札幌劇場ジャーナル

【STJ第3号掲載】札響定期(1月バーメルト)

さっぽろ劇場ジャーナルの紙面を取り寄せるとどのような記事を読めるのですか?という声にお応えして、第3号に掲載した記事をWeb版にも公開しました。札響定期1~3月のレビューの中から札響首席指揮者バーメルトが登場したニューイヤーコンサート&1月定期演奏会の部分をお届けします。<事務局>

 

札響ニューイヤーコンサート in 小樽

2019年1月19日(土) 小樽市民会館

1月は首席指揮者のバーメルトの登場。バーメルトは定期に先立って、ニューイヤーコンサートも指揮した。それについて簡単に触れたい。演奏はすこぶるユニーク。札響はエリシュカが指揮すると、あまり人の手が入りすぎていない麻のような素朴な肌触りの音(エリシュカは楽譜にたくさん手を入れる指揮者だが)を出す。それがバーメルトだと、見る角度によって光の反射が変わるガラス細工のような精巧な音響に変わる。響きは常に冷たく、どこか醒めている。そのバーメルトがニューイヤーコンサートでウインナワルツを指揮するのだ。つまらないわけがない。札響は終始、氷像のような冷たい音を発し続けた。ウェーベルンのようなウインナワルツだった。

とくに「こうもり」序曲がユニークの極み。201小節からはオーボエがロザリンデの主題(※譜例13)を奏でる。

譜例13

6小節目に出てくる大きく嘆くような下降音型で頭にfpを効かせた上でぐっとテンポを崩す。しかし、それでも音色が凍りついたように冷たいままだった。ロザリンデはここで嘆いているフリして内心笑いが止まらないのだ。大げさに嘆くあの喜劇性は皆無だった。これは批判ではない。この指揮者がこなければ絶対に聴くことができない個性的な音楽が、小樽の、古くすきま風が吹きこむような市民会館で鳴り響いたのだ。不敵な音楽家だ。

 

第615回定期演奏会

2019年1月25日(金),26日(土) 札幌コンサートホールKitara(大ホール)

続いて1月定期。同曲目による東京公演の直前の定期でよく準備された演奏だった。本紙はバーメルトに特に注目しているので両日聴かせていただいた。1曲目はモーツァルトのセレナード第6番「セレナーター・ノットゥルナ」K.239。ヴィヴァルディのコンチェルト・グロッソのような2群に分かれた編成で個々のソロが頻出する寛いだ音楽。だが、それをバーメルトは自分でピアノを弾くように管理する。整然としていて静けさが漂うのはいつものバーメルト節。ヴァイオリンの第一主題が繰り返される直前の音型で思い切ってルバートをかける(※譜例14)

譜例14

ニヤッとニヒルな笑みを浮かべるような味わい。ピリッと緊張しており全然愉しくないのが面白くて仕方がない。イ長調に移る第二主題でも、頭のアウフタクトでまたルバートをかける。それでもスルスルと流麗に流れるのはさすがにセンスを感じさせる。バーメルトは就任披露公演でもそうだったが、モーツァルトを振るとどこかメランコリックになり、スコアの指示に拘泥せず自在に振る舞うところがある。終楽章のロンドもそうだった。軽やかな主題が2回目に繰り返されるとき(8小節)、スコアはpだが、これをmfでくっきり弾かせて語気を強めるような表情を聴かせた。イ長調に転調する第一副主題でもmf(スコアはp)で自信のある足取りを聴かせた。他にも102小節のロンド主題の直前のVn.pr.をフェルマータに変え、それにトリルをかける(スコアはスタッカート。※譜例15)

譜例15

同じロンド主題が最後に出てくる141小節ではgis-a-gis-aの動機を、なんとgis-a-h-aに変えて変化をつけた。もうやりたい放題だが、例によってまったく愉悦感がないのだ。最後に「ソロはお前か?」「いや違う」という楽員とのゼスチャーを3度繰り返し笑いを誘ったが、真面目な学者が能面のような顔でダジャレを言っているように見えて背筋が寒くなったのは筆者だけではあるまい。

2曲目はマルタンの7つの管楽器とティンパニ、打楽器、弦楽のための協奏曲。これを聴くために遠方から駆けつけたお客さんもかなりいた。目まぐるしく展開されるリトルネッロが息つく暇を与えない。アタッカで突入した第2楽章は、神秘的でかつどこか優雅。第二部に入ると、各楽器がとんでもない高音域を指定されている。ここの現実離れした透明な響きには恍惚とした。その直後のトロンボーンのソロがまるでうらぶられた道化の悲しみのようで染み入る。終楽章もリトルネッロ形式。Tp.の福田が見事な軽やかな吹奏を聴かせる。リトルネッロが繰り返されるうちに音楽はついに高潮してきた。2 日目のほうが打楽器に思い切った音色の変化があり聴き応えがあった。

後半はブラームスの交響曲第2番。シェーンベルクが「発展的変奏die entwickelunde Variation」と呼んだ、張り巡らされた綿密な動機労作を解きほぐし、そこに生命を吹き込んでゆくような演奏だった。筆者は2016年の客演時にバーメルトに一目ぼれしたのだが、そのときの水準に迫る演奏だった。2日目が断然素晴らしかった。初日は、響きがくすんでおり、それがブラームスらしいという解釈なのかと考えさせられたが、2日目に鮮明になった。響きが透き通っているので、巨大な音を出さなくてもクレッシェンドに心理的な迫力がある。第一楽章では、118小節からのシュピールガングで延々とタイが続き拍節感が不安定になる。安定が回復されるコデッタ(156小節~)では、副主題に重なるFl.を指定のpではなくmfで堂々と吹かせる。このFlにはa動機が含まれている。リズムとテンポの安定が回復されたことを明確にするために強く吹かせたのがはっきり分かった。展開部の最後では、変奏される主要主題2が木管から弦へ受け継がれる(※譜例16)

譜例16

スコア通りに木管以外を強奏するとだいたい聴こえなくなるのだが、バーメルトは金管と弦をmpで弾かせ、そして弦に主要主題2が移る296小節で弦をクレッシェンドさせ、スフォルツァンドで金管をやっと強奏させた。透き通るような響きのなかで主題がどう受け渡されているか目に見えるようだった。第2楽章では冒頭の主題を奏するチェロが5小節目から見事な最弱音を聴かせた。再弱音だが熾烈な心を感じさせた。バーメルトとしては珍しいほど気持ちが音に表れていた。第3楽章は、目まぐるしくテンポが変化するなかで木管主体の室内楽的な柔和な表情が一貫する。この楽章は、4本のホルンのうち2番は出番がない。G管の1番はA主題でしか登場せず、C管の34番はB主題でしか使われない。調による役割の分担とその音色の選択のブラームスの緻密な書法が本当によく生きていた。終楽章も芸が細かい。展開部第二部で182小節のクラリネットを浮き上がらせる(スコアはp)。主要主題と副主題が重なり合うコーダに入る直前の最後の和音をスッと力を抜く(374小節3~4拍目の2分音符)2日目には、終結で、最後のティンパニのトレモロを、最終和音に入る直前に一瞬だけ最強奏させすぐに力を抜いて山をつくった。ヴァントなどがよくやっていたが、すこぶる精神的な迫力がある。しかし、バーメルトはその最終和音の最後のフェルマータをダメ押しせずにスッと抜くのだ。正装した老紳士の物腰柔らかい語り口のような終結だった。

 

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