札幌劇場ジャーナル

ことばと文化(11)すずめは何の扉を閉めてしまったのか‐「すずめの戸締まり」と文化的想像力の逼塞について

編集長コラム

新海誠の「すずめの戸締まり」をヒントに今の日本の文化的想像力の行き詰まりについて考えたい。新海の比較的新しい作品しか知らない人にとっては馴染みがないことと思うが、元来の彼はナルシシズムとフェティッシュの作家だった。だが、2016年の「君の名は。」以降、彼はその作家性を閉ざすようになる。そして国民的作家路線をひた走り、この「すずめの戸締まり」でついにその座につくことに成功したかに見える。新海は国民的作家の地位をゲットした。ということはその作品は何らかの度合いで国民的無意識を代表している。その作品がここまで空疎であるという事実がこの国の文化的想像力の現実を正しく表現しているはずなのだ。

とはいえ、「すずめの戸締まり」は新海の過去作のどれよりも真摯で真剣で、そして正しい。その良心的な作風は、以前の彼の強すぎるフェティッシュを嫌悪した観客からも十分に信頼を得ることができるものだろう。だが、ただ「正しい」だけで「空疎」。どうしてもその思いが拭えない。ここには、国民的作家を引き受けようとすると、空疎にしかなり得ないという貧しく行き詰まった状況がたしかに露呈している。では同作の「正しさ」と「貧しさ」の正体はどこにあるのか。

同作は東日本大震災を扱っている。日本の文化的想像力には、巨大災害を何かの比喩として描いてきた伝統がある。震災は腐敗した政治の比喩として、怪獣は人間のエゴの、過去のトラウマの比喩として。よく言えば社会や人間を考えるための比喩ではあるが、意地悪に言えば、それ以前から批判したいと思っていたものをぶっ叩くための口実にしか使えなかった面がある。だが「すずめの戸締まり」は、震災を何かの比喩として使うことを徹底してやめた。震災をあくまでも震災として描く。そこに存在するのは、「震災で家族を、家を、仕事を失った人の人生を損なわれたものとして理解してはいけない」、「どんなに過酷なことがあったとしても生き残ったことそれ自体は無条件に尊いことなのだ」、という同作の強固なメッセージである。

新海は2016年の「君の名は。」でも震災を扱っている。だが、震災からまだ5年の同作では震災を「どこか遠くで起きたもう忘れて楽になっていいもの」として描くことしかできなかった。被災した人の人生を肯定すること、それができるようになるためには、さらに6年を要した。6年の月日を経ることで震災はどう変化したのか。

あらすじを振り返りつつ考えてみよう。主人公は4歳のときに岩手の海岸で母と2人で暮らしていた「すずめ」。すずめは震災で母を亡くし、九州で叔母と暮らしている。震災から12年が過ぎておりすずめは高校生になっている。震災で母を亡くしたことは記憶の深い底に沈めており、なるべく触れないように日々を過ごしている。ある日すずめのもとに「閉じ師」をなりわいとする「草太」が現われる。この世界には「後ろ戸」という扉が散在しており、その扉が開くと大地震が起きる。閉じ師の草太はその後ろ戸を「閉じる」ために各地を旅している。

すずめは閉じ師の仕事を手伝うようになり、草太と一緒に旅を始める。そのなかで岩手に辿り着き、母を亡くした震災の記憶を取り戻してゆく。物語のラストで、すずめは後ろ戸をくぐり、その先で12年前に被災して母を探して泣きじゃくっている自分に出会う。すずめは4歳の自分に「すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの。だから心配しないで。未来なんて怖くない」とエールを送り、扉をくぐって現代に戻る。扉を閉めるときに、すずめは静かな口調でこういう。 

「行ってきます」。

「行ってきます」、「ただいま」、「おかえり」。こうした日常の言葉をかける相手を震災で失った人にとってどれほど重たく響くことだろう。すずめは、この一言を言葉にすることで、過去を受け入れ、そして草太と未来を向くことができるようになる。こう書くととても美しい映画だと受け取られるかもしれない。だが、このエンディングは、恐ろしいほどに心を揺さぶらない。それどころか、自明の正しさを追認しただけで創作物として決定的に何かを欠いているとさえ感じさせる。一体この空疎さの正体は何なのか。

一つには「12年前の日本はそんなによいものだったか?」。この疑問をどうしても拭うことができないことがあるだろう。もちろん震災で大事な何かを失った人にとってはその一つのどれをとってもかけがえのないものだ。だが、そんな自明な正しさはわざわざ創作物で描くことなのか。

震災の直後、被災地の様子を伝えるドキュメント番組が多数制作された。そのなかで筆者の記憶に鮮明に残っているものがある。それはある番組のなかで被災したタクシー運転手が「この街は津波の前からとっくに壊滅していた」と語ったことだった。寡黙な運転手の言葉からは、被災地にとって本当に必要なのは「復旧(元に戻す)」ではなく「復興」であるはずだという確信が漏れていた。だが、震災で大切なものを失った一人ひとりの心情に寄り添うほどに復興の具体的な内容は「復旧」に傾いてしまう。創作物が対峙すべきことはこうした現実の矛盾を誤魔化さずに掴みだすことであったはずなのではないか。

フランスの経済学者のトマ・ピケティの研究がヒントになる。ピケティによれば、西側諸国(と日本)の戦後の長い安定期は中間層の増大に支えられていた。それは経済的には中間層の資産(多くの場合不動産)形成、社会的には核家族の形成と並走していた。この例外的な安定期は(特に日本では)専業主婦というジェンダーギャップが下支えしていたものだ。日本の場合は(中流化が過度であっただけに過激に)こうした「核家族という標準コース」に乗ることができなかった人たちが、社会から排除され、後ろ指を指されることになった。経済的・社会的に「普通」であることをあまりに過剰に求められたこの時代が、「普通」の枠内にいる人の傲慢によって形成されていたことはピケティも指摘している。

被災したタクシーの運転手の「震災前から壊滅していた」という言葉は、見方によっては、たんに三陸の産業が以前から斜陽だったというだけではなく、こうした社会を延命させていた12年前に戻すことの欺瞞を訴えていたとも解釈できる。

中流幻想を歴史的に眺めてみよう。戦前に目をやると、都市化と資本主義化が加速するなかで、農村の地域共同体の代わりに人々にはナショナリズムという心の拠り所が与えられていた。そして大戦の惨禍を経て、その反省からその強すぎる副作用を緩和するために人々に新たに与えられた拠り所が「家」であった。こうした中流の幻想は上で述べた人柱の存在を巧みに隠蔽したまま世界中で共有された。日本ではさらに終身雇用制による職場という拠り所が並置された。戦後の中流幻想が私たちにとっての幸福のパッケージとなった背景にこうした犠牲があったことは、グローバル化&情報化によって可視化され、そしてその破壊の波が押し寄せることとなった。

気づけば私たちは「家」を守るために平気で不正義に加担するようになっていた。それどころか、戦後からつい最近までの創作物は、理不尽で横暴な取引先に「家族を守るために」喜んで頭を下げるお父さんを美化して描いてきた。その「普通の幸福」が人柱の排除によって支えられていることを見てみぬフリをしつつ。ピケティの議論はこうした中流幻想がマイノリティの排除によって成り立っていたものであって決して弱者を救済しなかったことに注目している。ならば私たちが考えるべきことは明らかだ。それは、家族を形成して父になること「ではない」、別の市民像を、別の主体のあり方を模索することであるはずだ。

「すずめの戸締まり」のエンディングですずめが12年前と繋がっている扉を閉めたとき、こうした巨大な何かに蓋をして考えるのをやめたように感じられた。もっとも、すずめの家には震災前から父がいなかった。だから「父になること」という戦後的な中流幻想に対してなんらかの度合いで緩和を試みていた部分はあるのかもしれない。だがそれが追及されることはなかった。

震災、そして別な主体像の提案。どちらも人間ひとりの想像力でその全体像を描くことは手に余るほど巨大なものだ。私たちにできることは巨大で複雑なものの周辺をうろつきながら手探りであたりをつけることくらいだ。だからこそ、自分と同じように手探りで何かを掴み出そうとしている他者がいるなら、その誰かと対話を続けることで少しずつその輪郭を確かなものにしてゆくことが大切になる(現実にはそんな他者などほとんど「いない」ので対話よりも一人で考えるほうが重要になってしまう)。創作物とはそうした巨大な何かにアプローチするためのものでもあるはずだ(本紙第8号のコラム「解放への信仰とまじない」はその具体的な試みの一つだった)。

新海誠はこうしたことにまったく気づいていなかったのだろうか。どうもそうとは言い切れないように思える。すずめが扉を閉めたとき、新海が引きずられてしまったものが確かにあった。彼はこうした物事の本質とはまったく違うレベルで、現実の重力に引きずられたのではないか。あまりに矮小で、愚かな今の日本の現実がここまで情けないものになっていなければ、国民的作家であろうとする作者がその強すぎる負の重力に引き込まれることもなかったのではないか。

新海は背景を過剰なほど美しく描く作家だ。「すずめの戸締まり」ではこの背景の美は、私たちの日常(家の幻想)の遮断による問題提起ではなく、日常の肯定による現状の追認として機能してしまっていた。いまの情報環境では、後者の日常の維持のほうが圧倒的に支持されやすい状況にある。それを疑う人はいないだろう。慰撫的で相手を(一時的に)楽にする言葉を本気で優しいものだと信じる人が現実を圧倒している。景色を異化する力と「ありのまま」を肯定する力では後者が支持されやすい。その状況で、新海の十八番もそう使われざるを得なかった。それは私たち一人ひとりが破壊すべき風景を見失っている、いや、見ないようにして生きていることの表れでもあるのだ。

「コンサートベスト10!」みたいな企画があると(つまらない企画だが)それに対して「11つが全部特別だから順位なんてつけられない!」みたいな空虚な言葉を自分にうっとりしながら言えてしまえる人がこれほどにマジョリティになっている(タイムラインではそうみえる)現状こそが、「世界観」ではなく「キャラクターの魅力」、「風景」ではなく「身体」でしか人を惹きつけられない文化的な状況を生んでしまっている。新海はその重力に迎合した結果、国民的作家の地位を得たのと引き換えにこの映画をとてつもなく空疎なものにしてしまったのではないか。

「すずめの戸締まり」は、すべての表現が80点のレベルには達している良心的な映画ではある。だが、新海誠という作家が自分を破壊してまったく別の次元に変身する可能性をこの作品は持っていた。だがその扉は閉じられた。もし開けていたら作品が崩壊して-50点になっていたかもしれない。だが、反対に200点でも足りない採点できないような傑作になっていたかもしれない。すべての点が80点に到達しているものをみせられたからこそ、その扉を開けるところを見たかった。だが新海はそれを選ばなかった。いまの日本の矮小な文化的想像力を引き受け、観客に「考えさせない」ことを選んだ。すずめが最後にそっと扉を閉めたときに、筆者の心にその現実が重たくのし掛かってきた。

(多田圭介)

(※↓に投げ銭が設定されています。こうした記事ももっと読みたいと思ってくれた人はそちらからご支援いただけると記事の公開数が増えます。)

※「投げ銭」するための詳しい手順はこちらからご確認いただけます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0 follow us in feedly

ページ最上部へ