札幌劇場ジャーナル

<全3回シリーズ>【 特大増補改訂版 】ブルックナーディスク選① 交響曲編 前編(交響曲00番~4番)

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紙の第10号の企画「ブルックナーディスク選」の評判がよかったので、執筆者と曲目を大幅に増やして特大増補改訂版をお届けすることになりました。ブルックナーを心から愛する5人のゲスト執筆者を迎えて(+私)、存分に語ってもらいました。ブルックナーイヤーを締めくくる企画です。年末にごゆっくりお楽しみください。(編集:多田)

交響曲編の後編(交響曲5番~9番)はこちらから

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交響曲 前編 もくじ

交響曲00番(ヘ短調)

【遠藤選】ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル響、Naxos、1995年録音

ブルックナーの録音を数多く遺したティントナーの、ほぼ最後の時期の録音。それだけに演奏の質が高く、とりわけ半音階による色彩の微妙な変化が美しく決まっている。習作という先入観にとらわれずに堂々と演奏しており、特に遅めに演奏したスケルツォの立派さが印象的。全体として、高音の伸びやかさが、幸福感を引き立てている。僕は、ブルックナーの音響には高音の美しさが不可欠だと考えているが、それを実践してくれた演奏。(遠藤)

【甲斐選】ヤング/ハンブルク・フィル、Oehms、2013年録音

ヤング指揮ハンブルク・フィル(Oehms)が、反復を全て実行しながら、もたれることのない名演だ。シューマン風の佳作を、中期、後期様式に寄せることなく演奏している。未CD化だが世界初録音のシャピラ指揮ロンドン響(EMI/youtube)も挙げたい。ノヴァーク版出版前の、自筆譜に基づくと思われる唯一の演奏だ。余談だが、綽名の第00番は、ドイツではトイレの部屋番号、代名詞であるためか、独語圏のディスクにはほとんど表記されていない。(甲斐)

【武尾選】スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団、Oehms、2001年録音

この曲の最大の魅力はブルックナーの他の交響曲にもまして木管楽器が活躍することだ。特に第2楽章や第3楽章での木管アンサンブルはブルックナーが木管の扱いを先人から十分に学んでいたことを窺わせる。ザールブリュッケン放送響の倍音の豊かな木管が美しいこの盤をとりたい。ことさらにブルックナー色を押し付けず、シューベルトやシューマンに学んだ瑞々しいブルックナー像を結んだスクロヴァチェフスキの造形も好ましい。(武尾)

【福島選】ティーレマン/ウィーン・フィル、DG、2021年録音(Blu-ray)

「習作」「00番」などとも呼ばれる39歳の作。「0番」を含む番号付きの霊感には欠けるかも知れないが、ティーレマン&VPOの手に掛かると自立した魅惑の作品と化す。観客なしのムジークフェラインは残響豊かで、正装で臨んだ音楽家たちの作品への共感度は計り知れない。この処女品がウィーン・フィルによって記録されたことの意義は大きく、ティーレマンの指揮にも急ハンドルや急ブレーキを弄んでいた頃の面影はすっかり薄れている。(福島)

交響曲0番

【遠藤選】下野竜也/大阪フィル、Avex Classics、2005年録音

身を委ねられる壮大な響きを造るブルックナー指揮者は数多いが、下野は身を委ねられる「テンポ」を造り上げる独特の個性を持ったブルックナー指揮者。(遠藤)

【甲斐選】朝比奈隆/都響、フォンテック、1982年録音

朝比奈指揮都響(フォンテック)は、おおらかでスケールの大きい指揮に、好調の都響が応えた名演。本来第2番にあたり、第1番の「新ドイツ派」の影響、ミサ曲第3番の宗教性と、ベートーヴェン第9の構造を統合した、ブルックナー独自の交響曲様式の出発点となる重要作だ。ウィーン・フィル試演時の不評により、作曲家自身が自筆譜、筆写譜に「Ø」「Nullte(無価値な物)」などと記したため「第0番」と綽名されるが、あくまで愛称であり、通し番号でも標題でもないことに留意したい。(甲斐)

【武尾選】デニス・ラッセル・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管弦楽団、Arte Nova、2008年録音

この録音で注目されるのは「繰り返し力」である。他の交響曲にもまして繰り返しの要素が多いこの曲で、デイヴィスは繰り返しの最小単位となるモティーフを丁寧に磨き上げ、それを積み重ねる過程で様々な変化やずらしを施しつつ、巨大な音塊に成長させてゆく。これはミニマルミュージックにつながる手法で、フィリップ・グラスの盟友でありそのよき再現者であるデイヴィスだからこそできた表現なのではないかと思う。(武尾)

【福島選】ヴェンツァーゴ/タピオラ・シンフォニエッタ、 CPO、2010年録音

ヴェンツァーゴによる交響曲全集のユニークなところは、例えば「3番」は第3稿を選びつつ「4番」は初稿を選ぶという版選びの自由さ。そして、5つのサイズ感や特質の違うオケを曲毎に振り分けたとこと。「0番」では小編成の室内オケを起用。ヴェンツァーゴの透徹したスコアの読みと弦のノン・ヴィブラート奏法が相俟って、作品の構造が透けて見えるような名演となった。その透明感は、まるで無伴奏合唱のモテットを聴くような趣すらある。(福島)

【多田選】①スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送響、ARTE NOVA CLASSICS、1999 年録音、②スクロヴァチェフスキ/読響、DENON、2014年録音

複雑に絡まった糸を丁寧に解きほぐし、そこに温かく血を通わせた名匠の最良の仕事。終楽章のコーダのティンパニの最強打など好調時の彼の雄渾な側面が垣間見れるのも嬉しい。読響2014は会場で聴いて忘れられない記憶となっている。(多田)

交響曲1番 リンツ稿

【遠藤選】スクロヴァチェフスキザールブリュッケン放送響、Oehms、1995年録音

作曲家でもあったスクロバチェフスキは、ブルックナーが書いた音符を使って新たな音楽を紡ぎだすように演奏した。特に展開部が個性的だ。彼が凄いのは、そうした独特な演奏が、作品の魅力を生かし、説得力を高める方向に作用したこと。そうした彼のスタイルは、粗削りな初期の交響曲で特に威力を発揮した。私見だが、彼はブルックナーの交響曲の中に、受難の物語を見て取ったのではないだろうか。彼のブルックナーを何度も聴けたのは幸いであった。(遠藤)

【武尾選】ヤノフスキ/スイス・ロマンド管弦楽団、Pentatone Classics、2011年録音

ヤノフスキのブルックナーはどれも引き締まった筋肉質の演奏であるが、この1番で発揮されたのはヤノフスキの「整理する力」である。この曲は音型や進行がかなり複雑で、ある意味「ごちゃごちゃ」した所があると感じるのだが、ヤノフスキはその複雑に絡み合った糸を明快に解きほぐす、まさに快刀乱麻の演奏だ。特に細かい音型が続く第2楽章をこれほどすっきりと聴かせる録音は稀有だと思う。(武尾)

【福島選】カラヤン/ベルリン・フィル、DG、1981年録音(180g重量盤LP)

装いを新たにリリースされたカラヤン&BPOによる交響曲全集(17LP)は、ブルックナー録音史におけるひとつの金字塔である。リマスターされた音の生々しさ、「1番」以外の8曲をすべて2枚組とする贅沢なカッティングなど、DG関係者の本気度が半端ない。「1番」に臨むカラヤン&BPOは、演奏能力を見せつけるような外連味を排し、ゆったりとあるがままの音を奏でる。それでいて、両端楽章コーダでの怒濤の迫力が比類無いのだから堪えられない。(福島)

【やまね選】ヤノフスキ/スイス・ロマンド管弦楽団、Pentaton、2011年録音

ヤノフスキらしい引き締まったアンサンブルが終始心地よい。スイス・ロマンド管の自然な風合いのある音色(特に木管!)が活きていて魅力的だ。清澄な響きの中に9番に至るまでの萌芽が聴きとれる。ブルックナーというと彼岸の境地に浸るような名演が多いが、これはまるでベートーヴェンの運命交響曲のように強い意志で求心的に攻めていく雄渾な男の音楽だ。テンポは全体に速めだが無理に急かされるところは全くなく、マエストロの語り口の確かさに痺れる。(やまね)

【多田選】ヨッフム/ドレスデン・シュターツカペレ、Warner Classics(EMI)、1978 年録音

シューベルト的な歌謡性とベートーヴェン的なユーモアがミックスされたような素朴でおおらかな魅力が際立つ。伸びやかな歌、劇的な展開、聴きどころが次々に押し寄せる。深々とした瞑想的なアダージョ、火の球のようなスケルツォ、フィナーレのグワッと視界が開けてゆくような漸加速も貫禄を感じさせる。それに勝利宣言のような終結にも魂が震える。今回色々と聴き直したがやっぱヨッフムは偉大だったのだと思った。ただ、こうした「迷いのなさ」に美を見出すのは少々難しい時代になってきたのもたしかで、もう歴史的な記録なのかなとも感じた。やや単純な曲の限界もあるかもしれない。指揮者の眼でより複雑に再構成されたスクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放響もよい。(多田)

交響曲1番 ウィーン稿

【遠藤選】ヴァントケルン放送響、RCA、1981年録音

ヴァントは硬質な音響が魅力。凝縮し過ぎる響きはブルックナーを矮小化する危険性が高いが、ヴァントの場合は、外へ発散するエネルギーをも兼ね備えた、破格の響き。構築物のように立体的だ!ポリフォニーが複雑で厚みがあるヴィーン稿の使用で、こうしたヴァントの特長が増幅する。また、飾り気の無い厳しい風格が、ヴィーン稿の豊かな色彩感をかえって引き立てている。ダイナミクスに軽い潤色を加えるなど、細部へのこだわりもヴァントの特徴だ。(遠藤)

【甲斐選】ヒメノ/ルクセンブルク・フィル、Pentatone、2016年録音

ブロシェ版は、筆写譜に基づくハース版に、自筆譜の要素を手書きで加えた、実質的にほとんど同じものである。ヴァントの名演には独自の見解が反映され、特に終楽章コーダ第353小節の減速を無視しているので、初版に近い形になっている。シャイーやネルソンスの極端にテンポを落とした、大河が大海に流れ込むが如き壮大な終結は、本作改訂後に着手したが未完となった、第9番終楽章の幻のコーダをも彷彿させる。ヒメノはそこまで強調していないが、より自然にウィーン稿を楽しめる。(甲斐)

【福島選】ヴァント/ケルン放送響、BMG JAPAN、1981年録音(LP)

はじめてウィーン稿を聴いたときには拒絶反応しかなかった。「1番」の魅力である「向こう見ずなエネルギー」が老獪さに変じられていたからである。しかし、いまは「8番」と「9番」の間に置かれた「番外編」として味わっている。素材こそ「1番」ながら、突如現れる前衛的なハーモニーや深淵を覗くような精神性は完全に「9番」の世界。その畏れにも似た魅力を教えてくれたのは、わたしが最初に拒絶したギュンター・ヴァント指揮ケルン放送響盤である。※ただし、わたしの愛聴するのは、独Harmonia MundiによるLP。(福島)

【多田選】ヴァント/ケルン放送響、RCA、1981録音

ヴァント盤はウィーン稿独自のアクセントやアーティキュレーション、それに(評判が悪い)オーケストレーションを徹底的に音楽に活かした決定的な労作。この稿はかなりコアなブルックナーのファンにも敬遠されがちだが、そういう人こそぜひこの録音を聴いてみてほしい。すべてに意味があるように聴こえて驚かれることと思われる。ウィーン稿は下野竜也も得意としており、彼が実演でこの稿を振るときはなんとしても駆けつけたい。ライブでは筆者の地元の札響&下野も素晴らしかった。(多田)

交響曲1番 ウィーン稿 ヒュナイス校訂初版

【甲斐選】①アンドレーエ/オーストリア国立管、abruckner.com、1950年録音、②アドラー/ウィーン響、Naxos、1952年録音

古い録音だが、F.アンドレーエ指揮オーストリア国立管(abruckner.com)とアドラー指揮ウィーン響(Naxos)がある。いずれも基本快速のドラマティックな演奏で、初版時代の演奏様式が偲ばれる。終楽章第293小節から22小節のカット可という、斬新な不協和音を回避する指示があるが、両盤ともカットしていない。ハース/ブロシェ原典版と異なりコーダ第353小節の減速指示がない。ヴァントとイム・ホンジョンは原典版なのに減速せず初版と同じになっている。(甲斐)

交響曲2番 1872年初稿

【遠藤選】ヤングハンブルク・フィル、Oehms、2006年録音

ヤング指揮の初稿は新日フィルで4番を聴いたが、オケの自発性を生かした歌と、立体的な響きが印象的な堂々たる演奏だった。この2番初稿の録音も、おおらかな歌いまわしや、伴奏と主旋律のリズムの衝突が印象的な、立派な演奏だ。また、初稿独特の長大なフィナーレが、希望に溢れているのも良い。ただし彼女の一連の初稿盤は、音質が不鮮明なのが残念だ。もっと音質良く録音されていれば、彼女の評価はもっと上がったと確信する。(遠藤)

【甲斐選】アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管、カメラータ、1991年録音

キャラガンによる解説付きのアイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管(カメラータ)を推す。各楽章の最初期状態を復元しており、第2楽章スケルツォの楽章順とアダージョ第5部の6連符が特徴だが、全曲完成時には既に修正されていたので問題とされる。それを除けばハース版との違いはさほど大きくない。ハースが削除した終楽章の奇妙な音楽には、ハースのセンスの良さを思い知らされる。全曲完成時の姿を再現するはずの、ヴェネガス校訂新版の出版が待たれる。(甲斐)

【多田選】ティントナー/アイルランド国立交響楽団、Naxos、1996年録音

柔らかいイントネーションとなだらかな曲線美に彩られており聴いていると優しい気持ちになる。響きもよく練り上げられているため、キツい音を一度も使わないのだがそれでもまったく飽きさせない。この版の魅力でもある木管やホルンの活かし方も本当に巧い(がごく自然)。すべての要素が後述のインバルと対照的で2番という作品の奥深さを感じさせてくれる。こちらもぜひ。(多田)

交響曲2番 1872年初稿1873年初演版

【甲斐選】アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管、カメラータ、1991年録音

アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管(カメラータ)が唯一の録音。1873年ウィーン万博会場で作曲者指揮ウィーン・フィルにより初演された際の形態。スケルツォは第3楽章で反復廃止。第2楽章のアダージョに長いヴァイオリン・ソロがあり、第5部は5連符で、コーダのホルンをクラリネットとヴィオラに変更。フィナーレのコーダ前に第2稿と異なるカットがあり、第1楽章の静かな回想から突然ハ長調のコーダが始まる唐突感が凄い。(甲斐)

交響曲2番 ハース版

【甲斐選】エッシェンバッハ/ヒューストン交響楽団、Amazon music、1996年録音

カット可部分とスケルツォの繰返しを全て演奏し、遅いテンポで弛緩することなく雄大精緻に仕上げた、エッシェンバッハ指揮ヒューストン交響楽団(amazon music)を推す。ハース版は初稿と1877年第2稿の「いいとこ取り」をした「理想稿」であり、無理に繋げるための編曲さえわずかながらある。だがハースにはブルックナー音楽の神髄に迫るセンスがあり、学術的に問題でも音楽的には優れることから、現在も選択する指揮者が後を絶たない。(甲斐)

【武尾選】ヴェンツァーゴ/ノーザン・シンフォニア、CPO、2011年録音

「重厚長大」というブルックナーの既成概念を覆すヴェンツァーゴ。この2番の録音の特徴は弦にノン・ヴィブラートを要求していることだ。いわゆるピリオド演奏(ブルックナーの時代の楽器や奏法を再現した)とはちょっと違うが、戦略として採り入れたこの奏法がこの曲の旋律の美しさを引き出すことに見事に成功している。特に第1楽章冒頭主題がノン・ヴィブラートですっと切り込んでくるあたりは旋律が天から降臨するが如く清冽だ。(武尾)

交響曲2番 第2稿 1877 ノヴァーク版

【遠藤選】シュタイン/ウィーン・フィル、Decca、1973 年録音

シュタインの魅力はリズム。朴訥とした味わいと、豪放な生命力がある。これは史上最大のブルックナー指揮者・マタチッチと双璧。(遠藤)

【甲斐選】ヨッフム/ドレスデン国立管、EMI、1976年録音

ヨッフム指揮ドレスデン国立管(EMI)は、フィナーレの異常な速さなど、好好爺然とした容貌からの先入観で言われる中庸な演奏では全くないが、瑞々しい響きが魅惑的で、ことにアダージョが絶品だ。この版は、ハース版に第2稿の細部を追加し、初稿由来のカット可部分(”vi-de”)のカットを序文で推奨した、事実上のハース版の増補改訂版である。音楽之友社スコア(1986)序文邦訳に、ノヴァークが ”vi-de”  を記したとあるのは誤訳で、ハース版から存在している。(甲斐)

【福島選】ヨッフム/バイエルン放送響、DG、1966 年録音

実演で聴いた「2番」のベストは、朝比奈隆&都響のライヴ録音(1986 年)。宇宙的なスケールによる名演はCD 化されている。しかし、和声の移ろいに対する深いところでのオーケストラの共感度から、ヨッフム&バイエルン放送響盤を挙げておきたい。SACD の音には満足できず、相変わらすアナログ盤で味わう日々。(福島)

【やまね選】カラヤン/ベルリン・フィル、DG、1981年録音

第2番は地味で実演の機会が特に少ないものだろう。今回ブルックナーについて書く機会をいただいて手持ちの音盤を改めて集中的に聴くに、この曲の微細に移ろう奥ゆかしい魅力に多くの発見があった。押し出しの強い他の番号に比べると2番は本当に難曲で、実演を聴くとまるで違った印象になるのだろう。定盤ではヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン盤かもしれないが、若杉盤と共にカラヤン盤も素晴らしい。カラヤンのブルックナーは流麗すぎるという評価が一般的かもしれないが、この第2番では研ぎ澄まされたスーパーオケによる抑制された表現力は格別なもののように思える。けして厚化粧なんかではない。カラヤンのブルックナーでは第6番と共に特に素晴らしい録音だと思う。(やまね)

【やまね選】①若杉弘/ザールブリュッケン放送交響楽団、SONY、1992年録音、②若杉弘/NHK交響楽団、Altus、1997年録音

若杉弘の第2番は録音が2種類ありどちらも見事だ。ザールブリュッケン放送響の響きは研ぎ澄まされ力まない軽やかさがある。一方、N響の響きは重厚で彫りが深く、歌い口はより濃厚だ。両者に共通しているのはテクスチャの明瞭さで各声部の展開が無理なく聴きとれる。若杉のブルックナー演奏の評価は生前、朝比奈隆の陰に隠れ気味だったが見直されるべきだろう。これはむしろ今風の解釈かもしれない。(やまね)

【多田選】インバル/都響、Exton、2011年録音

前述のティントナーと真逆。凛とした厳しい音響で次々に耳に飛び込んでくる楽想を明晰・明快に抉り抜いてゆくインバルの真骨頂。油断しているとあまりの情報の多さに精神を破壊される(始まってすぐ33~36小節で突如ルバートが現われ絹のようなレガートに覆われるなど、かなり攻め込んでいる)。音像は常に氷の結晶のようなのだが、テンションが凄まじく高い上に、どれほど加熱しても融けない不思議な氷。終楽章で引用されるへ短調ミサのキリエのテーマはまさに神秘。一度聴いたら耳を離れなくなる。ただ、あまりに完璧に鍛え上げられているせいで、他の演奏が全部アバウトに聴こえるようになってしまうという弊害は小さくはない(涙)。(多田)

交響曲2番 第2稿 1877 キャラガン版

【甲斐選】ヤノフスキ/スイス・ロマンド管、Pentatone Classics、2012年録音

スコアを精緻に再現したヤノフスキ指揮スイス・ロマンド管(Pentatone)を推す。ノヴァーク版1877年稿(1965)から初稿由来部分を完全に取り去った、実に42年ぶりに出版された真正の1877年稿である。バレンボイム指揮ベルリン・フィル(1997)による出版前の初録音から、肝心の出版まで10年を要したことも記憶に留めたい。更に手を加えた初版に近い内容で、キャラガン出版譜には違いが目立つ初版の終楽章コーダが付録になっている。(甲斐)

交響曲2番 ヒュナイス校訂初版 1892

【甲斐選】マンデアル/クルジュ・ナポカ・フィル、Tobu、1984年録音

CD化で入手が容易になって初版初録音と判明したマンデアル指揮クルジュ・ナポカ・フィル(Tobu 1984)は、重厚なオケと遅いテンポの雄大な演奏で、これならカットの多さもあまり気にならない。イム指揮韓国響(Decca 2017)の新録音が初版だったのも驚きだった(国内発売元情報はノヴァーク版第2稿)。第2稿を基にして、細部の変更と更なるカットが施されているが、基本的に同じ稿のヴァリアントである。ノヴァークはこれを基に第2稿原典版を作るべきだった。(甲斐)

交響曲3番 初稿 1873(ノヴァーク版)

【遠藤選】インバル/フランクフルト放送響、Teldec、1982年録音

僕は駆け出し愛好者の頃から、いずれの交響曲も初稿を熱愛してきた。ブルックナーの才気が、より長く、より独創的に暴発しているからだ。これは、インバル盤という理想的録音があったればこそ。(遠藤)

【武尾選】ポシュナー/ウィーン放送交響楽団、Capriccio、2022年録音

僕は3番では第1稿が最も好きだ。ヴァーグナーの引用が生のまま残されている点もいいが、何よりブルックナーの荒ぶるエネルギーが爆発的に発散されているのが最大の魅力だ。このエネルギーを速めのテンポと綿密な解きほぐしで最大限に再現し得たポシュナーの録音。特に終楽章のテンポはオケの限界に近づいているほどメチャクチャ速いが、これによってブルックナーの芸術至上主義的な無茶振りが炙り出されてすこぶる面白い。(武尾)

【福島選】ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、Querstand、1998 年録音(SACD)

菜食主義者ブロムシュテットの振るブルックナーは、精進料理のように脂気 がなく、かつて、主に後期作品の再現に物足りなさを憶えることもあった。しかし、 この「3番」初稿の伸びやかさ、瑞々しさはどうだろう。ブルックナーの音楽 が本質的に「後期ロマン派」の範疇の外にあることを、証明している。(福島)

【多田選】①ヤング/ハンブルクフィル、Oehms、2006年録音、②ロト/ギュルツェニヒ管、Myrios Classics、2022年録音、③インバル/台北市響、台北市立交響楽団、2023年録音

この作品の第4楽章は、初稿が764小節だったのに対して第2稿が638小節、第3稿が495小節と大幅に短縮されている。だが、このカットされた269小節にブルックナーの真骨頂が詰まっている。活火山が噴き上げるような生命力、煌々と輝やきながら落下する隕石。そんなものを想起させる。あるいは人間が社会化されたときに失ってしまった原初の力の躍動なのかもしれない。実演ではインバル&都響2021が圧倒だった(フランクフルト放送響1982は今となってはインバル自身が乗り越えてしまった)が、録音は決定打がない状況。現状ではワイルドかつ流麗なシモーネ・ヤング&ハンブルクフィル2006、アヴァンギャルドなロト&ギュルツェニヒ管が候補か。インバル&台北市響2023もよいがインバルファンとしてはオケにもう少し細かい要求がしたくなる。(多田)

交響曲3番 第2稿 1877(ノヴァーク版)

【遠藤選】ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン、C Major、2016年録音(ブルーレイ)

ティーレマンやバローなど、遅いテンポで、しかも弛緩の無い演奏をする中堅指揮者の活躍が目立つのは嬉しいことだ。ただし、このティーレマンの3番は、主題部によっては速いテンポを設定し、スケルツォはむしろ快速だ。結果、曲全体として巨大な抑揚を持っている。また、輝かしい金管に代表される、明るい響きも印象的。第3稿に比べて旋律よりも響きの見せ場が多い第2稿を選択したのも、ティーレマンの特長を引き立てている。(遠藤)

【福島選】ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団、SWR、1999年録音

SWR南西ドイツ放送のアーカイヴより体系的に編まれたミヒャエル・ギーレン・エディション全10集(88CD)の第2集はブルックナー。「4番」「8番」の初稿に対し、「3番」では第2稿(ノヴァーク版)の選ばれているのが興味深い。エーザー版で採用されなかったスケルツォのコーダ、その畳みかけるような凄まじさ! 全篇にわたり弦は歌いに歌い、金管は唸る。ギーレンの作曲家としての冷徹な分析力と演奏家としての荒ぶる魂が融合した快演だ。(福島)

【やまね選】ショルティ/シカゴ交響楽団、Decca、1992年録音

ショルティによる辛口の演奏はブルックナー解釈におけるひとつの究極だろうが、どうも評判は芳しくないようだ。私は大好きなのだが。シカゴ響の管の優秀さは無論、最弱音でも強度を失わない弦のアンサンブルの透明度が、響きの移ろいを鋭く浮かび上がらせている 。ショルティのブルックナーは曲によっては金管がややきつく感じられるところもあるが、この第3番は作品の硬質感に合っているせいか特に成功している。情緒的な表現は極力抑制され、遠い恒星系で鳴っているような透徹した美しさは格別だ。特に第2楽章の非人情な美しさには身震いさせられる。(やまね)

【多田選】ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団、SWR、1999年録音

響きを拡げず凝縮させるギーレンの手腕が特に美しく結実しているのが第3番2稿。手のひらサイズの球体に宇宙の神秘がすべて詰まっているような密度が魅力。極細の筆であらゆる要素を微に入り細に入り描かれた細密画のようで聴き惚れる。この稿にのみついているスケルツォのコーダが聴けるのも嬉しい。コーダに突入するとこの魅惑の音楽にまだ続きがあるのか!と胸が高鳴る。(多田)

交響曲3番 第3稿 1889(ノヴァーク版)

【甲斐選】チェリビダッケ/シュトゥッツガルト放送響、DG、1980年録音

この曲を得意としたチェリビダッケの、オケの威力が目立つミュンヘン・フィル盤より、シュトゥッツガルト放送響(DG)を推す。その解釈は沈思と寂寥に満ち、終楽章コーダ終結音が、管弦バランスにより短調的に響くのが驚異的だ。終楽章の第1主題はロンド主題的で性格が弱く、何度も現れてくどい印象があるので、第3稿の後期様式に改めた再現部での省略は適切と思う。ワーグナー引用と他楽章回想の削減も作品の純度を高めている。(甲斐)

【武尾選】ネルソンス/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、DG、2016年録音

僕は3番に関しては第3稿も好きだが、その最大の理由は終楽章の最後をベートーヴェン第九の第1楽章と同じく第1楽章第1主題のユニゾンで終わらせたところにある。これによって第九への新たなオマージュとなるとともに、全曲の統一感も堅固となった(ちなみに主音→属音→属音→主音という音程は《テ・デウム》音型とも共通だ)。この主題がフォルテで再現されるたびに歌舞伎役者が大見得を切るように印象づけるネルソンスの演奏が面白い。(武尾)

【福島選】①セル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、Dreamlife、1966年録音(DVD)、②セル/クリーブランド管弦楽団、Sony SACD、1966年録音

1966年ウィーン芸術祭ライヴ。オットー・シュトラッサーによれば、当初、専制的なセルのスタイルはVPOの反感を呼びつつも「今や事態は好転し、全員は彼を尊敬し、ブルックナーの第3シンフォニーは、欠点のない美しさでもってひびき、私たちがめったに体験したことのないほどだった」との境地に至ったという。楽員一堂の共感の波が大きなうねりとなって、血潮のたぎる熱い音楽となっている。音質を優位に考えたいときには、手兵クリーブランド管との録音を聴く(※ただし、本人が愛聴するのは、米Colombia LP)。(福島)

【多田選】ザンデルリンク/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ドイツ・シャルプラッテン、1963年録音

近年、初稿がよく演奏されるようになって、第8番などが必ずしも後期ロマン派風ではないことが認知されるようになったが、ザンデルリンクによるこの演奏はその反対。1963年の段階で第3番を後期ロマン派風の極大のスケールで鳴らしており、しかも、まったく宇宙的ではない人間的な味の濃さに溢れている。このスタイルは3稿だからこそマッチした。第1楽章の2つ目の主題の再現ではオブリガードの1st.Vnを強調したり、絵筆を自在に走らせるようでいながら、まったく作為がない。あまり締め上げずにオケに任せているように聴こえる箇所が多いが、実際はそれこそが狙いであり、すべてが指揮者の手の内にある。ゆったりとした歩みのなかで、ふとしたリタルダンドがため息のようだったり、深々とした呼吸にもやはり大家の息吹を実感させられる。2稿のギーレンが凝縮型の模範だとすれば3稿のザンデルリンクは拡散型の典型。響きを拡げられるだけ拡げている。アダージョのミステリオーゾ・ラングザマーの沈痛な面持ちはこの指揮者の内面から滲み出てきた真剣な祈りである。(多田)

交響曲3番 第3稿 改訂稿

【遠藤選】クナッパーツブッシュ/ィーン・フィル、ロンドン19544月録音

僕はヴィーン・フィルを偏愛してはいないが、さすがにクナッパーツブッシュが指揮した演奏は良いと感じる。鋭く短く切るスタイルや、オーボエの鄙びた音色が、豪放なクナの個性と良く合う。特に、堂々たる終楽章に圧倒される。3番の第3稿や改訂稿はメロディアス過ぎるのが欠点だが、この盤ではそれらの歌が荒々しい力を持つ。変転する和声に異なる色合いがあるのもクナの魅力で、全体に枯れた味わいを持ちながらも色彩が豊かだ。(遠藤)

交響曲4番 ハース版

【多田選】ヴァント/北ドイツ放送響、RCA、2001年録音

ヴァントのラストライヴ。あの厳格だったヴァントが死の直前にふっと手綱を緩めて天へ昇ってゆくような静けさを聴かせた。フィナーレのコーダはそれまでのヴァントは一段ずつ踏みしめるようだったが、この演奏では不可視の力に引き上げられてゆくように聴こえる。緩んだのか?いやそうではあるまい。何かに委ねたのだろう。老大家が到達した境域に自然と頭が下がる。(多田)

交響曲4番 初稿(ノヴァーク版)

【遠藤選】ラッセル・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管、Arte Nova、2003年録音

初稿愛好者の僕は、4番についても初稿こそ最高だと確信する。テューバを使っていない軽めのオーケストラの響きを、気負いなく淡々と指揮するラッセル・デイヴィスの棒で聴くと、爽快に飛翔するような印象を受ける。速めのテンポと相まって、英雄叙事詩のような雰囲気も出ており、「ロマン的」という表題に似つかわしい。コーダにミサ曲第3番のキリスト復活の場面が引用されているのも、物語性を感じさせる。(遠藤)

【福島選】ヤング/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、Ohems、2007年(SACD)

初稿をはじめて耳にしたのは、朝比奈千足&都響による日本初演のライヴ盤(1982年)であった。あまりにも朴訥なスケルツォに拍子抜けしつつも、随所に聴かれる前衛的でありながら内省的な響き、凝縮するよりは広がりゆく精神に心動かされたことを憶えている。愛聴盤は、新日フィルの定期でも初稿を振ったシモーネ・ヤングとハンブルク・フィルによる録音。演奏を貫く骨の太さと力強い推進力が大きな魅力だ。(福島)

【多田選】ロト/ギュルツェニヒ管、Myrios Classics、2021年録音

初稿はロトの登場でようやく満足し得るディスクが現われた。粗野で荒々しい初稿の魅力を存分に引き出しているが、そのすべてが緻密にコントロールされており、ブルックナー演奏の新たなページが捲られた感がある。熱狂しているようでもあり、かつ、冷徹を極めるようでもある。(多田)

交響曲4番 第2稿(ノヴァーク版)

【遠藤選】ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン、DENON、1981 年録音

中学生だった僕が初めて買った思い出深いCD で、まさしく幸福な響きに包まれる名録音。(遠藤)

【武尾選】ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン、DENON、1981年録音

世の中にCDというものができた時に、僕が初めて買った4枚のCDのうちの1枚がこれであった。それ以来僕の中でのこの曲のスタンダードだ。私意の感じられない自然な流れ。彫りが深く、モノクロの山岳写真集のページを一枚一枚繰るような上質な時間が流れる。密度の高いSKDの音、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響もこの名演の魅力だ。(武尾)

【福島選】エラス=カサド/アニマ・エテルナ・ブルッヘ、Harmonia Mundi、2024年録音

我がデフォルトは、クナッパーツブッシュ盤(改訂版)とベーム盤(ノヴァーク第2稿)。1950年代、70年代のウィーン・フィルの魅力を余す無く捉えた英デッカの優秀録音により、モノーラル期、ステレオ期を代表する歴史的な名盤となっている。一方、近年の演奏でもっとも心惹かれたのは、エラス=カサド盤である。アニマ・エテルナ(ピリオド楽器)の原初的なサウンドが手垢にまみれたスコアを洗い流し、聴き慣れたはずの全てのフレーズに清新な命を吹き込んでいる。(福島)

【やまね選】エッシェンバッハ/パリ管弦楽団、ONDINE、2004年録音

私が初めてブルックナーの実演に接したのは1994年、エッシェンバッハ指揮によるPMFオーケストラの第8番だった。今はもうない札幌市民会館で受講生のオケから引き出された崇高な響きに大感激したものだ。エッシェンバッハの音楽には、いつもどこかスピリチュアルに思いつめたようなものを感じるが、ブルックナーにおいてもそのようなアプローチではないか。その後、マエストロは円熟を深めブルックナー演奏でも世界的に注目されるようになった。今から20年前のこの録音は瞑想の呼吸のようになだらかな独特の解釈で、細部に若干の甘さがあるため好悪は分かれるかもしれないが、私は愛聴している。(やまね)

 

第二弾は交響曲編後編(第5番~第9番)、第三弾は声楽曲・室内楽曲・器楽曲編をお届けします。お楽しみに!(編集部)

 

執筆者紹介

遠藤 啓輔(Keisuke ENDO)

1973年愛知県生まれ。奈良大学大学院修了、博士(文学)。尼崎市立歴史博物館に勤務。専門は考古学で、日本各地の遺跡を訪ね歩く。京都フィロムジカ管弦楽団トランペット奏者。トランペットを池田俊氏(元・大阪フィル首席)に師事。『法貴彩子 ピアノ・ジャンクションVol.5』に出演し、ブルックナーについて語る(Webに動画有り)。

甲斐 貴也(Takaya KAI)

1960年11月4日生まれ
ブルックナー、マーラーの長くてうるさい交響曲と、ヴォルフ、R.シュトラウス、オトマール・シェックらドイツリートを好む。李白他&マーラー『大地の歌』、ミュラー&シューベルト『冬の旅』の詩と楽曲の分析。ニーチェとR.シュトラウスの関連研究。
HP「フィヒテとリンデ世田谷ブルックナーの家

武尾 和彦(Kazuhiko TAKEO)

青山学院大学文学部卒業、同大学院修了。高校生の時から教会でオルガンを弾き、大学では聖歌隊に所属し学生指揮者を務め、以来教会音楽に親しんできた。現在、キリスト教系の学校で教鞭をとる。

福島 章恭(Akiyasu FUKUSHIMA)

桐朋学園大卒。大阪フィル合唱団指揮者。井上道義、尾高忠明、R.エリシュカ諸氏から信任を得る。2026年ライプツィヒ聖トーマス教会にて「ヨハネ受難曲」指揮予定。音楽評論家として94年アリオン賞(柴田南雄音楽賞)奨励賞受賞。著書「新版クラシックCDの名盤」(宇野功芳・中野雄共著 文春新書)他。

やまねほんざ

札幌在住のクラシック愛好家。札響定期会員(2006~)、国際マルティヌー協会会員。仰ぎ見る猛者の皆様の中で恥ずかしながらローカルな一クラオタ目線で偏愛する音盤について書かせていただきました。いまだに「ブルックナーらしさとは?」と首を捻る未熟者ですが、アニヴァーサリーに免じてご寛恕願います。今回の私の裏テーマは「宇野功芳が褒めなかった音盤」です。

多田 圭介(Keisuke TADA)

ブルックナーとガンダムをこよなく愛する本誌編集長。好きなガンダムの作品は、Zガンダム、逆襲のシャア、Vガンダム、∀ガンダム、鉄血のオルフェンズ。好きなモビルスーツはパラス・アテネ、クィン・マンサ、クシャトリヤ、ガンダム・バエル。

 

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