札幌劇場ジャーナル

日本フィンランド国交樹立100周年記念公演(札幌5/27、函館5/28)舘野泉 特別インタビュー

STJセレクト

527日に札幌コンサートホールKitara大ホールで、日本フィンランド国交樹立100周年記念公演と題されたコンサートが開催される。演奏者は舘野泉とラ・テンペスタ室内管弦楽団。指揮はエーロ・レヒティマキ、コンサートマスターは舘野の子息・ヤンネ舘野。札幌公演に先立って舘野にインタビューを行った。公演の曲目、左手のための作品、音楽そして人生について多いに語ってもらった。舘野は1964年以来ヘルシンキに居住しており、1981年にはフィンランド政府より終身芸術家給与を得ている。日本でも1996年の外務大臣表彰をはじめ様々な受賞歴がある日本を代表する音楽家の一人である。2002年に脳溢血に倒れ右半身不随になったが2004年に左手のピアニストとしてカムバック。以来、多くの作曲家に左手のための作品を委嘱し初演、発表を続けている。舘野がどんな音楽家であるか、どんな人間であるか、子息のヤンネ氏の以下の言葉を舘野の紹介に代えることが相応しいだろう。

 

「左手でピアノを演奏することは、父の音楽を思いもよらなかった道へ、新たな深みへと導きました。父はずっと自分が決めた道を妥協することなく歩んできましたが、それはこの数年も(時として困難に直面しつつ)変わりません。その姿は、一人の音楽家として、一人の父親として、私が彼を尊敬する理由の一つです」(2006年ヘルシンキにて‐CD”Korngold/Nordgren IZUMI TATENO “(AVCL-25093)、ライナーノートより転載)

 


‐今回のツアーはフィンランドと日本の国交樹立100周年記念の公演ということで、日本文化に大きく影響されたフィンランドの作曲家であるノルドグレンの作品を核に、シベリウス、ラウタヴァーラ、そして舘野さんに捧げられた光永浩一郎さんの左手の協奏曲が演奏されます。まず、国交樹立100周年公演ということなので、まずノルドグレンと舘野さんの交流について伺わせてください。ノルドグレンという作曲家は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に感化された作品をたくさん書いており、それらはいずれも舘野さんに捧げられています。まさに日本とフィンランドの文化交流を体現し続けている作曲家です。まず「耳なし法一」、そして、今回演奏されるピアノ協奏曲第3番。どういった経緯でノルドグレンは舘野さんに作品を書くようになったのですか。

 

舘野 ノルドグレンは私がフィンランドで暮らすなかで出会った素晴らしい才能だったので、何度もピアノの曲を書いてくれと頼んでいました。ですが、ノルドグレンは自分はピアノは弾かないしヴァイオリンの曲のほうが得意だと言い、なかなか書いてくれませんでした。そんなときに彼が日本に留学することになって、あるとき新幹線で東京から大阪まで一緒に移動したのです。そのとき、食堂車で口説き落としました。それが耳なし法一の曲でした。はじめ曲ができあがったときは、なんだかよく分からない抽象的なタイトルの曲でしたが、それからまた一週間くらいあとに出来上がった曲に「耳なし法一」って書いてあるんです。それでなんでこんなタイトルにしたのかときくと、日本に留学して日本の本を読み、最初に読んだのが『耳なし法一』で、それを読んで大変ショックを受けたのだそうで、それであの作品が誕生したんです。

 

‐ノルドグレンの「耳なし法一」には、まだ社会が道徳やルールによって近代化される前の民謡や神話の世界観を感じます。ノルドグレンはそうした要素になにか感化されるようなところがあったのでしょうか。

 

舘野 ええ、そういう人間の内奥にある、深い世界を感じ取ったんだと思います。

 

‐ノルドグレンは、日本で小泉八雲の作品に触れる前からそうした作風だったのですか?

 

舘野 いいや、それがそうじゃないんです。彼の出世作は「ターニングポイント」っていうんですけど、とても立派な作品ですが、「耳なし法一」のような原始的な作風ではありません。耳なし法一からじゃないでしょうか。あの作品はいきなりクラスターでグァァー!っと轟然と始まる、粗野で神秘的な作風でとても話題になりましたね。

 

‐舘野さんとの出会いでピアノの作品を書くようになり、また日本文化に触発されて生まれた作品群なのですね。今回、演奏するピアノ協奏曲第3番は左手のための作品です。次にこちらについて伺わせてください。今日のインタビューのための資料で録音を聴かせていただきました。もし、私が左手のための曲を書こうと思ったら、両手で弾く内容を片手で弾けるようにするために、まず本来両手で弾くパートの音域を近くし片手で弾けるようにと考えると思います。ところが、この左手のための協奏曲は、まったく違う発想で書かれています。あまりにも、自分の知らない書法で書かれているので録音を何度も聴いてしまいました。なんとか片手で両手のような曲を弾けるようにというのではなく、はじめから左手と88の鍵盤でどんな音楽をするか、それだけが聴こえてきました。その点ではラヴェルやヒンデミットとも違う、新鮮な作品だと感じました。小泉八雲のショッキングな内容以前にこの書法にまず関心を持ちました。舘野さんと作曲家のあいだでかなり密な打ち合わせが行われて生まれた作品なのでしょうか。

 

満田聡:撮影

舘野 いや、僕は作曲家に注文を出すことはほとんどありません。作曲家も僕に注文を出すことはありません。演奏するときに作曲家にいてほしいと思うこともありません(笑)。

 

‐よほど細かくディスカッションして生まれたのかと思ったのですが。違うのですね。ピアノや作曲を多少かじった聴き手だとだいたい私と似た印象を持つと思います。とても意外です。作曲家は、注文を出さなくても「左手」での自由な新しい作風の曲を書いてくるのですか。

 

舘野 日本人の作曲家ではじめて左手の曲を書いてくれたのは、間宮芳生さんでした。とても苦労されたようで1年かけて書いてくれました。4回ほど書き直してくれたんですが、最初のバージョンのほうが全然いいんです。「ああ、ここは左手じゃ弾きにくいだろう」とか弾き手のことを思いやって直すとよくないんです。間宮さんはそうしてとても苦労なさったんですけど、最近は間宮さん以外にも多くの作曲家が左手の曲を書くようになりました。みな喜んで書いています。左手のために書くのは楽しいと言ってくれるようになりました。両手のための曲は、もう何もかも書き尽くされているという感じがするのだそうです。どんなに工夫しても既視感がある。だけど、左手のための曲ではそれがない。自分たちがパイオニアになれると言ってくれています。多田さんがノルドグレンの曲を聴いて理解した新しさも、それだと思います。

 

‐作曲家にとっても、「左手」という制約で手に入れた新たな自由なのですね。簡単に手に入る自由ではなかったと思いますが、間宮さんの奮闘などがあってのことなのですね。すごいレベルの世界だと思います。曲を聴く前は、「左手でも両手に劣らない、両手に近づくこんな音楽ができるんだ」という格闘するような作風を思い浮かべていたのですが、全然違いますね。そんなことかすめもしない。左手で自由に音楽をするのだというそれだけが聴こえてきました。小泉八雲の世界の手前で、まず作曲技法の点で非常に興味深いお話でした。音楽のほうも、「耳なし法一」と同様に、原始的で生々しい音楽です。両手で耳を塞いで大声を出しながら恐怖を誤魔化すような情景が浮かびます。小泉八雲にしても、ノルドグレンにしても、日本に秩序化される手前の原始的な世界を見出しているのはとても興味深いと思います。私たち日本人は、日本にそんなエネルギーを感じて生活していません。日本にそんなパワーを感じ取って、それを世界に発信したのもまた外国人だということがとても興味深い事態だと思います。日本人には見えてない何かが彼らには見えるのではないかと感じます。

 

舘野 そう思います。一週間くらい前に東京で初演した作品があるんですけど、パブロ・エスカンデっていう作曲家なんですけど、「三つの俳句」という曲なんです。松尾芭蕉の俳句が主題です。一つは姥捨て山がテーマです。それをアルゼンチンの作曲家が書いているんです。そういった要素は多分にあるのだと思います。面白いですね。エスカンデの作品もとても優れています。

 

‐文化的な交流には一方からだけでは見えない本質があるからこそ意味があるのですね。そこから生まれる新しい世界がまたその土地の文化を耕す、そんな積み重ねは文化芸術ならではですね。異文化、また、左手といった異質な要素が媒介になっていることにとても関心があります。

 

舘野 そうして本当に優れた曲が生まれ続けています。

 

‐なにか、今回の演奏会のプログラムも国交樹立100周年というこのコンサートに相応しい曲目になっているように感じます。曲目の紹介を通して文化交流の本質に迫るお話をお聞かせいただきました。左手、病気克服、そうしたキャッチコピーを付けられやすいと思いますが、そうした物語はあくまでメディア側の都合で宣伝のために追加された面が強いのであって、舘野さんも作曲家の方も純粋にいい音楽をするんだということだけを考えておられるということが伝わります。

 

札幌市内にて

‐次に光永浩一郎さんの「泉のコンセール」についてうかがわせてください。まだ録音がないということで、昨日、どこかの会場で演奏されたときの録音を聴かせていただきました。短いきれいな前奏のあとにグレゴリオ聖歌のDies iraeが轟然と鳴り響きます。そのあとはとても透明な浄化されたような音楽が続きます。どういった作品だと捉えておられますか。

 

舘野 彼とは2012年から付き合いがあります。あるとき楽譜を送ってきました。表紙には「サムライ」と書いてありました。忙しくてずっと触っていなかったのですが、半年くらい経ってふとその楽譜を見ると、エッ、これはすごい、これは弾かなければと思いました。初演は富山県の高岡でしたんですけどね、最初の一年は、いつも新しい曲を演奏するときはいつもそうなんですけど、痩せ侍といいますか、形が定まらなくて、だけど一年くらい経って少しずつ作品が育ってきた感覚が出てきて、色んなところで弾くようになりました。ベルリンやパリのリサイタルでも弾きましたがヨーロッパでもとても評判がいい作品です。光永さんはとてもピアノの扱いが上手いので、この人だったらとても素敵なピアノ協奏曲(左手のための)を書いてくれるんじゃないかなと思って頼んでみたんです。それが2014年だったかな。

 

‐その間、2年くらいの出来事なんですね。

 

舘野 ええ、それでその作品が、第1、第2楽章ができた頃かな、熊本で大地震があったんです。彼はとてもショックを受けて書き続けることが困難だった(光永さんは熊本在住)んですけど、熊本の益城町の文化会館が幸いにも被害がなかったので、そこで第1・2楽章だけ演奏したんです。それで、そのあと、、ええと、2年くらいかかったのかな。全曲が出来上がって、全曲の初演はヘルシンキでした。

 

‐すごく澄んでるなかに、なにか力強さもある音楽だと思います。少しダンスミュージックのようになる箇所は後からできた部分ですか。

 

舘野 そうです。

 

‐そう言われると、地震のショックからは立ち直ってから書いた感じがします。

 

舘野 ええ、ヘルシンキ、デュッセルドルフ、日本では群響でも演奏しました。とても喜ばれる作品です。明るい世界に向かってゆくような終わり方ですしね。第3楽章のすぐ後に、大地震のすぐ後に書いた児童合唱の曲があるんですよ。「地球と一緒に」という曲です。ピアノ協奏曲の第3楽章に使われています。

 

‐冒頭のDies iraeはどういう意味がありますか。

 

舘野 う~ん、大地震の前に書かれているんですよね。

 

‐予感もないなかで書かれていますね。

 

舘野 そう、作品そのものは大地震をバックに書かれたわけじゃないんです。

 

‐純粋に光永さんのなかから出てきた音楽で、ある種、絶対音楽的な作品というわけですね。ブラームスのドイツ・レクイエムがなにか特定の場面を描いているわけじゃない、それと同じですね。

 

舘野 そうです。僕も、右手が使えなくなって、息子が左手の作品を発掘して、これはお父さんのための曲だと持ってきたとか勝手な話ができてしまうものですよ(笑)

 

‐私もメディア側の人間ですので気をつけなくてはいけないですね()

 

舘野 ええ、そうしてください。わっはっはは。

 

ラ・テンペスタ室内管弦楽団

‐次に今回来日するラ・テンペスタ室内管弦楽団についてうかがわせてください。このツアーで3回目の来日ということですが、私はこのインタビューの資料で初めて演奏を聴きました。とても腕利きの奏者が揃っています。そして、演奏の特徴としては余計なことをいっさいしない。透明な音で色づけなく、できる限りシンプルに演奏しています。それが、作曲家の真情をよりダイレクトに伝えることができている。このあたりは舘野さんの音楽ととても共通するように感じました。この室内オケはどういった団体で、舘野さんとはどういったご関係でしょうか。

 

舘野 オケは創立22年です。僕は最初からずっと関わっています。彼らはヘルシンキ音楽院の同級生ですけど、卒業してみなそれぞれ色んなオケに就職して、それとは別に年に何回か集まって自分たちのやりたい音楽をやろうということで始まり、それが22年続いています。彼らの演奏、無駄な作為的なところがまったくないでしょ。

 

‐はい。

 

舘野 だから、シベリウスなんかとても透明な響きがしますし。

 

‐今回プログラムに組まれているラウタヴァーラもよさそうですね。

 

舘野 ええ。

 

‐ラウタヴァーラは去年まで札響の首席指揮者だったポンマーが熱心に紹介していまして、彼の交響曲全8曲のうち札響で5~6曲演奏しています。札幌は日本で一番ラウタヴァーラ熱が高い街だと思います()。これを楽しみにしているお客さんも多いと思います。この室内オケだったらとても美しく演奏するだろうと予想しています。

 

舘野 ええ、もう。ノルドグレンの今回演奏する協奏曲も名作ですが、弦楽のためのシンフォニーなども機会があれば札幌のお客さんに聴いてほしいですね。

 

‐ノルドグレンとも古い仲なのだそうですね。

 

舘野 もう何十年です。彼が北海道にいるとき、急に電話がかかってきて、僕、いま交通違反で捕まってどうしよう、って言うんです。東芝のディレクターに電話変わってなんとかなったんですけど。

 

‐なんとかなったんですか()

 

舘野 50年前の話ですから(笑)

 

‐最後に今回のツアーは札幌と函館と、北海道が2箇所も含まれています。

 

舘野 我々は北の空気にとても親しみを感じています。息子もそうです。

 

‐ヤンネさんですね。今回のツアーのコンサートマスターの。オケの来日は3回目ですが、北海道は初ということで、しかも2箇所も公演があって北海道のお客さん喜ばれると思います。最後に舘野さんのファンに方に向けてのメッセージをおうかがいできますか。先ほど、もう録音よりもライブに力を入れたいとおっしゃられていましたが、これからのお仕事への意欲などお聞かせ願えますか。

 

舘野 来年60周年なんですけど、そのあいだも、特に何を実現したいということもなく、目の前のやりたいことをやってきました。それで次のすべきことが勝手にどんどんできてくるんです。それで今まできたんですよね。

 

‐なるほど、本当にいまやりたいことに集中していると勝手に道が開けていくのですね。

 

舘野 そうなので、夢とか計画とか考えたことないんです(笑)

 

‐美しい人生ですね()

 

舘野 強いて先のことを言えば、毎年11月にバースデイコンサートをやってるんですよ、それで一番最初に演奏するのが、カレヴィ・アホに新作のピアノ5重奏を書いてもらったんですよ。11月12日にそれを初演します。2曲目にパブロ・エスカンデが書いてくれた去年の暮れに完成した、アヴェ・フェニックス。編成は僕の注文なんですけど、金管と左手のピアノ。

 

‐珍しい編成ですね。金管の内訳は?

 

舘野 ホルン4本、トランペット4本、トロンボーン3本、チューバが1.で打楽器がすごいたくさん入ります。

 

‐すごい迫力になりそうですね。

 

舘野 ええ、最初はピアノ5重奏、そしてアヴェ・フェニックス。次は吉松隆さんの賢治(宮澤賢治を題材にした作品)です。素晴らしい作品ですよ。いま楽しみにしているのはこのコンサートですね。

 

‐そういえば、吉松さんの曲もずっと弾かれていらっしゃいますね。

 

舘野 吉松さん、生まれて初めて自分でチケットを買ってきたコンサートが僕のコンサートなんだそうですよ。

 

‐すごい縁ですね。

 

舘野 それで何度も演奏会に来てくれていたそうなんです。それで、僕が監督をやっているフィンランドの音楽祭に吉松さんを招待することになってオーケストラのための新作も書いてもらいましたしね。それで、左手になってはじめて吉松さんに作品を委嘱して、そうしたら、吉松さん、頼んでもいないのに、曲をどんどん書いてきて、これあげる!ってくるんですよ。アンコール用の曲です、とかいって(笑)

 

(C)武藤章

‐最初の話に戻ると、吉松さんも舘野さんに左手の曲を委嘱されて、新しい世界がひらけてどんどん湧き出てきたのでしょうね。それにしても頼んでもないのに書いてきてくれるとは、ずっと舘野さんの演奏も聴いておられて、一緒に仕事もするようになって、機が熟しての作業だったのかもしれないですね。色んな作曲家がそうした経験をしているのだと思います。その中から、今回のツアーは、フィンランドとの縁に絞ったプログラムということになるのですね。[中略]私も当日お聴かせいただくことをとても楽しみにしております。今日はお忙しいところ、とても貴重なお話をお聞かせいただき本当にありがとうございました。

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