札幌劇場ジャーナル

【STJ道外編】新鋭から重鎮まで ─三者三様の新日本フィル10月公演レポート(執筆:平岡 拓也)

さっぽろ劇場ジャーナル道外編をお届けします。今回は平岡拓也さんによる新日本フィルハーモニー交響楽団の10月公演レポートです。(事務局)

10月、新日本フィルの主催公演3シリーズには3人の指揮者と3人の独奏者が登場し、気鋭から重鎮まで幅広い世代の音楽家が舞台を彩った。まずはジェイド 〈サントリーホール・シリーズ〉 #625108日)から振り返ろう。1992年生まれの気鋭・熊倉優はコロナ禍以前から既に国内のオーケストラで着実に実績を積んでいたが、外国人指揮者の招聘が困難になるとその活躍の場をさらに広げた。今回の新日本フィル客演も、音楽監督上岡敏之の代役という形での抜擢である。同じ理由で出演できなくなったヴァイオリニストのサラ・ネムタヌの代役はヴェテランの竹澤恭子が務め、元々のプログラム(ベートーヴェンの協奏曲とブラームス第4番)からは大きく形を変えたものの、新たに興味深い曲目・演奏家の組み合わせが成立した。

(C)堀田力丸

ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』は言わずと知れた不朽の名曲であるが、決して華やかな技巧を全面に出して惹きつける楽曲ではなく、オーケストラ共々渋く内省的な音楽の掘り下げを要する。高頻度で取り上げられるが、食い足りない実演も少なくないというのが筆者の実感だ。しかし今宵の演奏は「鉄壁」だったと言っていいだろう。竹澤はなんと言ってもよく鳴る美音でまず魅了し、全曲を険しく、また色濃く彫琢する。彼女を迎え入れる熊倉の指揮も幾分慎重ではあったが、丁寧なサポートで応じた。楽曲に相応しい重厚な聴き応えのある演奏だった。アンコールのサラバンド(J. S. バッハ)で竹澤は更なる貫禄を見せつける。現代のバッハ演奏としては珍しい位に遅いが、さらりと弾かずに陰翳濃く仕上げ、楽曲に深いドラマ性を付加しているので解釈に必然性がある。その遅さを恣意的に感じられないのだ。

(C)堀田力丸

後半はチャイコフスキー『交響曲第4番』。熊倉の美質のひとつに、基本的なフレージングの深さ─ブラームス導入部の呼吸にもその一端が現れていた─が挙げられる。たっぷりと歌いつつ、随所で訪れるトゥッティの音量的頂点は左手を震わせながら重く決める。第1楽章で下から突き上げる低弦の対旋律への拘りは特に見事だった。前半楽章は特に熊倉の音楽性とばっちり合ったが、後半も決して悪くない。ロンド形式の第4楽章では主題群の移行時に歩みを緩めない。この采配は素晴らしい。楽譜にはパウゼの指示はないからだ。熊倉優は以前コンクールの指揮でメンデルスゾーンを聴いた際は丁寧実直という印象だったが、手数をぐっと増やした様子だ。しなやかな両腕で音楽を導きつつ、歌を厚塗りしないバランス感覚に今後も注目したい。

続いては外山雄三が指揮したルビー 〈アフタヌーン コンサート・シリーズ〉 #341016日)。冒頭に置かれた自作『交響曲』(2019)を聴きながら、ああそういえばこの人はモダニストだった、と合点がいった。単一楽章の中、次々と現れる短いモティーフが展開するでもなく淡々と消えてゆく奇妙さにはショスタコーヴィチ第4番(特に第3楽章)を想起する。中間部は弦の歌に冷たい抒情が滴るようで、終結では再び険しい表情が戻ってくる。トゥッティが運命的なD音を連打し、悲壮に締め括るのはどこか象徴的だ。「作曲家外山雄三いまだ健在」を自らの指揮で刻印した。

続く大澤壽人『サクソフォーン協奏曲』(ほぼ初演!)、トマジ『アルト・サクソフォーンと管弦楽のためのバラード』と続く並びもまた洒脱ではないか。現代のモダニスト外山→30年代米仏のモダニズムを纏った大澤→仏のトマジというラインが指し示される。大澤作品は独奏の上野耕平の要望で取り上げられたというが、こうした秘曲を演り継ぎ、次代へ伝えていくことは演奏史を考える上でも重要な作業だ。

(C)K.Miura

メインのベートーヴェン『交響曲第7番』。新日本フィルのSNSで公開されたリハーサル動画を観て、近年稀に見る遅さに仰け反ったのだが─実際に聴くと、これが説得力のある名演だった。外山は芝居っ気には目もくれずほぼアクセントと強弱のみで構造を抉り出すのだが、墨だけで奥深い世界を創る書家の如き説得力がある。ニコリともせずに淡々と振りつつ、キューは細かい(第4楽章終盤低弦のペザンテはずっとそちらを向いて強調していた)。結果立ち昇ったのは、明晰な響きを持つ大伽藍、とでも言おうか。それも石造りではなく、コンクリート打ちっぱなしで無骨な類の。喩えるなら晩年クレンペラーのような世界だ。外山が新日本フィルから引き出した「巨象の行進」に圧倒されたのは自分だけではなかったようで、会場は沸いた。

(C)K.Miura

89にして新たな境地を開拓している外山雄三。こうなると俄然、氏で色々な曲を聴きたくなる。いくつかリリースされている大阪響との近年の共同作業に耳を傾けつつ、再びの共演を楽しみにしよう。

最後に取り上げるのはトパーズ 〈トリフォニー・シリーズ〉 #6261030日)。秋山和慶がオール・シューマン・プロを指揮した。劇付随音楽『マンフレッド』序曲冒頭から隆々としつつ硬質になり過ぎない充実のサウンドが響く。オケが鳴り渡り、リズムの節々のキレ、全曲の流れが抜群にいい。聴こえてほしい音型が全て明晰に見透せる。こうした特徴が名匠秋山の持ち味だ。

『ピアノ協奏曲』では上原彩子が独奏を務めた。第12回チャイコフスキー国際コンクールでの優勝という彼女のプロフィールがそう思わせるのか、硬質な打鍵でバリバリと楽曲を弾き進める演奏家というイメージを抱いていたのだが、今回でその認識を大きく改めた。C-H-A-Aの順次下行によるキアリーナの主題が帯びる陰翳はじめ、これほど弱音の美しさで魅せる演奏家になっていたとは。細部のニュアンスの移ろい、和音の響かせ方が瞬間ごとに美しい。己の不明を恥じた次第である。そしてやはり、協奏曲における秋山和慶の「合わせ」の技は当代随一だ。独奏が一番輝くバランスでトゥッティを形作り、流麗に楽節を受け渡す技には唸るしかない。

(C)K.Miura

後半の交響曲第3番『ライン』は何処が印象に残った、というよりも全曲通して過不足なくスコアを音化した潔い演奏だ。第5楽章大詰めに再帰するファンファーレではややテンポを落とし、厳かな大団円を形作るのも心憎い。無味乾燥ではなく、適度な高揚感と伸縮性を備えた、まさに熟達の名匠の技を味わった『ライン』であった。新日本フィルの献身的な演奏も全篇見事。

(C)K.Miura

コロナ禍で日本のみならず世界中のオーケストラ・歌劇場がが元来のプログラムからの大幅な変更や中止を余儀なくされている。東京のオーケストラの中には(やむを得ない事情にせよ)プログラムの魅力を大きく落としてしまう団体もあるが、その中で新日本フィルハーモニー交響楽団は魅力的な代替プロの提供に成功している団体だと言えるだろう。今後も注視していきたい。

(平岡 拓也)


<著者紹介>

平岡 拓也(Takuya Hiraoka

1996 年生まれ。幼少よりクラシック音楽に親しみ、全寮制中高一貫校を経て慶應義塾大学文学部でドイツ語圏の文学や音楽について学ぶ。大学在学中からフェスタサマーミューザKAWASAKIの関連企画「ほぼ日刊サマーミューザ」(2015 年)、「サマーミューザ・ナビ」(2016 年)でコーナーを担当。現在までにオペラ・エクスプレス、Mercure des Arts、さっぽろ劇場ジャーナルといったウェブメディアにコンサート評やコラムを寄稿している。

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