反田恭平&ジャパン・ナショナル・オーケストラ演奏会レビュー 9/11@Kitara大(執筆:多田圭介)

反田恭平&ジャパン・ナショナル・オーケストラのコンサートツアー2025の札幌公演を聴いた。これまでタイミングが合わず、反田の指揮を聴くのはこれが初めてになる。彼の指揮については色んな声が聞こえてくるが、今回の公演を聴いたかぎりでは、これで不満を言う人などいるのだろうかと思った。
彼の指揮の特徴を簡単にまとめると、まずあらゆる音を煮詰めてくるところが際立っている。要素を正確に計量し、そして組み合わせ、絶対にこうでなければならないと信じられるところまで組み立ててゆく。あらゆる音を自分のコントロールの下に置いて、自分の意志で貫徹しようとしている。その気迫たるや、強烈なものがある。その意味では天才が駆け抜けるように奏でるのとはまったく趣きを異にする。並々ならぬ努力と鍛練から産み出される種類の音楽だと言える。

提供:札幌コンサートホール
1曲目はプロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」だった。反田のこうした特徴からだろう。疑古典的な軽やかさよりも、ぎっしりと内容が詰まったがゆえの荘重さが前面に出る。もの凄い気迫で開始された。オーケストラの上手さにも舌を巻く。演奏が始まる前のチューニングを聴いただけで感動した。このホールのオーケストラの公演で、チューニングがこれほどに澄んだ音で空間を満たしたのを初めて聴いた。よほど腕利きの奏者が集まっているのだろう。
プロコフィエフに戻ろう。冒頭の楽譜を見てほしい。2小節の序奏に続いて3小節目から1st.Vn.に旋律が出て、4小節目の後半で2nd.Vn.がクレッシェンドして、旋律を受け継ぐ。そして5小節の4拍目で1stに軽やかな装飾が入る。ここまで“完璧”に噛み合った開始だった。鳥肌が立った。
展開部では低弦とヴァイオリンが対話を交わすように主題を展開する。ここの低弦の上手さ、精妙さ、そして生き生きと応答しあう様にも魅了された。それぞれの音が、隅々までくっきりとピントが合った写真のようなのだ。第2楽章も縦の線も横の流れもきりりと引き締まっている。きわめて快適。丹念で正確。3+2+3小節の構造がくっきりと聴こえてくる。主題はヴァイオリン協奏曲の1番のように抽象的で抜け切った音がする。「山椒は小粒だがぴりりと辛い」。こういう演奏で聴くと、この交響曲にはこの言葉がぴったりだ。
第3楽章のガヴォットは力強い。ただたんに力強いのではなく、この音楽がこの力強さを要求しているのだという説得力がある。作品の内側から表現が自ずと規定されてゆくようなそういう強さだ。主題が再現する箇所について、かのチェリビダッケはリハーサルで「プリマドンナが愛する男に駆け寄ってキスするように」と述べた。反田とJNOの演奏もまさにそんな妖艶さがあった。ふとしたルバートが絡み付くように利いているのだ。
フィナーレは鮮やかな音響の乱舞。だが皮相な技の開陳では終わらない。駆け抜けるさなか、弱音の囁くような音色、瞬間的な突風のような衝撃、そしてプロコフィエフ一流の暴力性を宿したトリルなどが目の前を走り抜けてゆく。ひとつのフレーズ、ひとつの言葉、ひとつの形容、ひとつの比喩、これらがある場合には笑顔での最悪の否定、ある場合には苦み走った称賛のように多義性を表している。反田の指揮に名手たちが最高の集中力で食らいついてゆくからこうした複雑性が生まれるのだ。プロコフィエフはなんて凄い音楽を書いたのだろうか。そう唸らされた。あらゆる音、あらゆる要素が手に取るように聴こえてくる圧巻のプロコフィエフだった。筆者が、このコンサートホールでこれまでに聴いた交響曲の演奏でも指折りの快演。オーケストラの技術力の高さや指揮への反応の速さは、かのヨーロッパ室内管を思い出したほどだ。とてつもない名人たちによる本気の演奏だった。それを引き出したのは反田のこのオーケストラに賭ける“気迫”だろう。「人気ピアニストがちょっと指揮にも手を出しました」というものでは、まったくもって、なかった。
2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番K.488。ピアノを前にした反田からは指揮台の姿よりはさすがにリラックスした様子が窺える。この作品は、演奏によって憂いたっぷりだったり、ふと散歩に出たような気軽さが魅力だったり、本当に奏者によって変わる。反田は甘口のケーキのようだった。だが、ただ甘いだけではなく苦味や香ばしさがほどよく混ざっていて飽きさせない。クロマティック(編注:半音階のこと)の媚びるような艶めかしさ、ふとためらうような表情、ピアノから甘美な表情が次々と湧き出てくる。注目させられたのは、やはりオーケストラの扱いだ。反田は随所でアーティキュレーションを変更し、音楽に奥行きを与えていた。冒頭の弦の主題をはじめ随所でそれが生きた。

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最も素晴らしかったのは、第1楽章の展開部で新しく登場する主題の扱い。譜例2のように最初に木管に出てくる。赤線の箇所は楽譜ではスラーだが、反田はここをスタッカートで吹かせた。2回目も同じくスタッカート。ここまでは鼻歌のような気軽さがある。だが、3回目に音型が下降型になると、涙が零れおちるようにレガートで奏でるのだ。こんなに心理的に聴こえるものかと思った。
第2楽章では、後半に差し掛かった箇所で、木管の“p”が指示されたハーモニーをまるで死の宣告のように強調する(譜例3)。そして結尾部の弦の刻みをピッツィカートに変えると心臓の鼓動のようだった(※昔の楽譜はピッツィカートだった)。息を殺して孤独に耐えるようで、ここが痛切だからこそ、生気を取り戻す終楽章に複雑さが生じるのだ。モーツァルトが書いた、簡潔にしてニュアンス豊かな旋律たちは、あるときは悲嘆、あるときは愛の告白、あるときは敬虔な信仰を表現する。こうした音楽が、“たった一本の旋律”の中から見事に立ち現われてくる。素晴らしいモーツァルトだった。
反田のピアノについては、クロマティックや高速アルペジオになると肉感的と言ってもいいほどの芳香を放つが、ごくシンプルな音階になると、やや単純になるところはある。なんの変哲もない音階をさらっと弾いただけで問答無用で説き伏せられる巨人のようなピアニストの域に行くかどうかは、その辺りが鍵になるような気がする。次の一段をどう登るか、本当に楽しみだ。
ソリストのアンコールはシューマンの「献呈」だった。これが反田の魅力の炸裂だった。献呈なんてものじゃない。熱い吐息が漏れてくるような愛の告白の音楽だった。それでいて上質さも損なわないのはこのピアニストの素晴らしいところだろう。

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後半はベートーヴェンの交響曲第7番。ベートーヴェンという作曲家には本当に色んな面がある。だが、反田の指揮で聴くと、やりたいことが溢れてきて、“はちきれそう”になっている青年ベートーヴェン像が浮かんでくる。円満な音楽を書いた人では絶対にないことがストレートに伝わってくる。
反田の第7は、何もしていない音が一つもないほどに濃密に表情が付けられている。「自分はここまでやらなければ気が済まない!」という徹底度。重要なのは、それほどの物量を投入しても、曲の基本的な構成がしっかりしているので音楽が壊れないところだ。第1楽章は最初の繰り返しの後、2回目でティンパニを強打させたり、弦の内声を強調したり、ページをめくる度に反田の頭からアイデアが溢れ出てくる。しかも、ベートーヴェンらしい剛毅な音響の輝きが随所で実感できるのが嬉しい。第2楽章の最初の主題のヴィオラとチェロのユニゾンには、かつてこの箇所から耳にした記憶がないような陰影がある。ヴィオラの上手さ、斉一性、豊かに息づくフレーズ、本当に素晴らしい。
スケルツォも中間部への移行で、最初涼しげな冷気が流れだしてくると、徐々に音楽は壮麗な音響美にまで達する。ホルンの低音のオスティナートの上手さも東京のトップレベルのオケに匹敵する(後で確認したところ都響の奏者だった。そりゃ上手いはずだ)。2回目の中間部(いわゆるB)を最弱音でスッと通したのも印象深い。かつてフェドセーエフがチャイコフスキーの第4番のスケルツォのピッツィカートをぜんぶ最弱音で通したことがあったがそれを思い出した。
ベートーヴェンに関しては、さすがに一筋縄ではいかないところもあり、詰め込んだために和音がグシャっとなってしまう箇所もいくつかあった。今後この質量を維持して音響を洗練させるのか、あるいはもっと取捨選択するようになるのか、“指揮者”反田恭平の今後に注目させられる点だろう。何をやりたいのかよく分からないベートーヴェンの演奏も少なくないなか、反田JNOのようなやる気に満ちたベートーヴェンは大歓迎だ。

提供:札幌コンサートホール
ベートーヴェンの終楽章には反田恭平という音楽家の“今”が凝縮されていたように思えた。今の彼の音楽には、ただ音が強かったり、大きかったりということがない。常に心理的な根拠がある。内面がある。さらに際立つのは、どれほど痛切であっても、どこか希望を失うまいとしているところだ。なぜか前を向いた肯定的な強さを感じさせる。どの曲からもそれが実感できる。こんなことを口で言うのは簡単だが、そのような音楽を実際に奏でることができる音楽家などなかなかいないものだ。
本公演は、反田恭平が指揮者としてのキャリアにも十分すぎるほど期待ができる音楽家であることを札幌のファンに示した。このオーケストラの活動に賭ける、彼の吹き上げるような情熱と気迫で魂が鼓舞されるような気持ちになった。また次回、このホールで聴ける機会を楽しみに待ちたい。今回聴き逃した、あるいは彼の指揮に慎重になっている人がもしいたら、ぜひ会場で、自分の眼と耳で受け止めてみてほしい。
(多田圭介)
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