2023秋、Kitaraワールドオーケストラシリーズを聴く – 内田光子&MCO × ネルソンス&GOL – (執筆:多田 圭介)
「色んなものがあっていい」。このごくまっとうな言葉を「なんでもあり」の意味で理解する人が増えてきたのはそんなに昔のことではない。言うまでもなく、この2つの言葉の意味するところはまったく異なる。だが、この10数年ほどだろうか。混同されるようになってきた。背景には何があるのか。まず指摘できるのは、「人それぞれだからね」、「自分の気持ちを最優先していいんだよ」、「みんな違ってみんないい」などのようなことを言う人が増えてきたことがある。一見優しいように見えがちな(だが実際は無責任な)こうした言葉を、ただ「いい人」と思われたいがために、その意味をよく考えもせずに安直に吹聴する人が急速に増えてきたのだ。その結果、両者は混同されるようになってきた。これが、けっこう、まずい。社会を運営する上だけではなく、芸術や文化のレゾンデートルの次元でも、まずいのだ。何がどうまずいのか。この2つはどう違うのか。どこかで腰を据えて書かなくてはと思っていたところで、ちょうどよい機会が降ってきた。2023年秋のKitaraワールドオーケストラシリーズの2つの公演は、まさにこの両極端を往復するような出来事だった。
1つは内田光子&マーラー・チェンバー・オーケストラ。もう1つはネルソンス&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。どちらも、ありきたりの演奏とは大きく異なっていた。だが、それでも内田光子は「色んなものがあっていい」の例と言える含蓄に満ちた仕事だった。それに対してネルソンスのほうは、目を覆うばかりの投げやりな仕事っぷり。もう「なんでもあり」の世の中になりつつあるんだなと嘆息せざるを得なかった。そして、もっと重要(ヤバい)なのは、両者ともに、<同じように>称賛されたことだ。「誰が何と言おうとも自分が気持よければそれがよいものなんだよ」、「色んなものがあることはいいことなんだよ(もちろん言葉の誤用)」とばかりに。まずい。何か、世の中の底が抜けた気がした。世界のタガが外れた音がはっきりと聞こえた。ほんの少しでも世界のバランスを回復しなければいけない。秩序を回復しなければいけない。
10/29 内田光子&マーラー・チェンバー・オーケストラ
内田光子は、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番K.503(以下K.503と略)を披露した。第20番以降のピアノ協奏曲で最も演奏頻度が低いこのK.503が秘めているポテンシャルを拡大するような演奏だった。まずはそれから書こう。ただ、先に断っておかなければいけないことがある。内田光子はそんなに音量のあるピアニストではない上に、協奏曲を弾き振り(※ピアノを弾きながら指揮をすること)するときは、ピアノの蓋を外してしまう。そのため、内田の奏でるピアノの音色の変化がしっかりと届く席はごくごくわずかな座席に限られてしまうのだ。Kitaraで言うなら、2FのLAとRAのできるかぎり舞台に近い席。この100~200席であれば申し分ないが、そこを外してしまうと、まず聴こえない。筆者は内田の協奏曲の弾き振りを聴くときは、どこのホールでも必ずこの近辺のエリアを確保することにしているが、当日は諸事情で2FのRB後列だった。当然のことだが、内田のピアノの音のごく微細な色合いは1~2割くらいしか届いていない感触があった。だが、それでも内田光子はやはり只者ではなかった。協奏曲のオーケストラのコントロールだけでもぐいぐい惹き込まれ、溜息が出るような舞台だった。
モーツァルトという作曲家はフランス革命後の1791年まで生きていたが、彼は本質的に旧体制の作曲家であった。宮廷文化の華やかな音楽が書きたかった作曲家だ。しかもモーツァルトは宮廷に就職することが叶わなかった。このK.503には、もう終わろうとしている宮廷文化の最後の華やぎと、それに手が届かなかった(あるいは終わろうとしている)モーツァルトの悲しみや心の陰りが二重に響いている。内田は、その後者の要素、つまり深いメランコリーと諦念に強く惹かれている。もう魅入られていると言ってもいいほどなのだ。
第1楽章は壮麗なファンファーレで始まる。しかもオーケストラにはトランペットとティンパニが入っている。モーツァルトの協奏曲でこの2つの楽器が入っているのは珍しい。だが、モーツァルトはこの曲でこの2つの楽器を入れずにはいられなかった。なぜか。宮廷で夜な夜な繰り広げられた祝祭の開始を告げるのは、いつもトランペットのファンファーレだったからだ。モンテヴェルディのオルフェオ、ヘンデルの王宮、みなそうだ。ファンファーレは鳴り響く紋章なのだ。そして、そのファンファーレに続くファゴットとオーボエのモチーフの陰りはどうだろう。まだ曲は始まったばかりだが燦然と輝く太陽に早くも雲がかかるようだ。内田が指揮するマーラー・チェンバー・オーケストラは、このファゴットとオーボエの何気ないひとくさりを、まるで涙が滲むような音色で奏でる。この曲にはこんな感情が刻まれていたのかと、耳を奪われる。次にヴァイオリンに扉をノックするような短調の音型が現われる。ここは、胸騒ぎが抑えられずにせわしなくノックするかのように切迫していた。直後、不安を振り払うような上向音階に音楽は呑み込まれてゆく。冒頭よりもう一段輝かしく。ここまで1分。なんというドラマだろうか。K.503からこんなドラマを引き出した指揮者を他に知らない。内田は、モーツァルトの後期協奏曲のなかでもとりわけK.503を得意としているが、その思い入れは半端なものではない。
第3楽章でも耳を、目を奪われた。寂しげな短調になる第2エピソードがカデンツを経て、明るいへ長調に転ずる箇所。まるで「なんちゃって、泣いてないよーだ」とばかりに急に明るくなる音楽だ(163小節~)。だが、内田は、へ長調に転じたここでもう「ここしかない」とばかりに痛切な哀しみをなお奏でる。最弱音だが、内田のピアノはここで演奏会場と座席のハンデを超えた。聴こえないはずの慟哭が、嗚咽が、作曲者の心にじかに触れるように飛んでくる。おそらくは内田が全曲を通してもっとも共感しているのはここだ。同じ旋律が2回目に入ったところで、音楽はさらに幽玄になる。耳を疑った。モーツァルトのピアノ協奏曲でこんな音はしない。舞台に目をやると、ピアノの左手のパッセージに、コントラバスの後ろの奏者の1人がアルコでユニゾンを重ねているではないか。黄泉の国から響いてくるようだ。なんて思いきったことをやるのか。だが、この華々しい音楽に潜んでいる不安と憂いこそが内田が見出した作品の本質なのだ。この曲には間違いなくこうした側面がある。他の誰の演奏でも、輝くような明るさに満ちていて、そしてだからこそ、他の協奏曲と比較すると、やや単調で影の薄い曲に聴こえる。だから演奏頻度も低い。だが、内田はそこに終わりゆく栄光の陰りと諦めを映し出したのだ。これは、紛れもなくK.503が持つ本質であり、そこに焦点を当てた内田の演奏は、まさに「色々あっていい」と言えるものなのだ。
11/25 ネルソンス&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ネルソンスのほうはどうか。こちらも先に断っておきたいことがある。ネルソンスは、11/25のKitaraでのコンサートでは、確かにもうその場の思いつきで指揮しているとしか考えられない演奏に終始した。だが、後で気になって録音をチェックしてみると、彼らの本拠地で録音された同じ曲目では、Kitaraでいい加減だった箇所の7~8割は論拠がある解釈に落ち着いているのだ。札幌の公演では長いアジアツアーの疲労で集中力が下がったのか、その中でも地方の公演で雑になったのかはわからない。だが、この演奏がネルソンスの実力で、これでいい演奏だったというのはさすがに彼に失礼であるということは先に述べておきたい。このレベルの大家でも気乗りしないとここまで緩むことがあるのは、ある意味でヨーロッパの奥深さとも言える。
さて、ブルックナーの第9番。その場の思いつきで適当に棒を振り回すとこんな音になるという見本のようだった。まず最初。あのppのトレモロの原始霧。ここでネルソンスは乱雑に棒を突き出した。びっくりしたオケはアクセント付きで出てしまった。しかもテンポもあり得ないほど速い。二分音符=60を超えていた。だが、このテンポは意図されたものではない。オケもテンポが分からずにそう弾いてしまったのだ。なぜそう言えるか。D音の持続から最初の主題の断片が姿を現わすまでの20小節に3種類のアウフタクトが登場する。4分と8分と16分。これらがすべて転んでいたからだ。オケの各奏者もテンポが分からず手探りで音を出さざるを得なかったのだ。
最初のテンポがこれでは、このあとどうするのか。というのも、この第1楽章はテンポの変化が多いのだが、複数回登場する”Tempo I”(初めのテンポで)でリセットされ楽章を通じる軸が据えられる。基本テンポをこの超速で行くのか。そう思ったら、Tempo Iのたびに滅茶苦茶なテンポ設定だった。あるときは二分=70、あるときは二分=55。もう軸がない。酩酊状態。
もっとあり得ないのは再現部の第1主題第2楽句にあたる381小節。ここは譜例のように381小節の頭に”a Tempo”(元の速さで)の指示がある。ギアチェンジするのは当然381からだ。だがネルソンスはなぜか直前のアウフタクトの3連符から突如ギアチェンジ。3連符の音価を381以降と揃えたくなったのだろうか。だが、もしそれをやるなら選択肢としては4/4から2/2に戻ったP(367のアウフタクトから)から事前にテンポを上げておくしかない。スクロヴァチェフスキがそうやっている(※その場合、直後のQの”Langsam”の指示を無視せざるを得なくなるという代償を支払うことになる。スクロヴァチェフスキの第9番は最晩年までここを犠牲にしてしまっていた)。ネルソンスはどう考えても場当たり的な思いつき。テンポも「どこに対しての<元の速さで>」なのかさっぱり分からない。オケの響きもバケツに入れた水をぶちまけるように汚い。なんの和音なのかまったく聴き取れない。リズムもすべて「だいたい」。
第2楽章スケルツォはもっといい加減。最初の木管がいきなり転んでいる。続く2nd.Vn.のあの神秘的なⅦの変化和音(嬰ハ・ホ・嬰ト・変ロ)も音に意思がなくて何の和音か分からない。続く1st.Vn.のピッツィカートはほぼ誰も弾けていない。D音の連打が炸裂する主題の前の休符の長さが出てくるたびに全部違う。次に中間部のトリオ。このトリオは型通りの端正な均整を保ってAとBが繰り返される。荒ぶる主部と対比される。あくまでも端正で型を遵守するからこそ主部との対比になる。だが、このトリオのB主題も出てくるたびにまったくテンポ感もフレーズ感も違うのだ。ちょっとあいた口が塞がらない。トリオの”schnell”のフルートも遅れたり転んだり。まじめに吹いていない。もちろん棒が分からないのもあるが。
第3楽章。あの神々しい音楽が何かを変えてくれるかと一抹の期待を捨てずに聴くことにしたが一瞬で裏切られた。楽章の冒頭、嬰ヘ音のバスの上に最初に頂点が築かれると、ブルックナーが「現世への別れ」と呼んだ金管のコラール(29小節)が始まる。ホルン2本とワグナー・チューバ4本の厳粛なコラールだ。だが、上声部のホルンがソリストのように突出して吹きまくり、そのせいでコラールの他の声部がまったく聴き取れないのだ。ここで完全に心が折れた。もう「ポキッ」と音がした。その後は集中できなかった。ちなみにプログラム前半はワーグナーのトリスタンとイゾルデの「前奏曲と愛の死」だったが、恐ろしいことにもっと弛緩し切っていた。これについて書くのは筆が進まない。読むほうも、もう十分だろう。30年間、コンサートに通ってきたなかで間違いなくワースト1を争う手抜き仕事だった。開けっぱなしの蛇口から水がドバドバ垂れ流されているような光景が延々と続いた。
だが客席は大盛り上がり。曰く、「変わったことは何もしていない」、「伝統を受け継いだ」、「立派なサウンド」等。演奏が「なんでもあり」なら聴き方も「なんでもあり」。もちろん、この演奏を心から楽しんだ人がいてもいい。当然そうだ。だが、「変わったことは何もしていない」という感想はどう考えてもおかしい。そもそも、聴いていないか、虚言か、寝ていたか、のどれかだ。自分が気持よかったのなら、ただ「気持ちよかった」とだけ言えばよい。それだけでも十分すぎるほど素敵なことだ。なのに、なぜ内容に言及して世界を手前勝手に捩じ曲げるのか。いや、世界を手前勝手に捩じ曲げる、ここにこそ問題の端緒がある。
「なんでもあり」の世界で生きるということ
内田光子の「色んなものがあっていい」とネルソンスの「なんでもあり」の違いはどこにあるのか。ここが分からないと、ネルソンスの音楽を「変わったことを何もしていない」と「感じた」人だって、感じ方は「人それぞれ」だから、どう聴こうがその人の「自由」なのでは?となることだろう。だがその「自由」こそが最大の問題なのではないか。
そもそも自由とは何か。おそらく「色んなものがあっていい」と「なんでもあり」を混同する人はそこが分かっていない。まず、自由とは「自己を超えた価値の全体に自己を従わせること」ということである。自分の<感じ方>を超えた価値の全体に「全面的に従うこと」。それと「全面的に自由であること」は表裏一体なのだ。難しいことではない。会社で誰を出世させるか話し合っているとしよう。そして出世した人は自分の隣で働くことになるとしよう。自分が「この人は自分に優しいからこの人を出世させたい」という<感じ方>を優先したくなったとする。そうすることはその人の「自由」と言えるか。言えない。それよりも「この人は厳しいけど誰よりも仕事ができるからこの人が出世すべきだ」という、自分の感じ方を超えた価値を優先する人が本来の「自由」な人である。こうした誰もが常日頃触れている問題だ。前者より後者を優先できる人間のほうが「自由」、というのが自由の基本的な理解になる。もちろん、「この人よりこの人のほうが仕事ができる」というのは評価基準によって変わってくるからそれに関しては「色んなものがあっていい」。だが、仕事ができるかよりも自分に優しい人かどうかで判断するのは「なんでもあり」。まずはこの違いだと考えてみればいい。内田光子の仕事は、自分を超えた論理や秩序への意思に貫かれているがネルソンスにはそれがない。すぐに気づかれることだろう。
自由と服従のこうした表裏一体は「ルールなんだからお前も守れよ」とか「合意したものに服従しなければいけない」という話ではない。そうではなく「我々はもともとそう考えていたはずだ」という遡行的に過去を構築するもので、この思考の手続きは、法の発見のロジックにも相当する。人間の芸術的営為が本当の意味で自由なものであり得るか、たんに恣意的なものに堕するかの違いだってここにある。もちろん、自分を超えた価値の全体は不可視だし不可知(全部は知り得ない)だ。だが、不可視の全体への「意思の有無」が、自由が成立するかどうかの分かれ道になる。いったん価値の全体を参照することなしに、個々人の「感じ方」をそのまま尊重しよう、という昨今よく耳にする言葉にはこの回路がない。そして、ここから述べるようにその一見優しい(実は無責任なだけの)言葉は非常に危険なのだ。
「人それぞれ」という言葉が「なんでもあり」の意味で解されるのと手を取り合って広まっているのが「感情の尊重」である。だが、「感情」とは、相手の言動の背景とか合理性にゆっくり思考を巡らせる前に一瞬で結論を出してしまう脊髄反射的なものだ。直接目には見えない論理や根拠を考慮する前に、つまり相手を理解する前に、たんに自分が不快だというだけで攻撃することになる。にもかかわらず、近年急速に「感情の尊重」という風潮が広まっているのには2つ理由がある。1つは、感情というものが、自分の主張の客観的な根拠を示すということをしなくても、同様に、相手の言動の背景や根拠に思考を巡らせるという面倒なことをしなくても、ラクでお得に自分が肯定されるような気にさせてくれるからだ。もう1つは、SNSによるアテンションエコノミーの弊害がある。
仕事で告知する必要もないのに1日中X(旧Twitter)に貼り付いているような人は、たいがい心が弱い。安心できる居場所を求めている。だから、SNS上で、政党が、企業が、新規立ち上げプロジェクトが、票を集めて換金しようとすれば、必然的に「あなたの感じ方を最優先して生きていいんだよ」という嘘を戦略的にまき散らすことになる。そうしてSNSに貼り付いている心の弱い人の票をかき集める。それを繰り返すと、いつしかそれがマーケティングを超えて皆の共通理解になってゆく。これがこの10数年に起きたことであることは疑う余地がない。そうして情報化社会に生きる心の弱い人々は、異質な言葉をどんどん遮断していく。かくして、外部を失ったごく私的なネバーランドが世界そのものにすり替わってゆくような体験を謳歌する。
その結果、互いの感情を最優先する彼ら/彼女らの世界観はどうなったか。一度「敵」認定した人の言動は内容を検討することなしに全否定。同じく、一度「味方」認定した人の言動は全肯定。そんな危険極まりない排除的な暴力性を「愛」の名で騙ることになる。その場その場の感情を最優先して、相手の言動の合理性をゆっくり検討する前に結論を出してしまってラクに生きようとすれば必ずそうなる。これが、「色んなものがあっていい」が「なんでもあり」にすり替わってしまった世界の実相だ。色んな人の価値観を認める世界のはずが真逆になっている。
いや、自分はそんな「狭い愛」を説いているのではない、愛がそんな暴力性を持っているなら、他者の物語を大事にできる寛容さ=広い愛を説けばいい、と言いたくなる人もいるかもしれない。だが、そんな耳障りのいい台詞を吐いて自分にうっとりできるのは、そういう人がものを考えていない証拠だ。彼ら/彼女らは「狭い愛」しか持ち得ない。その理由の検討なしに、その事実を直視することなしに「寛容」なんて口にはできない。いやそれ以上に、その成立条件の検討は途方もなく大変な知的営為だ。その作業が終わるまでは決して言えない言葉である。少しでも誠実であろうとすれば気づくことだ。
「狭い愛」とは、自己を超えた価値や秩序を意思しないということで、あらゆる価値の基準が自分の心の平穏の維持のために役立つかどうか、それだけになるということだ。自己の安心安全が最高価値だと信じている彼ら/彼女らの暴力性は凄まじい。表面上はごく温厚であろう。他人に面と向かって意地悪をすることもなかろう。人の見ているところでは自分を押し通すこともない。みんなの寛いでいる場の空気を壊さないように努め、どこまでも謙虚だ。みんなの見ているところでは、褒められそうなところでは、自分の安心安全が脅かされないかぎりにおいては、そうだ。そうやって自分を優しい人間と思いこんで生きる。だが、裏ではこそこそ動き回る。身の安全を確保するために、あらゆる噂に聞き耳を立てて、自分に関するあらゆる評判を探りだす。少しでも悪評が立つと、その火種を探り出そうと心血を注ぐ。そしてその張本人を決して許さない。全身で呪いをかけ全力で没落を願うし、場合によっては、虚偽の噂を撒き散らして居場所がなくなるよう働きかけさえする。だがしかし、当人を目の前にしては、ヘラヘラと微笑みを絶やさない。安心安全が脅かされる気配を少しでも察知すると、真理でも正義でも友情でも公正さでも愛でも、一瞬でかなぐり捨てる。くるりと背を向けて自分の安全にしがみつく。逃げ足の速いこと速いこと。ペテロがイエスを3回も「知らない」と言ってのけたように、あっという間だ。これが「色んなものがあっていい」が「なんでもあり」にすり替わった世界、つまり彼ら/彼女らの大好きな「人それぞれ」の世界、感情が何より尊重される世界だ。そんな世界に生きていたい人はいるだろうか。
自分へのご褒美で高級な料亭へ行ったのに、実は学生のバイトがレンジでチンしたものが出されていて自分はそれに気づかないとしよう。どんなに頑張って成果を上げても、それと無関係にコミュ力が高く味方が多い人が出世する社会に生きているとしよう。ヨーロッパ最古の伝統を誇るオーケストラが、長いアジアツアーの最後で疲労か何かはわからないが開き直って手抜き仕事をしているが自分はそれに気づかないとしよう。だが、自分はそのすべてに満足して満ち足りて生きている。現実は見えていない。こんな「なんでもあり」の世界に生きていたいだろうか。誰もそう願うことはないだろう。時間をかけて、経験を積んで、本当に大切なものに少しずつでも気づいてゆく人生を送りたいはずだ。だが、「人それぞれ」や「なんでもあり」という一見優しい言葉に身を委ねてしまうとそのすべては指の間から零れおちる。そう、「色んなものがあっていい」と「なんでもあり」は決定的に異なるし、後者の意味で「人それぞれ」という言葉を使うのは間違いなのだ。そして、何より個々人の感情が最優先される「優しい」世界は、いわば後戻りのできないディストピアへの入口なのだ。2023年秋、Kitaraのワールドオーケストラシリーズはその絶対的な真実を私たちに教えてくれた。
(多田圭介)