札幌劇場ジャーナル

言葉と文化(3)-のび太の夢

編集長コラム

 来年、東京オリンピックが来てしまう。オリンピックが東京で開催されるという事実はもう個人の好悪の問題ではない。「来てしまう」ということはもう覆せない。だとすれば、無意味な反対運動に身を投じるよりも、2020年のこのイベントを利用してこの国の文化の未来をどう描くかを考えるための機会にしたほうが賢明である。

 1964年の東京オリンピックは、インフラ整備に多いに貢献し、カラーテレビの普及は「テレビの時代」の下地を整えた。経済発展がもたらす明るい未来を約束するイベントたりえた。そうであるなら、2020年は、この旧くて温かい思い出を奪い取り、まったく新しい希望を世界に向けて発信するきっかけにすべきである。そんなことを考えながらテレビを観ていた。そうしたら、なんとも悲しくも予想を裏切らないニュースが入ってきた。2020年東京オリンピック開会式の総合プロデューサーに山崎貴が選ばれたというのである。

 山崎は言うまでもないが、2005年に、あの「Always 3丁目の夕日」を手がけた監督だ。この人選からは、2020年の五輪招致には、はじめから、1964年のそれを反復し、「よかった」あの頃の日本を取り戻したいという思惑があったことがはっきりと見て取れる。人間は過去の成功体験に囚われる。それは仕方がない。しかし、「あのころはよかった病」からはそろそろ足を洗うべきではないか。

 山崎の最近の仕事に映画「SATND BY MEドラえもん」がある。Always同様、あの素晴らしかった時代の夢を反復しようとする作風は実に山崎らしい。山崎は作品で、おそらくはアメリカを象徴していたであろうジャイアン的な「強さ」ではなく、のび太が持つ日本的な「優しさ」の価値を前面に打ち出した。そして、そののび太的「強さ」を武器にのび太は成長し、ドラえもんの助けが不要な大人になるという、成長物語を完結させて見せた。見事な仕事だ。しかし、その手腕が見事であるほどになぜか悲しくなる。それはなぜなのか。それは、おそらく、のび太が成長するという、いわば禁じ手を使うことによって、山崎は昭和的な成熟がもはやノスタルジーとしてしか成立しえないことを、逆説的にこの物語のなかで描いてしまったからではないか。

 藤子・F・不二雄自身は、ある時期から原作のなかでのび太の成長物語を描くことを意図的に放棄している。エピソード単位ではのび太の成長が仄めかされることはあっても、次の回には必ずリセットされていた。そこには藤子の強固な思想がある。それは、「いま現在」の常識で「ダメなひと」もテクノロジーの発展によって「普通のひと」になることができるはず、という想像力だ。のび太は、成長してドラえもんを必要としなくなるとき、その想像力を失う。同時にダメ小学生の夢も失われる。藤子は、想像力が切り拓く現実の「外部」への希望を捨てなかったのだ。だから、のび太は万年ダメ小学生のままである必要があったのだ。

 80年代、チェルノブイリの事故をきっかけにサブカルチャーにおいても、テクノロジーに対する疑義を呈してこそ繊細な知性、とでもいうような風潮が強まった。そんななかでも藤子だけは、テクノロジーが切り拓く明るい未来を語ることをやめなかった。もちろん藤子とて、90年代以降は長編や映画で環境破壊をもたらすテクノロジーの未来を描くようにはなっていった。しかし当時流行した「エコ」を取り入れたという点に藤子は踏みとどまったのだ。テクノロジーへの信頼、いや信仰は揺るがなかった。バブル崩壊とときを同じくして日本が下り坂に入っても、藤子は「のび太の夢」を失われた未来として語りつづけることをやめなかった。そうであるなら、山崎は踏みこんではいけない聖域を犯したことにならないか。

 山崎の思想は、一言でいえばノスタルジーである。成功体験よもう一度、という。しかし、この「STAND BY MEドラえもん」という作品には自家撞着がある。それは、かつての日本を取り戻そうとしているにもかかわらず、のび太はテクノロジーを必要としない「大人」に成長してしまうのだ。テクノロジーが明るい未来を切り開くことを誰もが信じていた時代に戻ろうとする作品で、テクノロジーが不要になる大人像を描いてしまっているのだ。ここに、もし山崎の「諦め」を看てとるならこの作品は何も語らない悲しい諦めの物語ということになる。しかし、山崎がもしこの「ねじれ」に気づいていないのであれば、山崎は自分がこの世界の外部の消失を暗に肯定しつつ、かつ「いま・ここ」に存在しないかつての日本というノスタルジーに思いを馳せるという決定的な自家撞着を犯していることになる。その意味でこの作品は二重に悲しい挫折の物語だということになるのではないか。

 1998年の長野五輪の開会式で演出を担当したのは劇団四季の浅利慶太だった。そのときはアメリカニズムのある種の結晶である「ミュージカル」を日本風に挿げ替るという、まるで日本風ハンバーガーのような仕事に終始した。それが、98年という戦後日本社会の「終わり」を描くに相応しい批評的演出だなどという皮肉な見方ももちろんできる。しかし、事実は劣化版ブロードウェイでしかなかった。山崎はどのような手腕を見せるか。まさか、STAND BY MEのように、のび太的優しさを前面に打ち出すのか。その昭和的優しさをもし本気で肯定しようとすると、行き着く先は、核の傘に守られているという事実から目を逸らし、9条があったから日本は平和だったのだなんて底の浅い嘘を振りかざすビジネス左翼の愚を繰り返すことになる。

 そもそも日本はオリンピックなどという国民統合装置に頼らなくても社会が立派に維持される段階にまでは成熟している。本質的には不要だということに誰もが気づいている。ソーシャルメディアの発達で、そのような、オリンピックに「乗れない」人々がマジョリティであるということはとうに可視化されている。そのような乗れない人々に対して、何か新しいアプローチを試みなくてはならない。まさか、日本人なんだから一緒に盛り上がろうぜ、という物語を語るだけでは役目を終えてしまった旧い祭りという印象を上塗りするだけだろう。

 その仕事は、新しいエアカーを見せること、と言い換えてもいい。なくしたものの数をかぞえる山崎にそのような仕事はできるだろうか。オルタナティブ・オリンピック思想、それは、あんなこといいな、できたらいいな、というダメ少年「のび太」の夢に本気で希望を抱かせるようなビジョンでなくてはならない。

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