【アイーダ】見どころ聴きどころ ②
アイーダの見どころ聴きどころ。今回は第2幕より第8曲。この幕の第1場の第8曲「シェーナと二重唱」と次の第3幕の第1場でのアイーダとアモナズロの二重唱は、この作品の最大の聴きどころである。音楽的にも、徐々に気軽に口ずさめる旋律が後退してゆき、直截に心理の動きを音にしたようなリアルな描写が連続する。すでに晩年の傑作「オテロ」を先取りする手法も多い。
第2幕の第1場第8曲「シェーナと二重唱」では、アムネリスとアイーダのかけひき、女の戦いがいよいよ火花を散らせる。第1幕でのこの二人のやりとりは、まだ本音を隠しつつ展開されたが、ここでは第1幕で隠していた本心が刃のように襲いかかる。本紙創刊号で簡単に紹介した「女の争い」がこの第8曲だ。
興味深いことに、この作品ではエジプト王の性格がほとんど描かれない。王女であるアムネリスがその「王」という存在の尊大さを体現するためだ。この第8曲ではそのプライドの高さ、気位の高さ、これらの要素が凝縮して露わになる。
さて、では第8曲に入ろう。場面はエジプトがエチオピアを負かしエジプト軍の凱旋を待つというシーン。凱旋する英雄ラダメスの帰りを待つエジプト王女アムネリスのもとに奴隷に身を落としているエチオピアの王女アイーダが近付いてくる。
アムネリスは、うわべだけの優しさでアイーダに「武運つたなくFu la sorte dell’armi..」という言葉をかける。まずはこの歌詞に注目したい。この「武運つたなく」という歌詞の旋律は、前の幕の最後にアイーダが歌った「勝ちて帰れRitorna vincitor」の旋律から採られている。こうすることで、アイーダを気遣った優しさが実はアイーダの想いの敗北の揶揄であることが表現されているのだ。さらに、その旋律の後にはティンパニの不気味な連打が挿入される。この死の連打のようなティンパニは、アイーダの想いが敗れたことを示しているのだ。
この箇所の巧みな管弦楽法は、ぜひ観劇の前にDVDなどで予習してほしい。「勝ちて帰れ」と「武運つたなく」の旋律の形を覚えておくだけでもより深くドラマを堪能できるだろう。
続けてアムネリスは、アイーダの恋人を探るために、「ラダメスは死んだ」と嘘をつく。ここでのアイーダの心の動揺を表現する管弦楽の細かい表情は卓越している。アイーダの動揺とそれを隠そうとする心が言葉を発することなく表現される。ここからは指揮者の腕が問われる。次第にテンポを速め、場の空気が緊迫を増してゆく。アムネリスが、アイーダの恋人がラダメスであると確信し怒りに震えているのだ。きっと10月の公演ではバッティストーニが卓越した表現を聴かせてくれるだろう。そしてその緊迫の頂点でアムネリスは「生きている!Vive!」と叫ぶ。ラダメスは生きている。カマをかけてアイーダを試しそれにアイーダがかかったことを示しているのだ。
ここからハッと我に返ったアイーダとアムネリスの勝ち誇ったような歌が対比され二重唱へ入る。この二重唱が創刊号で紹介した箇所にあたる。
「お前の恋敵はファラオの娘!」とアムネリスはアイーダに圧倒的な身分の差を誇示する。そこで、アイーダは自分もエジプトの王女だと言いかけて、奴隷である今の境遇を思い出し言葉を濁す。歌詞は「私の恋敵。それなら私だって・・」。この箇所は全幕で唯一アイーダが声を荒げる箇所。アイーダが強い声を発するのは全幕を通しここだけだ。自分も王女であるからあの方に相応しいとつい本音がのぞく。優しいアイーダという人物が内に秘めた強さが垣間見えるこの箇所にも注目してほしい。
アイーダという役には、他の箇所では常に抒情的で優しくリリカルな表現が要求される。基本的にはリリコ・レッジェーロかプーロ・リリコのソプラノが歌うべき役なのだ。しかし、ここだけは、ラダメスへの想いの強さと身分へのわずかなプライドによってそれをはみ出すような表現が求められる。歌手によっては、アイーダという役がリリコ・レッジェーロないしプーロ・リリコであることを聴衆に忘れさせるような表現を聴かせる。だが、他の箇所と同じようなベルカント的な発声でこのインパクトを表現するか、ここだけは叫ぶように歌うかは、ヴェルディの作品解釈にも関わってくる。おそらく、ヴェルディはヴェリズモのように強く叫ぶことは想定していない。あくまでベルカント的な声による際立った強い表現を欲していると思われる。解釈の分かれ目であると同時に、上演のプロダクション全体のコンセプトにも関わると言える。
続けてアイーダはアムネリスの足元に身を屈し「何ということを言おうとしたのでしょう!お慈悲を!」と跪く。そこへアムネリスは「卑しい女奴隷が!」と追い打ちをかける。そこへエジプト軍の勝利のファンファーレが聴こえてきて、それを聴いたアムネリスも幅広い音程の装飾句を誇らしげに歌い、それと対照的にアイーダは狭い音域を半音階で呻くように苦しみの声をあげる。
これが第8曲シェーナと二重唱の概要である。ときにブンチャッチャ、ブンチャッチャという単純な伴奏を書くヴェルディであるが、このシェーナと二重唱には、類型的な単純な音は一つもない。1小節、1音ごとに動く心が緻密に描写されている。どの音が何を表現しているか、10月の上演までCDを繰り返し聴いてほしい。指揮者のバッティストーニはかつてないほどヴェルディの複雑な管弦楽法の意図を明らかにしてくれるはずだ。
次回は第3幕の聴きどころアイーダとアモナズロの二重唱をご紹介する。また来週!