札幌劇場ジャーナル

札響 第633回定期演奏会レビュー(執筆:多田 圭介)

2020年12月4日(金)、5日(土)札幌文化芸術劇場hitaru

札響第633回定期を聴いた。指揮は広上淳一。プログラムは、前半がソリストにゲアハルト・オピッツを迎えてのブラームスのピアノ協奏曲第1番、後半がストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」。なお、ペトルーシュカは、当初4管編成の1911年版による演奏が予定されていたが3管の1947年版に変更になった。

ブラームスをより興味深く聴いた。オーケストラのみによる長大な第1提示部(※ピアノが出てくる前のオーケストラのみによる提示部のこと)が始まると、いつもの広上とまったく違う趣きが漂う。広上の特徴である明るい音彩、優しい手触り、ウィットに富んだ歌い回しはまったくといってよいほど影を潜めている。代わりに、弦は弓を端までフルに使い、常に音価いっぱいに鳴らし、管もティンパニも分厚く和音を構成する。勢い、色彩感は減じ、モノトーンのような音彩になる。だがその代わりに、巨木のような威容が屹立する。しかも、テンポも目一杯に遅い。体感では付点二分=46ほどで開始され、第2主題のあたりでは40を切るくらいまで沈みこんだ。だが、それでも停滞はしない。息を潜めて春を待ちわびるような生きた呼吸が、静かに、確実に客席に届いてくる。筆者は演奏が始まってすぐに、朝比奈隆が最晩年に新日本フィルを指揮した同曲の演奏を思い出した(Pfは伊藤恵だった)。朝比奈と広上。素朴な朝比奈と瀟洒な広上、普通に考えれば水と油のように思うだろう。だが、この日のブラームスにかぎっては、広上は、かの朝比奈隆のようだった。

冒頭、最強打されたティンパニとHrVaCbの保属音Dに乗って、ブラームスの指示通りmaestosoとしか言いようがないような深々とした第1主題が始まる。注目したいのは、5小節にティンパニに記されたクレッシェンドとデクレッシェンド(<>)。ブラームスは、ここでクレッシェンドした頂点に音量の指示を書いていない(※譜例1)。

譜例1(クリックすると拡大できます)

ということは、普通に考えればその前に指示があるmfの範囲でのクレッシェンドと考えるのが常識だ。しかも、78小節ではクレッシェンドしたその先に、ブラームスはffを書いているのだからなおさらそうだ。だが、広上はこの5小節のクレッシェンドを地鳴りがするようなfffにまでクレッシェンドさせた。これも前述の朝比奈を思い起こさせる一因となった。ただのマエストーソというだけではなく、この作品がよりデモーニッシュな力をも秘めていることを予感させるに十分な開始だった。

1提示部は聴きどころが連続した。25小節から始まる第2主題では、一転してVnの主題が4度、次に6度上昇すると、ほんのわずかにポルタメントがかけられている。だが、ここもいつもの広上のような甘美な味わいはない。どこまでも苦味走っており渋い。すぐ後にcon sordiniで同主題が続くともうシンプルに弾かせている。この辺りのしつこくならない趣味の良さにはいつもの広上らしさがある。第1提示部の再現部にあたる66小節のVaにも注目させられた。67小節からVnに帰ってくる主題を導くDのオクターブユニゾンを、渾身のffで弾かせたのだ。ブラームスも、ここにsempre ffを指示している(※譜例2)。延々と続くユニゾンを、最後までffに拘り、かつそれがこれほど豊かに生きた演奏を聴いたのも、前述の朝比奈以来だった。男性美の極み。

譜例2(クリックすると拡大できます)

また、第1提示部でどうしても指摘しなければならないのは、12小節からバス声部に出てくる半音階進行の扱いだろう。この提示部では、12小節から(第2主題が始まる)25小節まで13小節かけて、Cbを中心としたバス声部が、CisからAまでゆっくりと半音階で下がる。だが、前述のように分厚く鳴らされた場合、この進行が聴こえることはほぼない。オケが轟然と鳴るなかで低音の半音階をクリアに響かせるのは難しいのだ。しかし広上の目はたしかにこの進行に行き届いていた。分厚い音の壁のなかから、ゆっくりと歩みを進める低音の進行が意志を持った音で響く。そして、そのラインが、第2主題において動機へと生成するビジョンが明確に示された。この演奏スタイルをとってなおそれを達成したことが重要だ。(なお、この作品の第1楽章のこうした複雑な構築性を完全に音にした例としては、2009年にエリアフ・インバルがチェコフィルを指揮した録音が挙げられる。独奏はクン=ウー・パイク。)

札幌交響楽団提供

長大な第1提示部が終わりようやくオピッツのピアノが入るとやや意外な印象を受けた。というのも、このテンポ感といつもの広上ならざるデモーニッシュな表情は、オピッツの要望なのだとばかり思っていたが(実際にはそうなのかもしれないが)、92小節からオピッツのピアノが入ると、広上のテンポを否定するように前に進んだのだ。このピアノ独奏では、左手に4分音符が連続するが、この音型は直前のVcから引き継がれている。その上の右手が旋律なのだが、Vcから引き継がれる左手の音型は、完全にインテンポで受け渡されるように書かれている。だが、オピッツが急に速くしたので、この4分音符の音型が突然崩れた。それが心理的に作用したのか、続いてmolt cresc.がかかると(108小節)オピッツの指はもつれ、音楽は一時的に崩壊しかけた。だが、ピアノ独奏だけになるPoco piu moderatoの辺りになるとオピッツの音楽は落ち着きを取り戻し、その後は危なげなかった。この独奏部になると、オピッツの美質が全開になってきた。あくまでも透明なのだが、深緑色の見通し難いような深みを宿した音色で、シンプルで虚飾のない音楽が聴こえてくる。ことにこの独奏部でのアルペジオのシンプルな美しさは印象に残った。展開部終わりに出てくるレッジェーロのパッセージなど(※譜例3)、音楽が完全に自分のものになっているのがよく分かる。バックハウスやアラウの系譜に連なる、小手先ではない大家の音楽だ。

譜例3(クリックすると拡大できます)

また再現部に入ると、広上の指揮も違った(ということはいつもの広上らしい)面を見せる。348小節で木管に出る第1主題を導くVnのアウフタクトに、赤子を優しく撫でるようにポルタメントがかけられる。350小節も同様。ここは、無骨な人間からチラッと優しい側面が垣間見えるようでホッとさせられる。

2楽章では、ピアノが登場する直前のFgがまず素晴らしい。ディミヌエンドしながらもあくまでもピアノへ音を受け渡すという意志がある。ブラームスはこのFg”Solo”と指示しているのだ。また、中間部にあたる41小節も印象深い。ここで加速する指揮者が多いが、広上はあくまでもインテンポ。わびしく、静かなままClの旋律が始まる。Cl奏者もわびしい心が映し出されたような内向的な響きでこれに応える。中間部で出てくる新しい素材(※譜例4)であるだけに何かやりたくなるところだが、禁欲したのが功を奏した。第2楽章ではここに最も感銘を受けた。

譜例4

フィナーレでもオピッツのピアノがあらゆる無駄を排している。ことに65小節からようやく明るいへ長調に転じて出される第1副主題でも、なお抑制が効いている。ここでグッとルバートする演奏は少なくない。やっと光が射して歌が満ちてくる箇所だ。やりたくなるのはよく分かる。だがオピッツは徹底して禁欲的だった。ただ、枯れてはいるのだが、音楽は仰ぎ見るように巨大でもあり、それがこの演奏を感銘深いものにしていたのは間違いない。得意なのだろう。音符が隅々まで身体に入っているのがよく分かる演奏だった。

さて、休憩を挟んでペトルーシュカ。こちらは、前半と一転して微笑みかけるようないつもの広上の音楽。本当に懐が深いというか、つくづく多様な面を持っている指揮者だ。とはいえ、愉悦的な表面に誤魔化されてはならない。冒頭を聴いただけで設計への意志は確かだ。

札幌交響楽団提供

謝肉祭の市場の描写から始まる同曲。店やそこに押し掛ける人々の賑々しさを表現するFlの主題で始まる。続いて、Vcsoliが出てくるが、ストラヴィンスキーはこのVcmfを指示している(※譜例5)。

譜例5:譜例は4管編成の1911年版による

冒頭のFlf。だが、多くの指揮者は、このVcを客に呼び掛ける掛声のように威勢よく弾かせる。マルケヴィッチなどがその典型だ。Flとダイナミクスが逆転してしまっているのもよく聴く。だが広上は、あくまでもmfに抑えた音量で、しかも、それでも音のテンションが下がらないような配慮も怠らない。映画監督が、雑踏を表現するとき、ただ雑踏をそのまま映すことはしない。位置関係、奥行き等を周到に計算し人物を配置する。そのような遠近法感覚がストラヴィンスキーのオーケストレーションにはある。それを大切にしたのがよく分かる。とはいえ、こうした遠近法が全曲に渡って上手く機能したわけではなかった。だが、誠実に音にしようとした姿勢は買いたい。

札幌交響楽団提供

他では管楽器に連続する独奏の見事さ、殊に超高音域が連続するHr、またピアノ独奏を務めた野田清隆のほぼ完璧な技巧(技巧の完璧さだけでいうならオピッツを遥かに凌ぐ)など、個々人の貢献度の高さも際立った演奏だった。とはいえ、いつもの広上のスタイルからするなら、想像の及ぶ範囲の演奏であったこともたしかで、その点で前半のブラームスのほうがより印象に残った12月定期だった。

(多田 圭介)

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