札幌劇場ジャーナル

<創刊7周年記念コラム>宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を観た私たちはどう生きるか‐眞人と寅子(虎に翼)の対決(執筆:多田 圭介)

編集長コラム

目次

1.<我々の死者>と<未来の他者>

僕が小学生だった1980年代前半の日本は、交通事故の犠牲者数が年間で万単位にのぼっていた。当時の大人たちは、町内会や親戚の集まりには当然のように自動車で来て、お酒を飲んで、当然のように自動車で帰っていた。小学生ながら「ダメなんじゃないの?」と言うと、「コラ!そんなこと言わないの!」と窘められたものだった。

あれから40年。その後、国を挙げての啓発活動や飲酒運転の厳罰化が行われた。その甲斐あって、年間の交通事故の犠牲者数は激減した。いま私たちは当時よりもずっと安全に道を歩けるようになっている。その安全は、40年前に事故の犠牲になった人々から時間を超えて贈られた<贈与>の恩恵という面がある。もしこの贈与に感謝するなら、自分も自分が死んだ後にこの世界にやってくる<未来の他者>の幸福や繁栄ために、自分自身の今の幸福や利便を制限してでも貢献したいという想いが湧いてくることだろう。

その想いを抱かないのであれば、その人は過去の死者からの贈与にフリーライドしているということになる。筆者も、自分の人生と自意識で頭が一杯になっている人に責任ある言動を求めることは多い。それに対して「世の中ダメな人とか色々いてそれで回っているんだからうるさいこと言わないの」。こういうことを言う人は少なくない。そういう人はこうした他者への応答の責務の意味についてまったく考えていないのだろう。

大澤真幸の近著『西洋近代の罪』(朝日新書、2025年)によれば、この世代間の倫理の問題は宮崎駿の「君たちはどう生きるか」(2023)の解釈の根幹に関わっているという。同作で主人公の眞人は、大伯父から託された塔の中で石を積み上げる役割を拒否する。それはなぜなのか。大澤の同書は筆者が知る限り初めて説得的な解釈を示した。その解釈は、おそらくは宮崎駿本人より深く宮崎駿の本質に迫ったのではないか。大澤はこう言う。

「私たちにとって今、本質的に重要なことはほとんどすべて、私たちが死んだ後にやってくる<未来の他者>に対して責任をとることである。」(同上、262頁)

続けてこう述べる。

「私の考えでは<未来の他者>に応答することができるのは、<我々の死者>を持つ共同体や国民だけである。<我々の死者>とは、その死者たちのおかげで現在の我々がある。だからその死者の望みを引き継ぎたい【略】といった思いを持つことができる死者たちのことである。」(同)

交通事故の例でいえば、40年前に犠牲になった人たち(=我々の死者)のおかげで対策がとられるようになり、今の私たちの安全につながった。だから今生きている私たちは、その贈与に感謝するのであれば、私たちが死んだ後にやってくる他者にとって、今よりよい社会になっているように貢献する責任があるというわけだ。気候変動からくる生態系の破局、局地的な戦争、アメリカと欧州に顕著な反動的な人権軽視。プラットフォーム資本主義とインターネットポピュリズムによる民主主義の徹底的な破壊。これらはすべて<未来の他者>の不幸にかかわっている。私たちは<我々の死者>の恩恵に感謝するから、自分自身の幸福や利便性を制限してでも、<未来の他者>へ応答する。

大澤によれば「君たちはどう生きるか」は、私たち日本人にとっての、この意味での<我々の死者>の喪失の物語だったという。 

2.「君たちはどう生きるか」の二層構造

「君たちはどう生きるか」の物語は二層構造となっていると解釈できる。一層は、主人公・眞人と母、そして母の妹のナツコの物語。二層目は、眞人が疎開先で体験する廃墟と化した塔の中での物語。まずは簡単にこの二層を解きほぐしておこう。

眞人 © 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

まずは一層から。時代は太平洋戦争の末期。主人公・眞人は空襲で母を亡くす。その後、眞人は父に連れられ母の実家に疎開する。父は母の実の妹のナツコと再婚する。眞人は母の面影が濃いナツコに一目で惹かれる。恋愛感情に近い想いさえ抱いたであろう。だが母として受け入れることがなかなかできない。だが物語のクライマックスに眞人はナツコを「母さん!」と呼び、ついに受け入れる。これが一層目だ。

 

ナツコ © 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

これに対して二層目は、疎開先の屋敷の敷地内の塔の中での大伯父との物語。この塔について作品ではこう説明される。明治維新の少し前に空から石が落ちてきた。それから30年後、大伯父がその石を見つけ、石を覆う塔を建てた。大伯父はその塔の中へ消えた。ある日、ナツコが失踪するが、眞人はナツコはこの塔の中だと直感し、塔の中へ入ってゆく。そこで大伯父と出会う。

大叔父 © 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

大伯父によれば、塔の中の世界(=下の世界)は、塔の外の現実世界(=上の世界)に意味を与える規範の役割を果たしているという。いま「下の世界」の秩序が危機に瀕している。同時に「上の世界」では戦争が破局へと向かっている。大伯父は眞人に穢れのない13個の石を差し出す。そしてこの石を3日に一つずつ積み上げ、下の世界のバランスを回復してほしい、と命じる。つまり、「下の世界」の秩序を回復することで、「上の世界」の自由と平和を創造せよ、と託されたのだ。だが、眞人はこれを拒否する。この物語が二層目である。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

二層の物語は最後に交錯する。眞人は大伯父からの依頼を拒否し、塔の中の「下の世界」からナツコを救い出し、「上の世界」へ戻ってしまう。その結果、石のバランスが崩れ「下の世界」は崩壊する。眞人は世界の秩序を回復する大義ある仕事よりも自分の恋愛を選んだのだ。筆者はそう解釈している。 

3.空から降ってきた「石」と眞人の額の「傷」の意味

眞人は大伯父から託された役割をなぜ拒否したのか。大澤の解釈に行きたいが、それを理解するためにはもう少しもつれた糸を解す必要がある。一つは、屋敷の敷地に降ってきた「石」とは何の比喩なのかということだ。これは明治維新の直前に降ってきたとされていることから明確なように、西洋近代の比喩だ。人権、平等、自由等々、西洋の啓蒙主義が見出した価値や理念の比喩だろう。

もう一つは、眞人の額の「傷」だ。作中ではこの「傷」こそが眞人が大伯父からの依頼を拒否する理由とされている。眞人は疎開の翌日に同級生とケンカしている。その後、帰宅の途中で自分の額に自分で「石」(奇しくもこれも石)を打ちつけ、傷をつけたのだ。眞人の父親は「誰にやられたのだ」と詰め寄る。眞人は「転んだだけだ」と答える。父親は納得せずに学校に怒鳴り込む。眞人は、自分が「転んだだけだ」と言っても、父親がその通りには受け取らないことを初めから分かっている。怪我を同級生のせいにするために芝居を打ったのだ。その上、「転んだだけ」と嘯けば同級生を庇う善人を装うこともできる。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

眞人はこの卑怯なやり口を「悪意のしるし」といい、悪意がある自分には大伯父から託された役割を果たすには不適格だという。さて、この「空から降ってきた石」と「眞人の額の傷」という2つのモチーフには次節以降で検討するように明確な繋がりを認めることができる。材料は揃ったので、眞人の「拒否」の理由についての大澤の解釈を見てみよう。

4.眞人の<拒否>についての大澤の解釈

大澤の解釈もこの「悪意のしるし」にかかわっている。大澤はこう述べる。

「日本人は、全面戦争に敗れたことを通じて、戦争にまで至った自分たちの行動原理に根本的な誤りがあったと理解した。このことは何を意味しているのか。戦前の日本人の―とりわけ戦前の指導者たちの―意志や願望を、戦後を生きる日本人は引き継ぐわけにはいかない、ということだ。」(同、165頁)

眞人の大伯父は、日本の近代化を推進した知識人の象徴だったはずだ。だがその行動原理には根本的な誤りがあった。だから、その意志や願望を、戦争で亡くなっていった<我々の死者>の思いとともに継承するわけにはいかない。それゆえに、

「戦後の日本人である「われわれ」は、戦前の、死んでいった日本人が「われわれ」に託そうとした願いを断固として拒否しなくてはならない。だから、眞人は大伯父の強い要請を受け入れなかったのだ。」(同)

これが大澤の解釈だ。大澤が注目しているのは、もし眞人が大伯父の要請をそのまま引き受けたとしたら、戦前の死者たちの思いを継承したとしたら、その場合は、「われわれ日本人は、もとから間違ってなどいなかった」、われわれは騙されたのであって「悪意のない善意の犠牲者」(166頁)と自分たちを看做すというとてつもない欺瞞を犯すことになるということだ。眞人はなぜ大伯父の要請を拒否したのか、この映画にとってどんな意味があったのか。それは公開後から様々な解釈合戦に晒されたポイントだが、この大澤の解釈はもっとも説得的であると思う。さて、それでは、戦前の指導者たちは何を誤ったのか。それが空から降ってきた石と額の傷とどう関係するのか。先へ進めてみよう。

5.<法の支配>と<人の支配>

塔の中の世界、つまり「下の世界」には空から降ってきた石がある。それは西洋近代を意味する。この「下の世界」と「上の世界」とは、具体的には、古くからいわれている<法の支配>と<人の支配>の比喩なのだと筆者は考えている。自由、平等、人権等、西洋の啓蒙思想が見出した西洋の美質を実現してゆくためには、その場の空気や人間関係で物事が決定される<人の支配>から徹底的に距離を置いて、すべてを<法>に委ねなくてはならない。つまり<法の支配>を優先しなくてはいけない。もちろん<法>が普遍的であるべきとはいえ、実際にはルールや原則は十分には一貫してすべての人に適用されていないし、法そのものが普遍性の条件を満たさないこともままある。法が間違っていることだってよくある。だがそれでも、もし法が間違っているなら、その間違いもルール(法)に則って正されることを望むのが西洋近代=法の支配だ。下の世界とは、この<法の支配>の比喩なのであって、だからそれが崩れると上の世界でも秩序がなくなるということだと解釈できる。

眞人は事実を偽って額に傷を自分でつけた。そのことで免責を得ようとした。これは明確に<人の支配>を示唆する。同じように戦中の日本人たちは、表面的には<法の支配>を標榜しながらその運営面では実質的に、「どんなルールを作ったって現場で骨抜きにして人間関係で動かすんで」、みたいなことを平気でやってきた。例えば旧日本軍最悪の作戦と言われるインパール作戦。実行すると日本兵が数万人単位で無駄死にすることが最初から分かっている作戦だった。だが、その作戦を提案した人物が会議室のメンバーから好かれていた。人望もあった。「彼が言うのなら」、「彼のやる気をそぐのはよくない」、その程度の理由で、この無謀な作戦は実行された。そして会議室の外で数万人が命を落とした。

眞人の自傷行為はこのような<人の支配>を表現していよう。ならば、大伯父から託された「悪意に染まっていない13個の石」とは、それが「悪意に染まっていない」のであれば、たんに<戦前の指導者たちの意志>とだけ理解するのではなく、現実世界のどこにおいても未だ十全には実現していない<法の支配>を示唆するのではないか。すなわち、事実としての戦前の指導者の意志としてだけではなく、私たちが目指すべき<課題>―日本人であるか否かにかかわらず―と解することもできたのではないだろうか。人権、平等、自由、等々、これらを実現するための法の支配。それは西洋であっても未だ十分には達成されていない。至る所で反動も起きている。眞人は西洋から与えられた「課題」を西洋よりも忠実に実現するという役割を担うこともできたはずなのだ。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

しかし眞人は拒否した。これは何を意味するか。宮崎駿がどこまで自覚的かは分からない。だが、眞人の「拒否」は、戦後から現在まで続く日本の<人の支配>の比喩と見なしうる。つまり明治維新以降、150年以上経っても、日本は一度も近代化されていなかったという事実の比喩だ。

6.<法の支配>と<人の支配>-戦後と「虎に翼」

視線を戦後に移してみよう。日本の戦後の政治史というものは、<法の支配>より<人の支配>を優先してきた歴史だった。憲法9条がその代表だが、それは代表格だというだけであって、ありとあらゆるところで、「どんな制度を作ったって運用レベルで人間関係で適当にごまかすんで」、みたいなことをやってきた歴史がある。

例えば90年代の政治改革とは一般的には永田町と霞が関の戦争だったと理解されている。官から政に主導権を取り戻すための争いだった、と。だがその実態というものは、どちらが運用レベルで法律を骨抜きにする権力を握るかという争いだったとも解釈できる。ここを放置し続けたのが日本の戦後の政治史であった。だから第二次安倍政権はその行き着いた先というだけであって、実際には戦後150年を経ても日本はまったく近代化などされていなかったということが問題の本質だと言えるのだ。統計データはいじるわ、公文書は潰すわ、日報は黒塗りにするわ、これらは第二次安倍政権の独自の問題と見られがちだが、実際には明治維新以降150年を経ても日本が<法の支配>より<人の支配>を優先してきたその結果であるにすぎない。

筆者に見えている範囲でも、仲間に引き入れたい人を優遇する<ため>に、邪魔な人を排除する<ため>に、つまり、<人の支配>に正当な理由があるかのように偽装する<ため>にルールを制定し運用することに疑問を持たない人で溢れかえっている。どんなに誤解されても、嫌われても、誰かが傷つこうとも、それとは無関係に絶対に曲げてはいけない原理原則とは何であるのかを考えている人に出会うことは稀だ。

「君たちはどう生きるか」の翌2024年に放送された「虎に翼」はここにメスを入れた作品だった。あの作品の寅子は、フェアなルールによって定められた<法>でしか納得しない。懐柔にも人海戦術にも興味を示さない。場の空気や人間関係、つまり<人の支配>に決して流されることがない人物だった。つまり、「虎に翼」の寅子とは、「君たちはどう生きるか」の大伯父から託された仕事を眞人に代わって引き受けた人物だと理解することができるのだ。

戦時中に「天皇陛下万歳」と叫んでいた大衆はマッカーサーが上陸したとたんに「民主主義万歳」と叫び始めた。彼ら/彼女らは、立場を変えたのか。戦前の反省を経たのか。転向したのか。そうではない。彼らはたんに空気を読んで、人の支配に乗っかっているだけだった。初めから天皇を素晴らしいとも、民主主義が素晴らしいとも、思っていない。眞人が大伯父から託された石を拒否したように、戦前も戦後も「石」の意味を考えようとはしていない。「虎に翼」の寅子の口癖の「はて」はこの欺瞞に対する疑問の「はて」だ。さらには、眞人が大伯父に託された仕事を拒否した理由についての「はて」なのだ。

いま2025年の参院選の直前にこれを書いている。周囲に目をやると参政党の躍進で「民主主義の危機だ」と騒いでいる(ことでセルフブランディングを試みているだけの)人がたくさんいる。だが、日本の近代史でいつの時代に民主主義が成立していたのか。戦後80年は実質的に一党独裁だったから民主主義は機能していない。だけど民主主義のフリをしましょう。さらに本当は平和主義ではない。アメリカの属国だから。でも平和主義のフリをしましょう。〇〇のフリをする。本当はそうじゃないんだけど、分かった上でそのフリをするのが大人の作法なんだという歪んだ道徳観を私たちは身体に染み付けさせ続けてきた。その結果、フリではなく本当にそうなんだと思い込むことができるほどに愚かな人間で溢れかえってしまった。そして今頃になって「参政党許すまじ!」みたいな戯言に興じて自分にうっとりする。「はて」。

(もちろん参政党の政策は危ないものだが参政党を危険だと騒いでいる人の多くは参政党の政策と同等以上に<人の支配>に汚染されており自分自身の参政党「的」な排除性に無自覚であるように見える。彼ら自身が参政党「的なもの」の生みの親であることを直視しなければいけない。)

7.石と額の傷の意味論‐さらにもう一つの

眞人の額の傷は、戦後から現在まで日本で続いている<人の支配>の象徴と解釈することができる。もう一度大澤の解釈に戻ると、大澤はそれを戦前の指導者の過ちの象徴と解していた。その線にはまだ深めるべき問いが残されている。戦前の指導者の過ちとは具体的には何か。大澤はそれを日本がアジアを侵略した「植民地主義」、「帝国主義」的な振る舞いだと述べている(同、273頁)。それが空から降ってきた石が意味する西洋近代に抵触することは明らかだろう。だから、日本は戦後に列強各国からその責任を問われた。だが、日本としては、そうした植民地主義的な行動そのものが西洋に範を取ったものであった。西洋を真似したのに、それを西洋から咎められた。ここをどう考えるか。西洋近代なんてそもそも欺瞞なのか。いや、そう単純ではない。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

植民地主義はたしかに西洋から生まれた。だが、自由、平等、人権を大切にする西洋近代の啓蒙思想は本来的に<普遍性への要求>を含んでいる。だから、それぞれの時代でその条件を満たさないようなルールや行動様式があれば、自らそれを克服し、少しずつ普遍性へと向かおうとするポテンシャルを内蔵させている。男女平等の観念が西洋から発せられたのも同じ理由による。だからかつて西洋で生まれた植民地主義は同じ西洋によって克服の対象へと変化した。日本がアジアを侵略した頃には普遍性を目指す西洋の思想の運動の中では、植民地主義はすでに批判と克服の対象へと変化していたのだ。<法の支配>とは、言い換えれば、こうした普遍性を目指す「自己批判能力」(同、274頁)のことでもある。だから眞人の額の傷とは、たんに戦前の日本の指導者の過ちとだけ解するのではなく、西洋近代の理想を目指す私たちの社会が克服しなければいけない<課題>だと解すべきだと述べたのだ。

西洋近代の理想が欺瞞的に見えるという問題は今もなお私たちに課題を突きつけ続けている。難民問題でも、EU諸国はウクライナからの難民は喜んで受け入れるが、シリアからの難民の受け入れには積極的ではない。西側の発展がグローバルサウスの犠牲の上に成り立っていることの欺瞞にも目を瞑っているところは否めない。だからといって西洋が偉そうに説いている人権や自由など偽善なのか。捨て去ってよいものなのか。そうではない。私たちは、明治維新の直前に降ってきた石の意味を、日本が戦後に列強から怒られた意味を、西洋よりも厳密に受け取ることもできるはずだ。額の傷の意味を、未だ普遍性を満たしていない人間と社会の途上性と理解することができるかどうかが、眞人と寅子の差だと言える。

8.「我ヲ學ブ者ハ死ス」

眞人が塔の中で見た門には、「我ヲ學ブ者ハ死ス」という言葉が刻まれていた。自分は何のためであれば死ぬことができるか、という意味だ。これはつまりは、自分の人生をそれのために犠牲にできる理想や大義は何であるかという問いかけだ。ここまでの解釈をまとめると、それは自分の今の幸福や利便を制限してでも、未来の他者に応答することだったと言える。自由や平等があくまでも<法>によって実現されてゆく社会に近づくために、自分の人生を使う。眞人はその役割を拒否してしまったのだと言える。すなわち、よりよい世の中へ向けて「社会が変わる」と信じられること、それを拒否してしまったのだ。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

社会が変わることを無意識レベルで嫌悪する人というのは一定数いる。主にはネット右翼と言われる人々だ。このタイプの人々は体制が崩壊すること、いや、よりマイルドには、体制が変化することそのものを嫌悪する傾向がある。先のフジテレビの問題などでも、「何か公表できないような事情があったのでは?」のように最初から擁護すると決めているような発想をする。もちろん、筆者も魔女狩り文化には軽蔑しか感じないし、ストレス発散のためのキャンセルカルチャーにも十分に警戒しなければいけないとは思う。だが、それを理由に「社会が変わること」それ自体を嫌悪するのは間違っている。このタイプの人には、自分が属してきた世間が変化することを無意識レベルで恐れているところがある。自分の判断の枠組みそのものが変わってしまうことを無意識に避けようとしている。この手の人はそのほとんどが、社会的にはかなり成功している人であることが多い。だから自分の判断の枠組みを守りたくなるのだろう。

社会が変わることを嫌悪する人のことを「保守主義」と言う。保守主義の父と呼ばれているエドマンド・バークは、『フランス革命の省察』の中で、世直し(=社会が変わるという希望を捨てないこと)は、現状を必要以上に悪しきものと見すぎるからよくないと述べた。耳を傾ける価値がある言葉だ。前世紀の学生運動が陥った罠だし、今のインターネットポピュリズムの原因にもなっている。革命のロマンティシズム、体制に抵抗すること、あるいは、そうしたポーズを取ることで得られるナルシシズムの弊害はどれほどでも強調されてよい。本当に恥ずかしい振る舞いだと思う。

だが、既存のルールの元で搾取されて生きるしかない人に社会が変わるという希望を捨てろというのはもはや暴力以外の何ものでもない。その希望が断たれたとき、人はテロリズムに手を染める。バークのような考えを表面的に受け取って、社会改革を否定するのは、フジテレビ問題への反応からも見て取れるように成功者の立場からの怠慢である。今私たちに必要なのは、あくまでも言論と民主主義とによって、法の支配が正しく機能する社会へと変化するように、自分自身の一挙手一投足を通じて貢献することだ。それも一気にラディカルにではなく、ある程度の速度を保って、現実に、「少しずつ社会が変わると信じられる」ようにすること(急速な変化は社会を破壊するし反動を引き起こすから)。塔の門に掲げられていた「我ヲ學ブ者ハ死ス」という言葉にはそのビジョンがある。

宮崎駿は「我ヲ學ブ者ハ死ス」という言葉の重たさを分かっていると思う。だが、人生の最後にそれを打ち捨てた。そのために生きるものを自分の恋愛感情へと矮小化した。それが彼の本心なのか、戦後日本へのアイロニーなのか、おそらく当人のなかでもぐちゃぐちゃになってしまっているのではないだろうか。だが、この映画を、寅子のように受け取ることはやはり可能であると思う。それは、西洋が私たち日本に教えようとしたことを、西洋以上に徹底して受け取ることなのではないか。

私たちは40年かけて自動車事故の犠牲者数を激減させることに成功している。自動車が普及した直後に人々が溺れたスピードの快楽や飲酒運転を根気強く戒めてきたからだ。プラットフォーム資本主義とインターネットポピュリズムによる民主主義の破壊、資本主義によるグローバルサウスの搾取、局地的な戦争、気候変動等についても同じことが言える。<未来の他者>へ応答するためにどう振る舞うべきなのか。それがこの映画から問いかけられている。もしそう解することができるなら、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」は決して巷間言われているような巨匠の晩節を汚した愚作ではなくなる可能性がある。

 (多田圭介)

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