札幌劇場ジャーナル

【STJ第8号掲載】サー・アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル 10/29@札幌コンサートホールKitara(執筆:多田圭介)

さっぽろ劇場ジャーナル第8号の完成記念に、紙面に掲載している記事の一部をWebでも公開いたします。今回は8面のコンサートレビューより、22年10月にKitaraで開催されたサー・アンドラーシュ・シフのピアノリサイタルのレビューをご覧ください。(事務局)

事前にプログラムを発表せず舞台でレクチャーを交えつつ一曲ずつ演奏された。その意図についてシフはこう述べる。「昨今、コンサートはきわめて予測可能なものになりつつあります。果たしてそれは良いことでしょうか。【略】ぜひサプライズと新しい発見を体験していただきたい」。事前にプログラムを発表してしまうことで予測可能になってしまうのを回避するというのが、このレクチャーコンサートの意図だという。

たしかに、音楽という芸術は、映像などの複製可能な芸術と違い、一回一回の上演が唯一無二であり、再現不可能な「終わり」に向かう取り返しのつかない「切断」だと言える。シフはこの意味での一回性を取り戻すためにこうした公演形態を選んだのだ。しかし、もう少し考えてみよう。映像が複製可能であることは論をまたないが、音楽や演劇にも台本や楽譜が存在する限り、何らかの度合いで「反復可能」な芸術ではある。舞台にかけられた台本や楽譜は、その都度、差異を孕みつつ反復される。音楽というメディアはこの意味で一回性(差異)と反復という自己矛盾を本質的に内に宿しているのだ。

そうであれば、シフがいうような「予測可能」になってしまい、その結果、発見がなくなってしまうのは、プログラムの事前発表という公演の「形態」によるのではなく、あくまでも公演の「内容」のほうにその責があるはずなのではないか。事前に曲目が告知された形態にはそれに応じた、同様に、当日本番中に曲目を公表する形態にもそれに応じた形式がある。それぞれの形式のなかで、反復されつつ、そこに「差異」が生まれるのであるから、それが「新しい発見」の喜びにつながるはずだ。 

ただ、シフの言いたいことは分からないでもない。連日のように同じような曲目が並ぶ公演に足を運んでいると「またこれか」となるのも確かだからだ。それは演奏する側でも同じはずだ。だが、よく考えると、どんな上演形態であっても、どれほど馴染みがあって新鮮味を失った形態であっても、実際には、私たちはただ反復するだけで「差異」に接している。音楽の方から刺激を与えられることに慣れ過ぎてしまい、自分でその差異を見つけ出す方法を忘れてしまっているのだ。これは、舞台の上演に限ったことではない。私たちはただ生きているだけで物語に接してしまっている。よって発見の喜びが「ない」のは上演形態にその問題があるわけではない。

私たちにとって馴染み過ぎた形態の外部にいったん出ることによって、実は問題の本質はそこには「ない」ということを、シフ自身が身を持って示したところに、この公演の意義はあったと言える。どんなに同じことの反復に見えても、私たちの時間は、実際には物語に溢れ、ときに私たちは死に対峙させられている。なんらかの舞台がつまらないのは、その公演形態がつまらないからではない。世界から、日常から意味や物語を引き出すことができない、私たち自身がつまらないときにそうなるのだ。

おそらく、シフ自身が当日の公演中にそのことに気づいていったのではないかと感じた(そうでなくてはならないだろう)。シフが奏でる決して媚びない凛とした音楽は、演出されたものではなかった。いたずらに興奮する様子もなく、高揚するときも軽くなったり絶叫したりしない。音楽の雰囲気が変わる箇所での、ゆったりとした、それでいつつ明確な表情はいたずらに物語を欲する態度とは真逆なものであった。自然体から立ち昇る品格の高さがある。

プログラム最後のベートーヴェンのop.110、結尾の巨大なフーガは、一見するとまさに淡々としており、文字通り「何も起こらない」。だが、耳を凝らすと、そのなかでシフはときに死に対峙し、愛について黙考し、そして、静かに確信してゆく。何に?生きていることそれ自体が物語なのだということにである。3時間半という常軌を逸した時間をかけて、シフとともにそのことに気づかされた筆者は、終演後に心地よい疲労を感じつつ、木皿泉が書いた脚本のあるセリフを反芻した。

「また似たような1日が始まるんだね」。
「似たような1日だけど全然違う1日だよ」。
          (TVドラマ「すいか」最終話より)

(多田 圭介)

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