札幌劇場ジャーナル

【STJ第3号掲載】ハンガリーの俊英たち フュロップ・ラーンキ ピアノリサイタル

さっぽろ劇場ジャーナルの紙面を取り寄せるとどのような記事を読めるのですか?という声にお応えして、第3号に掲載した記事をWeb版にも公開しました。リストの超絶技巧練習曲集の全曲レビューをどうぞお楽しみください。これが第3号のなかで最も文字数の少ない記事です(笑)<事務局>

 

2019年2月15日(金) 札幌コンサートホールKitara(大ホール)

リストの超絶技巧練習曲の全曲演奏会が行われた。ピアニストはフュロップ・ラーンキ。かのデジュー・ラーンキの子息。Kitara97年の開館以来、リスト音楽院と関係が深く、これまでリスト音楽院セミナーなどを継続してきた。今回もその延長での開催。リサイタルと前後して、札幌大谷大学でも公開レッスン等が開催された。同曲が一晩で全曲弾かれる機会は多くない。開演前に「曲間での出入りや拍手はご遠慮ください」とアナウンスが入った。曲間での緊張の持続を大切にしたのだろう。版は、内声の半音階進行と、大胆なSD系の和音を拡充させた1837年の第2稿が使用された。第3稿は、中音域の充実、低音域の装飾などにより、第2稿より豊かに響くよう工夫されている。ラーンキはあくまで第2稿に依拠しつつも、拡大された3稿の響きも視野にいれていたようだ。

彼は、音の多いこの作品がほとんどの曲で厳密な4声部書法であることをよく理解している。まず、複雑に移行する旋律を取り出し、全体構成を明確にしたはずだ。その旋律線を濁らずに鳴らし、かつ他の声部が背景に留まるよう響きを制御していた。全曲に渡ってそうだった。これを頭で理解するのは難しくないが、弾くのは簡単ではない。アナリーゼ、そしてそれをクリアに音にするテクニック、これらは水準以上。音楽は常に客観的。

1曲「前奏曲」。冒頭の8度はアウフタクトに聴こえがちだが、ラーンキのリズムは的確。かつ、冒頭には休符がある(※譜例23)

譜例23

ベートーヴェンの運命のように休符からはじまる緊張感が求められる。ここは、音符が舞台に刻みこまれるように明晰に鳴らされた。3小節の4拍目はpの指定だが、ここは大きめのmpで弾かれ強調されなかった。リストはモーツァルトやベートーヴェン同様、強弱をあまり細かく書きこまない。書いてある箇所はそれだけに大事になる。また、最終和音に付されたアルペッジョがカットされ、和音と同時にペダルを踏みこんだ。おそらく濁りを避けるための処理だと思われるが、アルペッジョのはじめのCを押したままでペダルの踏み込みを少し遅らせば濁りは避けられる。思い切った処理だ。

2曲は、いい加減に演奏すると6/8拍子に聴こえてしまうが、ラーンキの拍節感ははっきりとした3/4。また、リストはこの曲に表題を与えていない。聴き手の想像力をかき立てるためだ。ラーンキも、冒頭からリズムを崩し不安定な表情を強調した。ただ、いかにも頭で考えて「崩しています」というような印象だった。81小節ではバス声部のEをクリアに鳴らし、その響きを上手くペダルで残した。リストの書法によく通じている。第3曲はPoco adagioという指定もあり、もたれた演奏がされがちだがラーンキは流れがよい。第4曲「マゼッパ」は、前奏曲と同じように頭に休符がある。これがはっきり意識され鋭く鳴らされた。マゼッパ全体を通して、一貫して即物的で、リストが念頭に置いた擬音効果は重視されなかった。

5曲「鬼火」は興味深く聴いた。第二部に向かって、気づかない程度の漸次的な加速を加えた。減七分散が続くこの作品の、座りの悪さ、居心地の悪さを巧く表現した。だがリストは、♯系での鋭角的な響き、♭系でのくぐもった響きという心理的な仕掛けを配置している。論理性がより求められよう。第6曲「幻影」は、響きを分厚く鳴らし、重々しい歌を表出した。響きに清潔感があるのが彼らしい。冒頭7小節の左手を譜面通りのリズムで弾くのは至難の業だがラーンキは崩れることなく弾いてのけた。ここは並みいる大家でもごまかしている。見事だ。第7曲「英雄」も優れている。曲が持つ豪快さも欠くことなく、やはり濁らない。100101小節は、轟然と鳴らして構造がよく分からなくなりがちな箇所だが、A音を際立て、それがバス声部であることが見失われない。

8曲「死霊の狩」。アクセントの位置に明確な意図がある。曖昧さがない。フッとアクセントが外れる浮遊感や拍節が見失われる喪失感が上手い。死霊の軍団が襲い掛かるような荒々しさはなかった。これは彼の個性なのだろう。第9曲「回想」には、冒頭にクロマティックのアインガングが入れられた。ベルカントのアリアのように息が一貫しており優美だ。最終108小節の和音が強拍に聴こえてしまうような雑さもない。第11曲もテヌートやレガートの効果を生かしたよく考えられた演奏。agitatoの指定だが、冒頭2小節はリストの初稿では、両手の交錯ではなく6度の平行だった。決定稿でもこの箇所はきれいなレガートで弾かれるべきなのだ。終曲「雪あらし」は抑制が効いていた。そのせいで、どこか鬱屈した気持ちが内面に渦巻くような心境が伝わってきた。最後のスフォルツァンドもこけおどしではなく、内面のダメージを思わせる重たさがあった。95年生まれのこの若きピアニストは今後どのような軌跡を描くか。音楽の豊穣はまだ先にある。一歩ずつ成長を続けてほしい。

 

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