札幌劇場ジャーナル

小林愛実 ピアノ・リサイタル(6月11日@札幌コンサートホールKitara)執筆:多田 圭介

シューマンのアラベスクが鳴り始めてすぐに、時間がたわむのを感じた。まるで、水に溶いた絵の具が水面に落ちて、それがゆっくりと、じわっと、広がっていくようだった。だんだん輪郭がなくなってゆくが、完全に融解してしまうのを音符がぎりぎり繋ぎとめる。自我が世界と衝突するのを嫌がり、どこまでが自分でどこからが自分じゃないのか分からない、融け合った世界に行きたがっているようなアラベスクだった。一気に違う世界に連れ去られるようで、プログラム最初の小品だけで「これは類稀な個性だ」と直感させられた。

アラベスクの最初の16分音符のアウフタクトが憂いを秘めた音でたっぷりと響くと、小林はリタルダンドのたびに輪郭が消失する寸前までディミヌエンドする。明快な3声の書法が1つに融解する。4声になるMinoreⅠ。ここはソプラノとテノール声部がオクターブでユニゾンになり実質的な3声で始まる(※譜例1)。小林はこのオクターブのユニゾンを、1回目にソプラノ声部を強調し、リピートすると一転テノール声部に意識を乗せる。そうしてまた深く水面に沈みこんでゆく。MinoreⅠの終盤のRuhigerでは、もう完全に小林の自我は見えない。聴こえない。冒頭の主題が回帰しても、もう水面をただ漂っている。

譜例1

もちろん小林は、この作品の明快な声部の書法を理解していないのではない。むしろ反対で完全に掌中に収めた上でこう弾いているのだ。MinoreⅠの声部の緻密なコントロールがそれを物語っている。技術的な制約を完全に超えており、小林の内面が、無意識が、ストレートに響いてくるようだった。

人間の創造性というのはすべて破壊性を含んでいる。そんなに難しい話ではない。新しい製品を開発すると古い製品は追いやられる。もちろんそれ自体は悪ではない。むしろ人間の好奇心や知的欲求の裏面に過ぎない。だが、小林のピアノはその意味での創造性から距離を取りたがっているように感じられる。より新しく、より先へ、一直線に進む時間からの退避。それが時間のたわみとして聴こえたように感じた。

(c)Darek Golic/Chopin Institute(ショパンコンクールの際に撮影)

小林の音楽は強固な個を主張することに抵抗があるように感じられる。フォルテ主体で強く自己を主張するとき、世界と自己が衝突するとき、小林の音楽はどこかで声にならない悲鳴をあげるように感じられる。技術的に無理がきている「悲鳴」ではない。指回りは常に余裕がある。オクターブも難なく弾く。もっと本質的な音楽性のレベルでそうなのだ。どの曲を弾いていても常に世界との衝突を嫌がり、融け合った世界へ行こう行こうとしている。演奏家自身はこうした自分の特徴に無意識なことが少なくないが、小林は自分のそうした特徴を知りぬいているように感じる。作品理解、演奏の構成、実際に出てくる音楽、それらがぶつかっていないのだ。だが、作曲家の魂とは結果的にすれ違うことにもなり得る。2曲目のシューベルトがそうだった。

シューベルトのソナタ第19D.958は、彼のピアノ作品のなかでも特に激情的な性格を持つ。失われた日常を手に入れるために世界を変えようとするが自意識しか変えることしかできない葛藤。そんな近代文学が辿ったドツボをなぞったような音楽だ。冒頭のハ短調の和音からシューベルトの自我は世界と真っ向から衝突する。だが、やはり小林のピアノはそれをよしとしていない。シューベルトの音楽と小林の心に距離を感じる。奏法に不合理なところはなく楽器はしっかり鳴っているのだがどこか無理しているように聴こえる。小林のピアノと音楽に齟齬が消えたのは第2楽章。主題が再現されてオクターブ上がる51小節。ここの、すべての夾雑物が一掃された純粋な響きには小林の心からの共感が聴こえた。だが、直後に3連符主体で短調になると音楽に身を任せるのを拒むように音が行き場を失う。

小林は当日配布されたパンフレットでこれからシューベルトに力を入れたいと語っているが、シューベルトのどういった面に関心があるのだろうか。即興曲のD.899-2やアレグレットD.915、あるいはソナタでも優しい歌が連綿と続く第13D.664などは今の小林に合うように思うが、D.958のソナタは今の小林の心境とは異質であるように感じられてならなかった。技術的にこれほど見事に弾きこなしているにもかかわらず、最後まで作品との齟齬があった。ただ、これは批判ではない。小林愛実という音楽家が高い技術とコンセプチュアルな音楽性を持っていることの証明ともいえる。技術に少しでも不足があれば本人の内面と関係なく熱演になってしまったりするからだ。むしろ、小林は自分の本質を知りぬいているがゆえに、それを超克するために今回シューベルトのそれもD.958を選んだのかもしれない。終演後、そんなことにも思いを巡らせられた。

(C) Makoto Nakagawa

後半はショパンの前奏曲集op.28op.28に関しては、全曲に渡って小林の自信が漲っていた。後半に連続するフォルテ主体の曲でもここでは世界を征服し尽さんとする意欲のようなものが出てきた。まず第1番ハ長調。音一つ一つの存在感が前半とはまるで違う。遅めのテンポで悠然と始まると、持続的なクレッシェンドがかかる頂点の21小節で小林はフッと力を抜いた(※注)。音楽が完全にモノになっているのでまったく違和感がない。辺りをはらうような風格が出てきた。

(※注:この16-21小節にかけての持続的なクレッシェンドの頂点には、いくつかの出版譜で”fff”が付されているが、この”fff”はショパンの自筆譜には存在していない。小林はそれを考慮したとも考えられる。)

さらに素晴らしかったのは第8番嬰へ短調。右手親指の付点8分音符に32分の装飾がかけられ、それに左手の3連符が重なる。小林はリズミックな音型を鮮明にしつつ右手親指の付点8分を克明に弾き、32分のレガートを完璧に、だがあくまでも控えめに弾く。しかし頂点を迎える23小節で、満を持して32分の装飾が、宙を舞うように、華麗に前面に出る(※譜例2)。この辺りはすべての聴衆が息を呑んだのではないか。王者の風格があった。満席の会場にはこの作品を弾いたことがある人も多かったことだろう。自分もこんな風に弾いてみたい。そう憧れさせるに十分だったはずだ。なかなかこんな風に弾けるものではない。「雨だれ」の嬰ハ短調になる中間部のねっとりとした、あくまで心理的な威圧感も外から付け加えられたものではない。小林の身体の奥深くから出てきている。こうした要素は前半のプログラムでは聴くことができなかった面だろう。

譜例2

ただ、それでもそれが小林の本音であるかどうか。筆者にはそうじゃないように感じられた。後半のショパンop.28でも、小林の音楽が最も生きていたのはやはり弱音主体で各声部が融解してゆくような瞬間だったからだ。筆者がもっとも惹かれたのは第17番変イ長調のsotto voce以降だった。小林は、ただただ音が漂うだけで、まるで風に吹かれて枝が揺れるように弾く。テンポも遅い。一定の歩幅で歩みを進めるのとは違う時間が流れている。ときおり意識が戻るようにスフォルツァンドのAs音が世界に痕跡を遺す。やはりこうした融解した世界に小林の本音があるように感じられてならなかった。

(c)Darek Golic/Chopin Institute(ショパンコンクールの際に撮影)

アンコールで弾いたショパンのワルツop.42には小林の素直な気持ちが最もストレートに表れていたように感じられた。長いトリルの後、2拍子の旋律に左手の3拍子が縦に交錯するが、小林はそれを強調しない。異質なものの併存を強調するのではなくそれと意識させないように柔らかく流れてゆく。これももちろんアナリーゼできていないのではない。小林がそう感じているのだ。音がどれほど増えてもそれも意識させない。聴きたかったら聴いてってくださいと謂わんばかりにスーッと流す。それがいかにも上質で、今の小林はこうした曲目を数曲集めたサロンコンサートのようなプログラムが一番ハマるのではないかと感じた。アンコールでは幻想即興曲も弾かれたが同じことが言える。中間部で思い入れたっぷりにテンポを落とすのではなく、やはりスッと通す。ときおりディミヌエンドが融解する。これがなんとも上質なのだ。

卓越した技巧を持ちながらそれを誇示することに関心がない。そんな小林のピアノを聴いて、世阿弥の『風姿花伝』にいう「妙花」の境地を想った。世阿弥は『拾玉得花』の安位において以下のようにいう。

「無心の感、妙花、同意なり。さりながら、その位の有主風を得てこそ、真実の安き位なるべけれ。無位真人という文あり。形なき位といふ。ただ無位をまことの位とす。」

小林が目指しているのはこの無心、妙花の境域であろうと思われた。無論、まだ「目指している」という表現にとどまるのも確かだ。まだその境域と自己が完全に一致はしていないがゆえに、小林の音楽には、まだ若干の硬さと意識への拘りが見え隠れしている。小林は長い演奏家人生が始まったばかりだ。これからどんな変遷を辿るのだろうか。いつか無位の境地を見せてくれるだろうか。そのときどんなプログラムを組むのだろうか。楽しみにしたいと感じつつ会場を後にした。

(多田圭介)

 

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