札幌劇場ジャーナル

元札響事業部長、宮下良介さんスペシャルインタビュー ‐ バーメルト首席指揮者退任を記念して(聞き手:本紙編集長 多田)

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札響の事業部でのお仕事について

多田:このたびはご退職されたとのことで本当にお疲れさまでした。本紙もいつもお世話になりっぱなしでした。札響では2006年から18年に渡ってご活躍されたとのことです。事業部の部長でしたが、主なお仕事内容はどのようになりますか?

宮下:コンサートの制作です。日程、会場、出演者、曲目などを同僚と相談しながら計画します。

多田:オーケストラの自主公演のプログラムの決め方は、オケによって本当に色んなスタイルがあります。かつては音楽監督がほとんどトップダウンで決定するところもありました。札響は主に事業部の職員がイニシアチブを持って具体的な曲目を決めていくような形なのですか?

宮下:札響が主催する自主公演、たとえば定期演奏会や名曲はそうです。いきなり指揮者におまかせしても、「この曲、昨年したので、ごめんなさい」とか二度手間になりますので、ある程度の方向性は決めて指揮者に打診して、それで相談しながら決定していきます。シーズン全体のプログラムを考えるときは、まず音楽監督や首席指揮者に彼らが出演する回のプログラムを決めてもらい、その上で「ロシアもの全然ないな」となったらそれが得意な指揮者に当たる、というように進めていきます。

多田:事務方のお仕事はどの部署ももちろん責任重大ですが、事業部はその成果がとくにお客さんにはっきり見える部署ということですね。指揮者を招聘するプロセスは話せる範囲だとどのような形になりますか?

宮下:いま(※2024年4月現在)札響はタイトルを持った指揮者が4人います。彼らの出演だけでかなりの回数が埋まりますが、それ以外の客演の枠を埋める仕事がまずあります。

多田:タイトルを持っている指揮者とは、いまは首席客演指揮者とか本当に増えてきましたが、そうしたポストの指揮者の招聘も事業部のお仕事ですか?

宮下:タイトル指揮者の選定は特に注意が必要で、楽団全体の空気を読み、客席の反応をみながらやってきました。日本オーケストラ連盟の会議とかで他のオーケストラの事務局の方々とお会いしたときに、色んな指揮者の仕事ぶりとか情報を仕入れるようにし、常にアンテナを張ってきました。もちろんよその楽団で上手くいったからといって札響でも上手くいくかは未知数ですし、逆もあります。

多田:信頼している同業の方との情報交換を大切にしていたということですね。と言われますとちょっと意外な気もいたします。というのは、札響が招聘してそれがきっかけで日本でブレイクした指揮者というのは驚くほど多いからです。エリシュカさんも札響が呼んで、その後で大阪フィルやN響も呼ぶようになりましたね。

ラドミル・エリシュカとの思い出

札幌交響楽団提供

多田:エリシュカさんの招聘の決定打はどのあたりでしたか?

宮下:2006年に札響に来る前に2004年に東京フィルと名古屋フィルを指揮したのが初来日でした。その時の記録映像を見て、当時の音楽監督だった尾高忠明さんと(当時の)事務局長だった宮澤敏夫さんが「呼んでみよう」と言い出したのがきっかけでした。

多田:そうだったのですか。最初の札響への客演は2006年ですね。そのとき、後にあんな騒ぎになる予感はありましたか?

宮下:僕が大阪フィルから札響に移った2006年4月には、もう12月の定期演奏会へのエリシュカさんの客演は決まっていました。未知の指揮者でしたし、期待といいますか予感のようなものもなかったのですが初日の演奏を聴いてびっくりしました。

多田:お客さんや事務局内での反応で記憶に残っている出来事はなにかございますか?

宮下:あの頃はネットとかも今ほど普及していなかったのですが、初日は空席が目立つ状態だったのに2日目には当日券売り場がすごい行列になって満席になってしまったのです。

多田:口コミということですか?Twitterも普及していないですがそんなことあるのですか。

宮下:ええ、だからあれを見て札幌ってすごい街だなと感じました。

多田:札幌の人の「おらが街のオケ感」は他の地方にはないものがありますよね。

宮下:ないですね。すごいですよね。有難いことです。

多田:大阪フィルには何年お勤めでしたか?

宮下:1990年2月から2006年11月まで16年足らずです。

多田:最初に札幌へ移って札響はどんな印象でしたか。

宮下:すごくきれいな音という印象でした。ただ、迫力のある演奏とはちょっと違うタイプだとも思いました。

多田:大阪フィルと真逆ですね(笑)

宮下:ええ、そうしたら、2006年12月のエリシュカさんが振ったときにものすごい爆発的なスラブの音がして、驚いてしまいました。このオーケストラのポテンシャルの高さに驚きました。

多田:エリシュカさんとはその後2017年まで11年間のお付き合いになりましたね。その期間で特に印象に残っている出来事はありますか?

宮下:2012年と2015年の2回演奏した新世界ですね。新世界ってこんな曲だったのか?と思いました。僕の横で聴いていた当時の事務局長の宮澤さんが演奏終わった瞬間に呻き声を上げていました、「おれたちが今まで演奏してきた新世界はなんだったんだ」って。

多田:その新世界は宮下さんの言葉で表現するとしたら、どんなところが他と違いましたか?

宮下:ほとんど宗教音楽のような崇高さでした。あの曲に本来そういう面があるのかあくまでもエリシュカさんの表現なのか、分からないくらいです。

多田:私は実は聴いていないんです。残念です。

宮下:録音で聴いてもあまり分かりませんね。

多田:そんな気がいたします。

札響と大阪フィル在職中の思い出 ‐朝比奈、スクロヴァチェフスキなど

多田:他に在職中に宮下さんが大きな役割を果たしたお仕事ということですと、何がパッと浮かびますか?

宮下:2008年9月、演奏会形式で演奏したブリテンのオペラ、ピーター・グライムズですかねぇ。

多田:尾高さんでしたね。

宮下:はい。必要な歌手の数が多いですしオーケストラも複雑ですし、とにかく大変で同僚たちにもずいぶん苦労をかけました(笑)

多田:なぜ札響でやってみようと思われましたか?

宮下:1998年に読響で尾高さんが振っているのを聴いて、それが素晴らしい演奏だったので「うちでもやってみましょうよ」と尾高さんに言ったんです。そうしたら、あんなに大変だとは思わず。

多田:札響はトラだけではなく合唱団や声楽のソリストに来ていただくだけでも、本州のオケにはない苦労がありますね。

宮下:ピーター・グライムズのような大掛かりで珍しい作品を取り上げて全国的な話題になるのはもちろん有難いことですし、様々な助成金団体からご支援をいただけることも嬉しいですね。しかし切符を売るのは大変ですね。

多田:なるほど、チャイコフスキーとかやっているほうが集客はしやすいというところはあるのでしょうね。公演数が少ない北海道のお客さんならではの事情もあるかもしれません。東京や大阪はまた違いますよね。

宮下:大阪も、朝比奈先生が晩年にブルックナーをやると即完売したとか伝説になっていますが、それは本当に最晩年の数年の話で、それまではなかなか入らなかったのが実情です。

多田:キャニオンクラシックスから全集が出ている3回目のブルックナー全集は、ええと94年ですか(※収録が92-95年で初出が97年。現在は版権が移りオクタヴィア・レコード社のEXTONレーベルから販売されている)、そのとき初めて朝比奈&大フィルを東京定期で聴きました。音はよく外すしあまり正確な演奏ではないのですが、凄まじいテンションの高さでぶっ飛びました。あのチクルスのときも大阪では満員というわけではなかったですか?

宮下:朝比奈時代の大フィルはもの凄い音がしましたね。それでも1番とかは集客に不安があってスタジオ録音になりました。

多田:あの全集は1、2、3と6番が練習場の大フィル会館でのスタジオ録音です。演奏上の都合というよりは集客面での判断だったのですか?

宮下:そうでした。

多田:風向きが変わったのはいつ頃でしたか?

宮下:朝比奈先生のシカゴ響への客演がきっかけでした。

多田:96年5月のブルックナーの5番ですね。その後同年10月に9番と2回客演していますね。

宮下:あの5番のNHKの放送で終演後シカゴのお客さんが総立ちになっている映像が流れたのは大きかったですね。それまでは軽視する人多かったですよ。あんなもの褒めてるのは素人だというような。

多田:批判しようと思えばいくらでもできるタイプでしたしね。

宮下:多くの音楽評論家からは冷たい反応でした。シカゴ響の放送以降、ガラッと変わりました。

多田:現場の肌感覚としてはそうなのですね。話題は札響に戻りますが、エリシュカさんが晩年に札幌で圧倒的に迎えられたあの時期と、朝比奈さんの晩年は似たところがありましたね。

宮下:似てますね。横で見ていてもあのときと似てるなと思いました。朝比奈先生の晩年に来られていた同じお客さんがいらっしゃっているのをよく見ました。年配の指揮者を尊敬するなにか独特のものが日本にはありますね。

多田:朝比奈さんも録音で聴いても魅力がまったく分からないタイプの典型でした。そこもエリシュカさんの新世界のお話と通じるところがありますね。年配の指揮者が晩年に日本で成功すると言えばスクロヴァチェフスキもそうでしたね。札響にも一度客演しているのだそうですね。

宮下:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキも素晴らしかったですね。人柄も愛すべきおじいちゃんで、演奏はもちろん凄いですし。

多田:箱庭を作るように細かく手を入れる指揮者ですが、それだけではなく細部まで本当に血の通った温かい音楽をしますね。

宮下:ええ、1回だけでしたが素晴らしかったですね。2006年5月3日のキタラの主催公演でシューベルト『未完成』やモーツァルトの39番と『ジュピター』でした。

多田:そうだったのですか。90年代から晩年までスクロヴァチェフスキはN響と読響に定期的に来られていましたね。彼が振るとオケの音が本当に変わるので、札響でも聴きたかったです。

マックス・ポンマー(2015-2018,首席指揮者)との思い出

札幌交響楽団提供

多田:年代をだんだん下っていきますと、先ほどエリシュカさんが新世界で宗教的だったというお話でしたが、ポンマーさんも大家ならではの静けさがある音楽をする方でしたね。

宮下:ポンマーさんも色んな顔を持っています。一筋縄ではいかない。表現が難しいのですが、旧東独時代にご苦労された方という印象がありましたね。

多田:それは音楽面でですか?

宮下:そうです。実際にお会いしてビールを一緒に飲んでいるときなんかは明るくて愉快な方なのですが、音楽には暗い影がありましたね。

多田:バッハのヨハネ受難曲の静まり返ったような響きは忘れられないです。

宮下:今のバッハ演奏からは聴けないものでしたよね。

多田:古楽の人たちのバッハともまったく違いますね。数百年間、少しずつ時間をかけて変わってきたその連綿とした時間の流れを感じます。昔はこうだったんだ!という実験的なのとはまったく違います。

宮下:違いますね。歴史を背負っている感じですね。結局札響ではやらなかったのですが、ドイツの20世紀の音楽も得意ですし、アイスラーやデッサウなどドイツの今ではあまり聴かれない音楽なんかも熱心に採り上げた人という顔もありました。レーガーは札響でもやってくれましたね。

多田:ラウタヴァーラの作品はいくつかやりましたが、あれはポンマーさんじゃなかったら札幌で聴く機会はなかったですね。

宮下:ポンマーさんはラウタヴァーラとは親交があったのです。ポンマーさんとも色々やりたかったのですが任期が短かったので。

マティアス・バーメルト(2018-2024,首席指揮者)との思い出

札幌交響楽団提供

多田:さて、さらに年代は下りまして、いよいよバーメルトさんについてです。私が最初にバーメルトさんが札響に出演したのを聴いたのは2016年1月の定期でした。マ・メール・ロワと展覧会の絵で、もう一目惚れでした。静かに天へ昇ってゆくような音楽で衝撃でした。あいだにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲がありまして、ソリストがイザベル・ファウストで実は私もそっちが目的で行ったのですが一瞬で指揮者に夢中になりました。出演の履歴を見ると2014年の客演が最初だったのですね。2017年にもう一度客演して、その秋に翌2018年からの首席就任が発表になりました。経緯はどのようだったのですか?

宮下:2014年はポストホルンセレナードでしたが、もうそのときに楽団員たちの何人かが「この人すごいからまた呼んでくれ」って事務局に押し掛けてきましてね。それで、すぐに打診して2016年の公演が実現したんです。彼も先ほどのエリシュカさんではないですが、一度の客演でオーケストラとしても一目惚れという感じでしたから。

多田:2014年に最初に招聘しようと思ったきっかけは何だったのですか?

宮下:バーメルトさんはレパートリーがとにかく広いんです。珍しい曲もたくさん録音していますし。あのときの定期の曲目はポストホルンの他もハイドンの校長先生とかで、そのあたりのレパートリーが当時の札響はちょうど抜けているときだったのが大きかったのです。いいタイミングだったと思います。二度目の2016年は、楽団員だけでなく満員のお客さんも喜んでくださって、これはいい関係になりそうだなと思いました。

多田:その後、2017年にもう一度客演しています。

宮下:あのときは首席指揮者への就任がもうほぼ決まっていて確認という感じでした。(バーメルトさんの前任の)ポンマーさんももうお歳でしたし、次どうするかってなったときに、札響内では皆それぞれ贔屓の指揮者の名前を挙げるんですけど、あのときは圧倒的にバーメルトさんを挙げる声が多かったですね。

多田:バーメルトさんの首席就任の報を受けて、もう自分のことのように嬉しかったことをはっきりと覚えています。次に任期中の様子について窺わせてください。事務的なやり取りのほうからいきましょうか。就任してみて宮下さんの印象は?

宮下:頑固な方でしたね(笑)しっかり自分の意見を仰る方です。

多田:一見すると頑固で怖そうだけど実は穏やかだった、というわけではなく、一見したまま頑固だったわけですね。信念を強くお持ちで譲らないというところがありましたか?

宮下:ありましたね。普段は冗談もよく仰いますしお茶目なところもありますが。

多田:こと音楽のことになると。

宮下:仕事の話になると、なかなか譲らないです。

多田:出てくる音楽ももちろん真剣で頑固ですが、ときたま物腰の柔らかさとかエレガントな雰囲気もありました。ひと言では言い表せない複雑さがある音楽をなさいましたね。

宮下さんからみたバーメルトの音楽

リハーサル風景(札幌交響楽団提供)

多田:音楽面ではいかがですか?

宮下:仰る通りエレガントな面もありますし、頑固一徹な音楽でもありません。ただ、練習は厳しかったですね。

多田:今はリハーサル中に楽員のあいだにコミュニケーションの輪が自然に広がってゆくような空気を作るのが上手い指揮者が本当に増えてきました。

宮下:そういう面もあったのですが、野放図な音の出し方を絶対に許さないところがありました。

多田:最高ですね。バーメルトさんがそういう音を出したところは聴いたことがないです。

宮下:ええ、汚い大きな音が大嫌いな方でした。ピアニッシモの練習といった感じでした。

多田:私の好みとピタッと一致するわけです。オーケストラの音楽ではピアニッシモがどれほど意味を失わないで出せるかとかそういうところに一番惹かれます。出しちゃえー!って音は耳を塞ぎたくなります。

宮下:それが、オケにとっては非常に過酷な要求で、なかなか難しいことです。管楽器とかは特にそうで、自分たちが気持よくいい音で吹ける音量ってのはあるわけですが、それも許さない。

多田:シベリウスの悲しきワルツの超絶ピアニッシモなんてもう。

宮下:それはもの凄いトレーニングが必要ですし、その辺の妥協しない姿勢が生んだ音楽です。必ず成功するわけではないですからね。妥協してお客さんウケする形にもしないのでなおさらでした。

多田:今回はこの辺でという妥協点もなかったということですか?

宮下:そうです。この辺で手を打った方が聴き映えしてお客さんも喜ぶし、楽員も楽だしというところに行きませんでした。

多田:落とし所を探るような感じではないんですね。

宮下:絶対になかったですね。

多田:素晴らしい職人です。今は指揮者も次の仕事欲しいですから楽員から嫌われないように落とし所を探るような人が本当に多いです。もちろん大事なことだとも思いますが。でもそれだと、バーメルトさんの指揮で本当に上手くいったときのような演奏はできないですよね。

宮下:バーメルトさんで上手くいったときはちょっと想像を超えるような上質な音楽になりましたね。

多田:私は、書き手仲間の先輩方から「いいって言ってるの多田くんだけだよ」とかだいぶ言われました(笑)言い返していましたけど。今はリハーサルで根気強く自分の求める音を要求し続ける指揮者は、なかなか表舞台に出てこれなくなっています。楽な指揮者ばかり活躍しています。世界的にそうです。この点では日本のほうがマシなところが多分にあります。先ほど話題に出ましたスクロヴァチェフスキも最晩年は日本ばかりでした。彼も練習は細かくてしつこいです。インバルも今は日本と台湾ですし。

宮下:そうなんですよね。ヨーロッパ人ってそのへん、敬老精神っていいますか、あまりないですね。

多田:むしろ年齢で人を評価することに対する警戒心のほうが強いくらいです。年齢もそうですが、細かくてしつこい指揮者はヨーロッパからはもう出てこれないですね。

宮下:エリシュカさん、ポンマーさん、バーメルトさん、3人に共通するのもその点ですね。高齢になってからはヨーロッパではそんなに活躍する場はなかった方々です。

多田:日本でオーケストラの音楽を聴ける環境は、まだ相対的に幸福なところが間違いなくあります。札響のそのお三方もその例に漏れず、です。それを支えてこられた宮下さんに直接お話を伺いたかったので、今日は楽しいです。僕も「多田くん、インバルって日本だけでしょ」とか言われます。だからいいのに。「それいいことじゃないですか」って言っても首を傾げていますね。

宮下:80歳超えた指揮者で欧米でよく登場する指揮者って本当に限られていますね。

多田:ええ、みなさん日本に来ます(笑)ベルティーニとかもそうでした。彼はヨーロッパでも評価されていましたが。バーメルトさんに戻りますと、就任する前と後で印象が変わったことなどございますか?

宮下:最初は他の人がやりたがらない選曲をしたがる方なのかな?と思っていたのです。モーツァルトの時代の音楽でモーツァルト以外のものをたくさん録音してますし。

多田:レオポルドとか。

宮下:ええ、ドホナーニ、パリー、マルタン、コルンゴルドなんかもやってますが、レコード会社からの希望もあったみたいです。

多田:シャンドスの録音のラインナップはマニアックですね。

宮下:そのイメージで2016年に展覧会の絵をやりましょうっていったときに、ストコフスキー編曲版を提案したんです。

多田:ストコフスキーのアシスタントでもありましたしね。

宮下:そしたら彼から「ラヴェルのほうがいいだろ」というお返事で。ストコフスキー版を録音もしているのに。あれもレコード会社の要望だったようで編曲はラヴェル版を評価していらっしゃいましたね。

多田:バーメルトさんの音楽の弱音重視の静謐な筆致は明らかにラヴェルとの近さがあります。

宮下:バーメルトさんが最初に指揮者としてギャラをもらった仕事がストコフスキーのアメリカ交響楽団で、大変お世話にはなったみたいですね。

多田:バーメルトさんのもう一人の師匠はジョージ・セルですが、音楽的には圧倒的にセルに近いです。

宮下:彼がセルについて語るときはいつも尊敬の念がこもっていましたね。1969年にセルに呼ばれてクリーブランドに行くときの大西洋上の船の中で偶然ストコフスキーと一緒になったのだそうです。そのときバーメルトさんはあまり英語がお得意じゃなかったそうですが彼の奥さんがアメリカ人で、うまく間を取り持ってくれて、船は時間がたくさんありますからすごく色んな話をしたとかお聞きしましたね。

多田:なるほど。セルもちょっと聴き方によっては機械的で冷たいという印象を与える指揮者ですね。私はそこが好きなのですが。

宮下:バーメルトさんが言っていたのは、セルは練習で完璧に仕上げてしまうということでした。本番は?と訊くと本番は完璧とはいえないこともあったと言っていましたね。なのでスタジオ録音を聴くと冷たいと言っていいほどの完成度ですよね。

多田:ソニーのスタジオ録音はすごいですね。ライブではだいぶ暴れていたのが没後に日本でも分かるようになってきましたが。

宮下:ライブ録音とか聴くといわゆる爆演も多いですね(笑)

多田:火の玉です。亡くなる直前に大阪万博でついに来日してみたら煮えたぎっていて日本のお客さんびっくりという感じでしたね。バーメルトさんの任期中で宮下さんが特に印象に残っている曲は何になりますか?

宮下:あの人がよく言っていたのは「私は何かの専門家にはなりたくない」ってことなんです。

多田:ジェネラリストでいたいってことですね。

宮下:ええ、だから彼のオハコはこれだとか見られるのは嫌がっていました。そこら辺は彼の美学なんでしょうけども、、でも、ブルックナーがお好きでしたね。

多田:やはり。どう聴いてもそうですよね。演奏を聴いても想い入れが段違いです。あとモーツァルトもお好きだと踏んでいます。演奏会全体としてはやや不調なときでも、プログラムにモーツァルトがあると俄然音に気持ちが入ることが何度かありました。

宮下:間違いないです。かなり好きです。現代音楽の発掘も熱心ですしレパートリーの拡大にも多大な貢献をなさった方ですが、でも、ブルックナーとモーツァルトがお好きでした。

多田:人間ってそういうものですよね。本人の「こういう人と見られたい」っていう欲求とその人が内側で抱えているものってたいがいズレてるものですよね。ブルックナーといえば、こないだの1月定期の6番はちょっと想像を絶する出来でした。

宮下:あれはうまくいきましたね。

多田:アダージョはいままでに聴いた同曲の演奏の中で頭一つ抜けた感じがしました。初日に聴いて冷静に聴けなくて2日目も入れていただいたのですがやっぱりダメでした。

宮下:ああ、そうでしたか。ありがとうございます。彼自身も特別な想いで振っている感じでしたね。

多田:第2楽章のアダージョの2つ目の主題のあたりは異次元でした。あんな透明で見通し難い音であそこが鳴ったのは初めて聴きました。

宮下:2楽章はほんとうにそうでしたね。2楽章を振っているときの彼の顔が見たことのない表情でした。

多田:1楽章の最初のチェロとバスの主題も凄かったです。札響の低弦からあんな鋭敏な響きがしたのは今まで一度もなかったです。

宮下:勢いでいくところがまったくない。ああいうところはすごかったですよね。

多田:東京公演もバーメルトの凄さがやっと知れ渡った感がありました。信頼している友人たちが皆揃って感服していました。

宮下:あの日がバーメルト任期最後の演奏会ということもあり特別な雰囲気でした。楽員も必死に弾いていましたね。

多田:練習が厳しいと愚痴っている人も本音では尊敬していないとあの音楽にはならないですね。

宮下:楽員にダメを言い続けるタイプで、乗せ上手なタイプではないですね。

多田:褒めないのは楽員さんたちを大人として認めていて本当の意味でリスペクトしているからだと感じます。事務局にいると、色々な声もたくさん入ってくるのでしょうね。今はプロ野球の監督も褒めて乗せて力を発揮させる監督じゃないとうまくいかなくなっています。

宮下:学校の先生も、褒め上手じゃないと。どこもそうなっていますね。

多田:私は相当に疑問があります(笑)

宮下:指揮者もオーケストラにゴマをすることになってしまいますね。バーメルトさんは最後まで曲げなかったですね。

多田:そういうことができる人間になりたいです。札響が最後まで辛抱強く付き合い続けてくれたおかげで素晴らしい演奏を何度も聴くことができました。2021年9月のブルックナーの7番もよかったですね。

宮下:ああ、あれはコロナでバーメルトさんが1年半も来日できなかった後で、やっと演奏できたというのもあって感慨深い演奏になりました。オーケストラも全員その思いがありました。バーメルトさんはこの時の練習の後に珍しく興奮しながら「皆私のやり方を覚えていてくれた。札響は私のオーケストラだ!」と言ったのを思い出します。

多田:と、バーメルトさんのお仕事で印象深いものについてお話するとブルックナーになってしまうのは、やはりバーメルトさんの想い入れの違いはあるでしょうね。

バーメルトと札響の教育プログラムについて

多田:札響が特に大切にしていることで、バーメルトさんがそこに貢献されたことというとどんなことがございますか。

宮下:それは教育ですね。札響が北海道の全域に音楽を届けることを創立の使命として掲げていますが、それと何より教育です。バーメルトさんも教育プログラムにもの凄く熱心でした。

多田:具体的にどんな貢献がありましたか。

宮下:札響の代表的な教育の事業にはKitaraファースト・コンサートがあります。札幌市内の全小学6年生をKitaraに集めて札響の演奏を聴いていただくというコンサートです。

多田:どんなことを工夫されていますか。

宮下:そのときどきの音楽監督や指揮者の考えを反映させながらやっていますが、バーメルトさんは就任してそのコンサートの会議にまで出席されるくらい積極的でした。それまでは、楽器紹介だとか曲目解説的なものに力を入れていました。小学6年生の目線にこっちが降りてゆくということを重視していました。ですが、バーメルトさんの意見で、ここ(Kitara)に来たらたくさん音楽を聴いてほしいって考えに変わりました。ガラっと変わりました。学校の先生と相談しているとどうしても子供目線でとなりがちなのですが、バーメルトさんが「子どもは背伸びさせるものだ」と仰って小学生には難しいんじゃないかって曲も演奏してきました。

多田:そう聞くとやっぱりバーメルトさん好きですね。私も子どもの頃、子どもに合わせた〇〇鑑賞教室みたいのが大嫌いでした。プロがマックスの力を出した芸を披露したほうが絶対に何かを感じる子どもは出てくるはずです。地方だからとか、子どもだからとかで手加減するのは誰にとってもよい結果にならないと思います。どこであっても誰に対してでも人生を変えるような経験は本気の仕事からしか生まれません。

宮下:その辺は尾高さんとかも大人が真剣に仕事をしているのを見せる場所にしたいってずっと言っていたことでもあったんです。教育に関する札響の取り組みは真剣で誇れるところなんじゃないかと思っております。他のオーケストラと比べても札響は特に力を入れていると思います。バーメルトさんはバーゼル放送交響楽団の指揮者を務めていたときに放送局と共同で教育番組の収録とかにすごく熱心だったのだそうです。彼は若い頃から教育に対してのモチベーションが高かったみたいです。意外な一面と思われるかもしれません。

多田:それは札幌の一般のファンの方々には見えていないバーメルトさんの一面ですね。

おわりに、札響について

福祉施設での演奏(札幌交響楽団提供)

多田:最後に札響全体のことについても伺わせてください。宮下さんは大阪フィルから札響に移ってこられたわけですが、札幌で札響がこんなに愛され尊敬されていることについて最初どのような印象でしたか?

宮下:オーケストラってものに対しての見方が全然違って驚きました。札幌っていうか北海道では、企業回りをしてもすごく温かく歓迎していただけます。まったく違います。最初は不思議でした。札幌ではオーケストラっていうものが文化的な柱のような存在になっているところがあります。

多田:ありますね。札響の取り組みがその成果として表われたところがあるとすれば、それはどんなところだと思われますか?先ほどは教育についてもお話されましたが、他はいかがでしょうか。

宮下:学校だけでなく、コンサートを聴きたくてもいらっしゃれないような高齢者や障がい者の方の施設に訪問することも、ものすごく大事にしていますね。他のオーケストラと比べてもそうです。お金にならなくても小規模な施設も楽員たちがどんどん伺っています。北海道全域を周るのも札響の活動の柱です。

多田:今はJRも次々に廃線で高速バスも減便で移動などは本当に大変になってきているのではないでしょうか。

宮下:頭を悩ませています。ただ、北海道全体に音楽を届けるというのがこのオーケストラが創立したときの使命として掲げていたことなので、それは採算が厳しくなっても続けると思います。

多田:お客さんにもぜひその理解と援助をお願いしたいところですね。教育の他に、施設を訪問することと北海道全域に音楽を届けるということを、採算が難しくても決して疎かにしないというところが、愛されるようになった要因としてあるのではないかということですね。今日は本当に長い時間、ありがとうございました。実はまだまだお話したいことはございます(笑)ネタ帳も用意してありました。オーケストラ運営で事務局が果たしている役割についてなのですが、それはまた別の機会にじっくりお話できればと思います。札響のますますの繁栄を願いつつお話を終えさせていただきます。ありがとうございました。

宮下:こちらこそ、ありがとうございます。

(2024/4/4,札幌グランドホテルにて)

 

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