。まず、岸田さんが耳なし芳一を10分かけてドラマティックに最後まで話して、それでその後にピアノの演奏がありました。今度の元田さんとは、最初に語りがあってね、その語りを伝えるというよりも、聞いている人に暗示を与えるというか、話を聞いているそれぞれの人が、こう、自分のファンタジーを探せるような、そういう風にします。お客さんが何か自分なりのファンタジーをみつけて、その後でピアノの演奏がくる、そういうものにしたいのです。

多田:作品の史実ではなく精神世界にお客さんを誘おうということですね。

舘野:そうです。

多田:今回は「怪談によるバラードⅡ」(2004年)から3曲演奏されます。

舘野:元々バラードは10曲で出来ているんです。「耳なし芳一」とか「雪女」とか。全部両手のための曲ですけど、今度の3曲は左手のために書いてもらったものです。

多田:2004年の作品ですからちょうど左手になられた後の頃ですね。その頃からずっと弾いてこられた曲ということですね。これはあまり細かいことをお聞きするより、ずっと弾いてこられた舘野さんの今の印象をざっくりお話いただけますか?

舘野:怪談と言っても、怖い音楽というよりも、何か不思議な世界。人間の心の奥深くにある。そういうものに入っていく。そんな音楽です。「衝立の女」なんかは衝立に絵で描かれた女が最後には絵から出てくるんです。それでその絵の女に恋をしていた男と一生、幸せに暮らすという話です。だから音楽も非常に不思議です。どうして、一生、幸せに暮らせたの??(笑)

多田:それはまさに古典の世界ですね。古典の文学はどれもどこか不条理です。

舘野:最後は「忠五郎の話」です。音楽的にはブルレスケという感じでしょうか。忠五郎が若いきれいな女に付き添われてカバンの中に入って、そこで生活をするんですね。最後には死んでしまうのですけど、その女というのが川のなかに住んでいるガマガエルだったという。ガマガエルが若い男の血が好きなので、それで吸われてしまったんですね。これも不思議~な話で、音楽も不思議です。

多田:「こぶとり爺さん」とかも、ある爺さんが鬼の前で下手な踊りを披露したら「こぶ」を取ってもらえたので、後から他の爺さんが真似して鬼に踊りを披露しますが、その爺さんは逆にこぶを増やされたとか、なんの教訓もない、不条理のかたまりです。それに似たところ感じます。現代ではなかなか受け入れられ難いですが、古典にはそういうところがあります。そういえば、ラカンというフランスの精神分析家が古典の文学がなぜ不条理であるかについてこんなことを言っています。「人間の本質がなぜこうであるかは我々の理解を絶しており、それを丸ごと受け入れるしかない」ということを教えるところに古典の意味があるのだ、と。舘野さんもそういう古典の世界に惹かれているように感じます。

舘野:そうそう。

多田:「音楽と物語の世界」という副題ですが、ゴヤは絵ですし、ナイチンゲールもハッピーエンドから程遠いですし、なんと言いますか、現代人がすっきり理解できて納得するというようなそういうのではなくて、多様で複雑なまま、ある意味で放り出されるような、そういった物語が多い印象です。

舘野:岸田さんとやっていたときからそういう世界観を大事にしてやってきたんですよね。色んなものをやりました。ラヴェルの「夜のガスパール」とかもやったんですけど。

多田:どうやって物語になっちゃうのか想像できませんが。

舘野:(笑う)

多田:「音楽と物語の世界」ということで、舘野さんがどんなことを考えていらっしゃるのか、だんだん見えてきた感じがします。ただ、こうこう、こういうものですって一義的に説明しちゃうと舘野さんは不本意なんだろうな、ということ、そしてその意味も分かってきたような気がします。さて、5/11の曲目についてはこの辺にして、後篇では舘野さんの音楽と人生について少し伺わせてください。ちょっと休憩です。

 (2025.3.14 札幌市内にて)

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卒寿記念コンサート2025 舘野 泉 ピアノ・リサイタル

2025/5/11(日)13時30分開演
札幌コンサートホールKitara 小ホール

プログラム

ノルドグレン:小泉八雲の「怪談」によるバラードⅡより 振袖火事、衝立の女、忠五郎の話
エスカンデ:ナイチンゲールと薔薇の花(オスカー・ワイルド)
エスカンデ:魔女の夜宴(ゴヤを描く)
朗読 元田 牧子

 

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