札幌劇場ジャーナル

【アイーダ】見どころ聴きどころ ①

STJセレクト

札幌文化芸術劇場hitaruの開館、こけら落としのアイーダ上演まで一か月。市内では関連イベントが目白押しだ。本紙では、創刊号に続いて、Web版で上演まで毎週一回、アイーダのみどころを紹介してゆきたい。今回は第一回。幕が上がって最初の注目箇所をご紹介する。

 

アイーダ

まず、登場人物。面白いことにリコルディ版のアイーダのスコアには、理解の助けとして登場人物のおおよその年齢と性格が記されている。もちろん、ヴェルディが楽譜に書いたわけではないし、新しい批判校訂版では削除されている。だが、アイーダの「今」を知るためにとても有用な資料なので紹介したい。

 

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アイーダ:20歳。エチオピアの女奴隷。褐色の皮膚で浅黒い。愛すべき優しい性格。辛抱強さも持っている。

 

アムネリス:20歳。エジプトの女王。きわめて魅力的で異性を惹きつける女性。激しく多感な性格。

 

ラダメス:24歳。衛兵隊長。熱狂に満ちた青年。

 

エジプト国王:45歳。アムネリスの父。威厳に満ちた堂々たる振る舞い。

 

アモナズロ:40歳。エチオピアの王。アイーダの父。褐色の肌。野性的で粗野な性格の戦闘員。強い愛国心を持つ。

 

ランフィス:50歳。祭司長。神官たちのトップ。頑固で独裁的かつ冷酷。

 

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このように記されている。どうだろうか。いまとなってはかなり類型的で古臭いアイーダ像という印象を受けないだろうか。20世紀の後半までヴェルディのオペラはかなりヴェリズモ的に誇張されて演奏されていた。その風習が役柄の性格描写に影を落としているのだ。20世紀に主に使用されたリコルディ版からはかつてアイーダがどのような人物理解のもとで上演されていたかがよく見える。

 

20世紀の終わりから出版がはじまった批判校訂版では、慣用版であったリコルディ版の間違いが次々と指摘され、ヴェルディの音楽はまったく新しい装いに変わった。どう変わったかというと、弱音を多用した緻密な心理描写が中心になった。さらに、それをヴェリズモよりもずっとロッシーニ的な美しい声で丁寧に歌うように変わったのだ。アイーダも例外ではない。さあ、それでは、第一幕から、心理劇としての面白さに注目してみよう。

 

第一幕の第一場は冒頭から目が離せない。第2曲でラダメスがアイーダへの秘めた愛を歌うと、第3曲からは繊細で複雑な人間心理が絡み合いを見せ始める。この第3曲についてご紹介したい。ほんの数分のナンバーだが、異様な緊張とそのわずかな緩和の連続でありここがダメならその上演はもう失敗といってよい。

 

2曲が終わると、王女アムネリスが登場する。すると、ラダメスの浮かれた様子を見てラダメスに揺さぶりをかける。アムネリスは、ラダメスが誰のことを好きなのかまだ知らないのだ。だが、自分ではない誰かに惹かれていることまでは気づいている。

 

ここで、アムネリスは、「あなたの眼差しにはなんという喜びが!どのような女性があなたにそれほどの喜びを呼び起こすのでしょう!」と歌う。これが第3曲の冒頭だ。一見、機嫌よく「ごきげんよう」と挨拶しているだけにも見えるこの箇所。ヴェルディの書いた音符からは、ご機嫌な調子に巧みに皮肉の色が混ざっている。さらには、自分の好きなラダメスの心がすでに他の女性に向けられているのではないかという猜疑心も表現できなくてはならない。これは極めて難しい。どれか一方に偏ってはダメなのだ。あくまでも、ご機嫌な挨拶という外見を装いつつ、皮肉と猜疑心をチラつかせなくてはならない。冒頭からアムネリス役を歌うメゾ・ソプラノは実力を問われる。優れた歌手がアムネリスを歌うと、ここを聴いただけでこの作品の鍵になるのはアムネリスなんだと即座に理解できる。このインパクトが感じられなければアムネリス失格と言っていい。

 

続けて、ラダメスは、ただならぬアムネリスの気配を察し、つとめて冷静に振る舞う。ここも、一瞬焦りを見せるが我に返り冷静さを装うという心理の綾の表現が要求される。ヴェルディの楽譜は実に細かい。

 

さらに、そこへラダメスの意中の人アイーダが入ってくる。そこで、ラダメスの表情が一瞬ほころぶ。その表情の変化を鋭い視線で確認したアムネリスは、ラダメスの意中の女性がアイーダだと確信する。アムネリスは、視線の動き、ハッと何かに気づいた表情、そして何かを確信するという一連の心の動きを一瞬のうちに表現する。しかも、ここはあくまでも内面の声。声を張り上げるわけにはいかない。さらに、オーケストラも複雑なリズムと鋭角的な転調でこの研ぎ澄まされた感情の発露を彩る。指揮者が凡庸だと一音単位で感情が変化していることは伝わらない。指揮者とオーケストラにも注目だ。

 

ここでアムネリスは、アイーダを懐柔しようと目論見、柔和な笑顔を浮かべアイーダを呼び寄せる。しかし、この優しさは当然偽りの優しさだ。かつ、すでに平静を失いつつあるアムネリスの顔にはわずかに怒りが見えていなければならない。

 

アイーダは、ラダメスとアムネリスのこのただならぬ気配にはまったく気づいていない。アイーダは祖国エチオピアとエジプトが戦争状態に入ったことでその悲しみに打ちひしがれていると訴える。そこへアムネリスの問責が加わりアイーダの感情は小さく揺さぶられる。祖国とエジプトとの戦いを憂い、そこにこの動揺が重なり嘆きは悲しみに変わる。この女性二人のやり取りを見てラダメスは、困惑し何もできないでいる。

 

これが第一幕、第一場、第3曲にヴェルディがこめた心理の動き。ほとんど映画的といってよい細やかさだ。hitaru2300席の巨大劇場。演劇や映画のように、顔の表情で表現することには限界がある。ヴェルディが要求したように、すべてを「音」で表現しなければドラマは動き始めない。幕が上がり最初の難所を見逃してはいけない。

 

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