オーケストラHARUKA 第20回演奏会レビュー 8/17@Kitara大(執筆:多田圭介)

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オーケストラHARUKA 第20回演奏会 2025/8/17(日)札幌コンサートホールKitara 大ホール 指揮:三河 正典 プログラムベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」作品73 [ソリストアンコール]R. シュトラウス:「4つの情緒ある風景」よりIntermezzo |
オーケストラHARUKAの第20回演奏会を聴いた。同オケは2003年に創立されたプロ奏者と愛好家による混成のオーケストラ。自主公演の他に依頼演奏やオペラのピットなど多岐にわたる活動を続けている。自主公演はおよそ年に1回のペースでの開催を継続しており、今回は節目となる20回目の公演。プログラムは前半がソリストに三上絵里香を迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。後半がR.シュトラウスの「英雄の生涯」。2曲ともに各奏者の意気込みが十分に伝わる気力の充実した音楽が展開された。指揮は三河正典。
まずは「皇帝」から。筆者は三上のピアノに関心があり公演にはなるべく出席するようにしている。これまでは、楽器のコンディションがあまりよくなかったり、なかなか本領に触れる機会に恵まれなかったのだが、今回は申し分なかった。以前リサイタルを聴いたときは、いわゆる憑依系というか、動物的にうねる音楽をしていた記憶が強くあるのだが、今回はまったく違った。もちろん作品の違いや楽器の違いもあるのだろうが、ここ数年の彼女の音楽観の変化もあったように思われる。
特徴を挙げてみよう。まず、よく通るピアニッシモ、決して汚くならないフォルテ。そして、音楽の流れ、呼吸、抑揚、和音のバランスが自然体で、いかにも操作しているという感覚がない。高揚するときも余裕があり、品格の高さがある。音楽の雰囲気が変わるときでも明確に変化しつつあくまでもやりすぎない。こうした特徴がベートーヴェンの「皇帝」という作品にぴったりだった。

オーケストラHARUKA提供
第1楽章の冒頭のカデンツァ風の導入は高速のアルペジオの連続だが、音は常に明るくて輝かしい。音が多くなってもごちゃつかず、明晰さを保っている。素晴らしい開始だった。”dolce”と指示された第2提示部(111小節)に入ると、和音の響きがさらに純粋になる。ぐっと腰を落ち着けて音の一つひとつを味わうがごとき濃密さで音楽が進んでゆく。オーケストラも素晴らしい。例えば、突如B♭-durに転じる第2提示部の推移(167小節~)。オーケストラのトゥッティでベートーヴェン一流の力強いマーチ風の楽句が素晴らしく生きる。
ピアノで唯一惜しかったのは第2主題が自由な展開をみせる184小節~。主題が展開される右手に対して、左手の3連符のスタッカートが対置される。スコアでは左手の3連符に”sempre stacc.”が指示されているが、ここの左手が十分に歯切れよく響けば、音楽はもっと立体的になったことだろう。とはいえ、座席の問題もあったかもしれない(1F14列で聴いた)。

オーケストラHARUKA提供
展開部に入ると威風堂々たる音楽が壮観な趣きをみせる。特に両手の8度の連続(310小節~)はパワフルだが決して美感を損なうことがない。再現部へ向かって明るい光が射し込んでくるような木管のパッセージも陰影に富み印象に残った。高速でアルペジオが連続するコーダは独奏が遅くなったり弛緩しがちな箇所だが、キリリと引き締まって見事な着地を決めた。
第2楽章では第3部がなんといっても素晴らしい。ピアノの16分音符に主題が顔を覗かせると、木管群がその主題を優しく奏でる(60小節~)。オケと独奏者が耳を澄ませて互いを聴き合っているのがとてもよく分かる。終楽章は第1楽章とほぼ同じことが言える。呑み込まれそうな雄大さがあるのに、どこか音楽が優しい。同じ旋律が繰り返されるので単調になりがちな楽章だが、決して乱暴になることなく最後まで堪能させてくれた。また、この作品の両端楽章には、ffのなかにsf(スフォルツァンド)が出てくる箇所が多く、響きの差を作るのが難しい。だが、いずれの箇所でもsfが潰れることも汚くなることもなく、見事な音響の構成を聴かせた(かなり有名な奏者でも叩いて汚くなることが本当に多い)。すべての音に「心」が通った誠実なベートーヴェンで大拍手を贈りたい。三上の独奏に関しては、常設のプロオケの定期公演のソリストに十分に匹敵する力量を示した。札幌にもこんなに優れた演奏家がいるのだと感じたお客さんも多かったはずだ。
ソリストのアンコールはR.シュトラウスの「4つの情緒ある風景」よりIntermezzo。中間部の和音の連打でも音と音がぶつかり合うことがなく確かな技術によって奏でられた。技術もさることながら耳と趣味のよさが際立つ。Rシュトラウスらしい空想的・夢想的な美の世界。心が澄んだ境地に至って奏でられていた。
後半は「英雄の生涯」。当日配布されたプログラムには「HARUKA史上最大の編成を要し、音楽的・技術的にも極めて高度な挑戦となる」と書かれている。だが同オケと関係の深い指揮者の三河正典の見事な棒捌きもあって充実した音楽となった。順に振り返ろう。まずは第1部「英雄」。Es-durの英雄の主題と、続くH-durの優美なアラベスク風の楽想が素晴らしく対比される。よい出だしだった。欲を言えば、その直後の1st.Vn.と2nd.Vn.、それにCb.が3重対位法になる箇所(31小節~)で、3つの声部が明晰に響けばさらによかった(Cb.が聴こえなかった)。だが、第1部の頂点では、マイスタージンガー風の全音階が胸がすくような拡がりを実感させ見事だった。

オーケストラHARUKA提供
第2部「英雄の敵」では、冒頭のFl.にはもっと鋭さが欲しいと感じた。スコアには”sehr scharf und spitzig(とても鋭利で辛辣に)”と指示されている。小うるさい音楽評論家を表わしている。コバエがまとわりついてくるような不快さが欲しい。続くテノール・チューバ(ユーフォニアム)とバス・チューバの連続5度による「拒否」のモチーフは十分に効いている。この楽器編成の意味が明らかになる重要な箇所だ。英雄の悲嘆を描く137小節以降はワーグナー風の半音階が甘美で苦悩に満ちた音楽を展開する。ここで弦が憧れに満ちた美しい歌を聴かせ、第2部では最大の聴きどころとなった。
第3部「英雄の妻」では、274小節以降の、「ばらの騎士」の「銀のばらの動機」を想起させるGes-dur(=Fis-dur)の箇所のR.シュトラウスの魔術的な管弦楽法がもっとも印象に残った。続いて第4部「英雄の戦場」。最初に第2部冒頭の嘲笑するようなモチーフが”wie ganz von ferne(非常に遠くから)”の指示とともに現われる。ここはもっと心理的な距離感が欲しかった。戦闘の音楽に入ってからは打楽器群が見事な斉奏。さなか、何度か優美な「英雄の妻」のモチーフが交錯するが、ここの1st.Vn.の同音型が崩れてしまったのは惜しかった。各奏者の力量からして「まだできる」と感じた。頂点で「英雄」と「英雄の妻」のモチーフが結合される箇所(653小節~)は、ffのトゥッティだが、両方のモチーフがよく聴き取れる。抑制が効いており、音響が混濁せずに見通しが確保されているからだ。ここは指揮者と各奏者の手腕が生きた。
この戦闘の音楽は、一見すると無秩序にも見えがち(聴こえがち)だが、実は3小節構造と4小節構造、それとヘミオラの対比や保属音の機能的な用法などで論理的に書かれている。2Fの真横で聴いたが、指揮者の三河はそのすべての要素を的確に振れていた。来年の1月に札響で同曲が取り上げられるが、そのときにどこまでできるかも注目したいところだ。
第5部と第6部に関しては、オーケストラの瑕疵はほぼなくなり、R.シュトラウス一流の後ろ髪がひかれるような趣きに身を委ねることができた。もっとも印象深かったのは結尾部。弦が沈黙して、管打のみとなる。死者を弔う弔砲のような厳粛さが聴こえてきた。音量の指示はffだが、心の奥深くで響くようだった。各奏者と指揮者の深い理解と共感がなければこういう響きにはならない。この結尾部には、初稿と決定稿があり、初稿はVn.のソロで静かに幕を降ろす。今回は決定稿だったが、この稿でこそ「英雄の生涯」は完成したのだと思った。
アンコールはJ.シュトラウスのKaiser-Walzer(皇帝円舞曲)。心憎い演出が光った。リタルダンドからワルツのテンポに戻るコーダで、なんと、ベートーヴェンの「皇帝」第3楽章の主題が引用され、続く最後のフォルテでR.シュトラウスの「英雄の生涯」の「英雄」の主題が高らかに歌い上げられたのだ。一瞬で通り過ぎてしまったので、終演後に出演者にスコアを確認させてもらった。コンマスの野村聡による編曲とのことだ。思えばベートーヴェンの「皇帝」は交響曲第3番「英雄」と性格が似ているし、調性も同じEs-dur。そしてR.シュトラウスの「英雄の生涯」も「英雄」がテーマでEs-durと意外な共通点がある。プログラムの裏テーマがコンサートの最後に音楽で結合されたようだった。最後までお客さんを楽しませよう、そして自分たちも楽しもうという姿勢に笑みが零れた。

オーケストラHARUKA提供
オーケストラHARUKAはプロと愛好家の混成団体だが、こういうオケにはよい意味でのアマチュアリズムがある。筆者はカンマーフィルハーモニー札幌のファンで同オケにもその特徴があるのだが、どちらもその情熱的で真剣な姿勢には感動させられる。ややもすると常設のプロオケにはお仕事モードになりがちなところがないとはいえない。たまにこうした混成オケの公演に足を運ぶといつも胸が熱くなるような音楽体験が待っている。アマチュア=amateurという言葉の語源にはラテン語のamator=愛するというニュアンスが響いている。お金の「ため」とか評価される「ため」ではなく、音楽それ自体のために音楽を愛するところにアマチュアリズムの本質がある。決して「プロではない」という否定的な意味ではない。芸事の本質的な部分には、アマチュアリズムがある。こうした活動を続けている団体の演奏に触れるとそのたびにそれを思い出させてくれる。節目の公演を終えたオーケストラHARUKAの今後の活動の充実を心から願いたい。
(多田圭介)
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