札幌劇場ジャーナル

PMFオーケストラ演奏会 プログラムB

7月22日(日) 札幌コンサートホールKitara(大ホール)

 PMFオーケストラ演奏会プログラムB~バーンスタインの世界~を聴いた。指揮はエドウィン・アウトウォーター。プログラムはオール・バーンスタインで、ファンシーフリー、セレナード、交響曲第2番「不安の時代」。

 セレナードでは五嶋みどりが登場した。1990年の第一回PMFでバーンスタイン指揮ロンドン交響楽団と共演して以来の出演だ。五嶋の音楽を一言で表現するなら「非僧非俗」とでも言えようか。聖人でもなければ俗物でもない。当り前の日常のなかにこそ真理はあるという境地を見せた。演出もわざとらしさも皆無。ごく当たり前に音楽が進む、ただそれだけで音楽がどんどん浄化されてゆくのだ。かつての女豹のような五嶋はもうどこにもいない。

 冒頭の3度+7度の愛の旋律が奏でられたその途端、会場の空気が一変した。何も表情は付けられていない。ただただ単純を極める音が空間を漂う。それだけで清められるような思いがする。第4楽章では弦楽合奏の3度の響きから愛の旋律が浮かび上がってくる。いささか作為的な書法のように思われるのだが、五嶋の音楽はまったくそう感じさせない。愛を説く語りが賢人たちの心を動かしてゆく。髪の毛の先からつま先まで音楽が浸透してゆくようだ。五嶋の音楽に触発されたのだろう。オーケストラの響きも完全に抜け切っていた。

 ただ、五嶋の音楽はすでにあらゆる自己アピールを抜け出している。無我の境地だ。そのため響きも質素を極める。座席は2CBの最前列だったが、それでも遠かった。おそらくは1階の最前列で聴けば生涯忘れられないような体験になったのではないかと想像した。少々悔やまれる。

 後半の交響曲第2番「不安の時代」も優れた演奏だった。響きが終始充実している。冒頭のクラリネットの寂しさ、第13変奏の「怒りの日」のような低音の不気味さ、不安が膨れ上がってゆくような第14変奏、いずれも素晴らしい。印象的だったのは第2部の”The Masque”。ドラムセットがバンダだった。遠くからドラムが聴こえてくる。パーティのさなかだが、どことなく現実味がなく白けている。バカ騒ぎに興じるが実は全員が帰りたがっているというオーデンの原作の世界を巧みに表現した。エピローグに入り突如虚しさが湧きあがってくる。オーケストラの響きが真実味を帯びている。Molto Sostenutoのエンディングはアウトウォーターがもったいぶらずにスパッと切り上げた。まさに信仰を取り戻す決意のようだった。

 充実した演奏だったが気になる点がある。各セクションのトップ奏者がいずれも講師だったことだ。もちろんそれによって演奏は成功した。演奏の出来を最優先するなら正解だったといえる。しかしPMFは教育音楽祭。教育的配慮を優先するならトップにアカデミー生を据えるという選択肢もあったのではないか。「不安の時代」は難曲だ。アカデミー生がトップに座れば失敗は起きただろう。だが失敗から学んでこその教育だ。最も優れた教育は「ただ見ていること」。そして失敗させそこから自ら学ばせること。口を出すのはそれより劣る。最も教育的配慮を欠くのは「代わりにやってしまうこと」。この観点からすれば、演奏会の成功をとるか、教育を優先するか、どちらを重視するかによってこの演奏会が成功だったかどうかの見え方が大きく変わることだろう。(多田 圭介)

 

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