札幌劇場ジャーナル

訪れなかった31回目の夏に -PMFの理念「平和」と「教育」のこれからに向けて-

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(※本記事は、北海道大学の2020年度全学教育科目「PMFの響き」において、本紙編集長の多田が講義を担当した回のノートを大幅に圧縮し、修正したものである。講義の実施責任者とコーディネーターの方、また受講してくれた学生の皆さん、その他の全ての関係者にこの場を借りてお礼申し上げる。)

(1)はじめに

 本記事を書いているのは、例年であれば忙しくキタラや芸術の森へ出かけている7月である。昨年30周年を迎えたPMFが、本年は中止となった。改めてここ数年の同音楽祭を振り返ると、PMFは様々な面で観客の誰の目にも明らかな問題を露呈するようになっていたように思われる。ただ、大きな組織というものは、いざ動いてしまうと、外からは自明のように見える問題点も内から変えることは意外と難しいものだ。だが、今年は止まった。もし来年31回目が訪れるなら、PMFという音楽祭のコンセプト、理念そのものをもう一度見直すきっかけにすべきだ。筆者はそう考えている。もちろん、問題点と言っても、音楽監督が本番直前に来日してやっつけ仕事をするとか、講師たちがまともに準備せずに演奏をしているとか、そんな瑣末な問題を論いたいわけではない。そうではなく、PMFの理念そのものを再考すべきときに来ているのではないか。このことを、この音楽祭を愛するすべての人に考えてほしい。これが本記事の目的である。

 PMFの理念とは、「平和」と「教育」である。そして、PMFはオーケストラに特化した音楽祭であるから、<オーケストラという文化が、いかにして「平和」と「教育」という理念の実現のための媒介となりうるか(なり得ないか)>。これが改めて問い直されるべきテーマであろう。まず、平和のほうから見て行こう。

 

 (2)オーケストラの歴史と戦争

 オーケストラというものは、そもそも社会(歴史)においてどのような役割を担ってきたか(期待されてきたのか)。ここに注目すると、オーケストラと「戦争」の接点が見えてくる。平和と言えば戦争、戦争と言えば平和。というわけで、あえて「戦争」という側面からオーケストラの歴史的(社会的)役割を考察してみよう。その上で、オーケストラに特化した音楽祭の理念がいかに「平和」であり得るのか考えよう。

 まず、PMFが主たるレパートリーとしている作品は概ね18世紀のハイドン以降の作品である。オーケストラに含まれる楽器や編成と作品(交響曲など)がちょうどこの時期に現在の私たちが知っている形態になったからだ。というわけで、18世紀中頃から見てゆこう。

 まず、18世紀のフランス革命前。この時期にオーケストラに期待された役割は一言で「王権の誇示」と言える。マッシヴな音響で、集団主義的で中央集権的な世界観を表現することがオーケストラに期待された。より豪奢な音響が必要だったわけだ。宮廷でそのような仕事を推進した作曲家を一人挙げるなら、フランソワ=ジョセフ・ゴセック(1734-1829)だろうか。彼は、式典のために、動員できる限りの金管や打楽器を加えた。しばしばそこに合唱も追加されたがこれはベートーヴェンに影響を与えた。革命初期には、マクシミリアン・ロペスピエール(1758-1794)が、神を否定し、人間理性を信じるように宣言する祭典を催した。最高存在の祭典、理性の祭典である。1794年に開催された祭典は、野外で視覚と聴覚に訴える仰々しいスペクタクル。それをオーケストラの大音響によって執拗に誇示した。

 革命後へ移ろう。フランス革命の後、市民社会の時代が到来した19世紀の初頭。この時期、社会がオーケストラに期待した役割は、「支配の象徴」だった。弦楽四重奏の静かな響きでは支配被支配の感情は高揚しないわけだ。ベートーヴェンの第九の終楽章にはトルコマーチが登場する。あそこには、オスマン帝国の軍楽隊の影響が響いている。オスマン帝国は支配地に必ず軍楽隊を送り込んでいた。そして、決まった時間に市中を練り歩き、喧しい音楽を鳴らした。それは支配の象徴だった。太鼓と金管を大量に投入した音楽を打ち鳴らすと、「ああ、もうあいつらには敵わない、、」と大人しくなるのだ。耳への暴力である。オスマン帝国の外交使節に伴われた軍楽隊は欧州を魅了した。テレマンなどにもその影響が刻みつけられている。19世紀に入っても、欧州の音楽にトルコ風の音楽が頻出するのはそのためだ。強靭な音響によって、支配の内部では一体感、外部へは恐怖による威圧、こうした機能がオーケストラに期待されたのだ。天皇陛下万歳!のような掛声は大きな声で唱和される。静かな声では一体感や、それと裏表である排除の感情は高揚しないからだ。ジーク・ジオンとかも同じである。さて、これ何か分かりますか。

 19世紀後半へ移ろう。この時期にオーケストラが担った役割はズバリ、「ナショナリズムの発揚」である。ワーグナーがその典型。19世紀は強力な資本主義化の流れが起きた。グローバル化だ。今のように。そこで、ワーグナーはその流れに逆らう「民族Volk」、特定の地域に根を下ろした文化や風習を題材にした。神話や伝説である。民族に支えられた土着的な文化をオーケストラで表現したのだ。ワーグナーの作品には、ゲルマン民族の土地と血のアイデンティティがはっきりと刻まれている。タンホイザーが上演された頃、まだ地上にドイツという国家は存在しなかった。普仏戦争は1871年。ワーグナーは現実のドイツに先行して理想の民族国家を音楽によって提唱したのだ。「民族再結集」の役割をオーケストラが担った。

 さらに、普仏戦争に負けたフランスもナショナリズムに目覚める。ワーグナーに対抗すべく、オーケストラを駆使したナショナリズムの発揚を目指したのがドビュッシー。彼は「前の戦争にはワーグナー、今度はR.シュトラウスしかいない。」という有名な言葉を残している。前の戦争は普仏戦争、今度のは第一次大戦。フランスには自分がいるではないか、というわけだ。18世紀から世界大戦へと流れ込んでゆく欧州において、オーケストラの歴史は常に戦争の歴史だった。

 20世紀は言うまでもないだろう。PMFの主要レパートリーであるショスタコーヴィチは戦争と粛清の恐怖をオーケストラによって描き続けた。ヒンデミットやプロコフィエフは、人間が国家総力戦の歯車になって非人間化した様子をオーケストラによって緻密に描写した。オーケストラという肥大化システムの歴史は、肥大化した国家総力戦への歴史であり、音響の強大化によって人間の小ささを忘却した歴史なのである。

 

(3)平和という理念

 オーケストラの歴史は戦争の歴史だった。いま、立ち止まって、PMFの理念である「平和」について考えてみよう。オーケストラに特化した音楽祭の理念がどのような意味で「平和」であり得るのか。戦争の歴史が刻みつけられているオーケストラ作品を演奏することでそれ(戦争)を反省するということだろうか。おそらく違うだろう。それでは、音楽を共に奏でて一体化することだろうか。たしかに皆で大音響に身を委ねると親密になりやすい。さらに共同生活を送るのだからなおさらだ。しかし、その一体感とは、すでに見てきたように、大音響で理性を麻痺させ、一体にならなかった者を排除する排除の論理の発動と一つである。天皇陛下万歳!と同じ論理が働いている。さて、それでは、いかに「平和」か。実はとてつもなく難しいのだ。

 実のところ、これはPMFだけの問題ではない。ダニエル・バレンボイムなど名だたる大音楽家たちが、音楽による平和をと訴えて音楽祭や後進の指導に尽力している。だが、オーケストラを媒介とすることで、具体的に、いかにして平和という理想を現実に形にしてゆくのか。答えることはできるだろうか。おそらくできないはずだ。ここには、理想とは、現実から切り離されている(具体的に現実化する道筋が断たれている)からこそ美しいのだという転倒した論理が働いている。プラグマティックに現実を変革する具体的な論理よりも、現実と切り離された理想を語ることは美しく尊いという倒錯、実現できない夢だからこそロマンティストでカッコイイという倒錯がある。

 

(4)理想と現実-戦後民主主義の病

 実はこの論理の背景には戦後民主主義の病が隠れている。アメリカの核の傘に隠れることで繁栄した戦後の日本において、戦後民主主義的な理想を語ること、すなわち現状の平和を肯定することは、核の傘に目を瞑ることである。この物質的豊かさを手放せない以上、現状での平和を肯定することは欺瞞に目を瞑ることにならざるをえない。要するに、戦後民主主義的なものを肯定する限り、理想(ここでは平和)とは、現実と完全に切り離されていなくてはならない、言い換えれば、現実を見ないことにしなければ成立しないのだ。具体的に現実に実現してゆく道筋を断ったところで成立する理想の平和。もしこれを肯定しようとするなら、そのための論拠はここに落ち着かざるをえないだろう。もちろん、PMFの理念にそのような歪んだ認識があるということを糾弾したいわけでは、まったくない。そうではなく、その歪んだ認識すら「ない」ままに、現実から切り離された理想を語ってしまっているという事実に、私たちは直截に目を向けなくてはならないということだ。「実現できないが、いや実現できないがゆえに成立する壮大なロマンティシズム」が「プラグマティックな社会変革」よりも尊いというのはかなり異常な事態だ。この論理が成り立つ世界では理想=ロマンティスズムを現実に形にしてゆく態度は退けられてしまうことを意味する。ロマンティシズムが現実と切断されているがゆえに価値を持つ、という論理は実のところ陰謀論のそれと同じある。かつ、陰謀論でしか理想を語れなくなるという事態は、いつの時代も社会の複雑化へのアレルギー反応として登場するものであろう。次にPMFのもう一つの理念である「教育」へ目を移そう。この転倒の根はさらに深くなる。

 

(5)教育という理念から眺めるクラシック音楽の「今」と「未来」

 「教育」とは、言うまでもなく、次の時代を担う人を育てることである。次にこの点からPMFの理念の現在について考えよう。次の時代であるから、クラシック音楽の「今」、そして「これから」を視野に入れなくてはならない。というわけで、現代音楽の状況から概観してみよう。現代音楽という言葉には「現在進行形」という意味と「近代の次のシステム」という2つの意味がある。この2つの線が交わる点にポイントを絞ろう。

 

(6)現代音楽の現在

 まず、作曲技法という点から現代音楽を俯瞰しよう。音楽の作曲技法というものは、基本的には20世紀半ばのトータル・セリーですでに尽き果てている。そのため、20世紀半ば以降、作曲は過去の技法のパッチワークへ進んだ。継ぎ接ぎである。こうして過去の作品にスポットライトが当たると、過去の作品の演奏にも注目が集まる。こうして、過去の作曲家が残した「演奏の大家」というものが生まれる。録音機器の発達が重なったことも大きい。巨匠指揮者、巨匠ピアニスト、現代のクラシック音楽を象徴するこうしたカルチャーとは、けっこう最近のトレンドなのだ。意外に感じる読者も多いことだろう。いま述べたトータル・セリーという技法はダルムシュタットで盛んに研究された。その代表者であるピエール・ブーレーズは後に大指揮者として活躍するようになった。ここからもこの流れがよく分かるだろう。

 そして、ここ(演奏の大家というトレンド)でもまた国家の威信をかけた競争が勃発する。フランス音楽を得意とするクリュイタンス、独語圏の音楽を担ったベーム。そして、国籍漂流のユダヤ人代表は、他ならないPMFの創始者バーンスタイン。彼は同じくユダヤ人のマーラーを得意とした。国家の威信、そして自らの拠り所を奪われた寂しさ、こうしたナショナリズムが、演奏の大家という現代音楽のトレンドにも刻みつけられてゆくことになる。さて、現代音楽の線が交差する地点まで追いかけてくると、ちょうとバーンスタインがPMFを創設した1990年頃に行き着いた。だが、ここから正視しなくてはならないことは、1990年当時のトレンドが、いまは決定的に変化を被っているという事実だ。昨年PMF1990年の創設から30年を迎えた。今も90年当時と同じスタイルで「教育」を理念として掲げることに再考すべき問題が見えてくる。

 まず、カリスマ巨匠指揮者がトップダウンで組織を統率するという、1990年当時リアルだったカルチャーは、今はもう終わろうとしている。コミュニティのあり方としても古くなってきたことも関係している。剛腕のリーダーがトップダウンで民衆を率いる時代ではない。今はボトムアップのコミュニティの可能性を模索する時代だ。オーケストラにもその変化の波は確実に及んでいる。さらにバーンスタインが亡くなるのと時を同じくして、社会主義が崩壊し冷戦も終結した。90年代以降は、国家=政治よりも経済=マーケットの時代になった。国家が法律を変えてもその国の中しか変わらないが、Googleが仕様変更すると世界が変わる。私たちが生きている世界にとって、徐々に国家=ナショナリズムはローカルなカルチャーに変わりつつある。

 バーンスタインがPMFを創設した1990年当時の「未来」と今の私たちが望む「未来」は、もう決定的に違うものになっている。だが、PMFは創設当時と同じように、オーケストラに特化した音楽祭、カリスマ巨匠指揮者の招聘という2点を継続している。これから時代を担う人を育てる「教育」を理念とする音楽祭が、激変した30年前のカルチャーに依拠し続けて果たしてよいものだろうか。教育を大切にするのであれば、それぞれの時代で次代を担うことになるであろう分野を、適切に、かつ牽引的に示しつつ、柔軟に変化しなければならないはずだ。

 

(7)「平和」と「教育」という2つの視点の総合から

 バーンスタインがPMFを創設した1990年当時は、本稿で順に見てきた「ナショナリズムの発揚」と「演奏の大家という現代音楽のトレンド」が頂点に達した時期だった。もう少し正確に言えば、「終わりの始まり」の時期だった。いま世界をリードしているのは国家ではなくGAFAなどの情報産業のプレイヤーだ。さらに、カリスマ巨匠指揮者というカルチャーも終わりを告げようとしている。だが、PMFはバーンスタインが同音楽祭を創設した当時と同じように、オーケストラに特化した音楽祭、カリスマ巨匠指揮者の招聘という2点を継続している。もちろん、もう時代にそぐわなくなっていたとしても、そのことに自覚的に、あえて何らかのコンセプトを持ってこの分野(オーケストラと巨匠指揮者への特化)の将来に貢献するという立場はもちろんありだ。だがその場合、その「コンセプト」が非常に重要となる。だがPMFに今それがあるようにはまったく見えない。教育とは次の時代を担う人を育てる分野だ。これからゆるやかに壊死する分野に特化し、しかも平和と教育という二重の観点で現実を捉え損なっているPMFはこれからどこへ向かうのか。

 加えて言えば、現実を捉え損なっている今のPMFは、現実から切り離されていることによって、かえって大義が担保されるという歪んだ構図を呈してしまっている。現実から切り離されてしまっていることによって、具体的にどのような点を修正すべきなのかという指摘が内部からも外部からもそもそも発生しようがないという構図を生んでしまっているのだ。先にこの点の陰謀論との構造的類似について述べておいた。陰謀論とはそれが陰謀論であるがゆえに反証不可能なものである。それと同じ論理構造を呈してしまっているのだ。理想が現実から乖離することによって、平和と教育という2つの理念双方が、一切の検証を免れ、結果的に、発泡スチロールの大義が保たれてしまっているのではないか。ややこしい表現になったのでもう一度言おう。理想が現実から乖離することによって逆に大義が担保されているという陰謀論的な欺瞞。これを抱え、それに無自覚なままPMFはこれからどこへ向かうのか。現代社会において陰謀論とは概ね社会が不透明になると跋扈するものだ。現実は複雑で見通し難い。その不安から目を背けて、分かりやすく実質を欠いた(考えないための)理想に逃げ込みたくなるからだ(例えば「すべてを超えて」のように)。創設以来、初めて開催中止になった今、この点を誤魔化さずに直視すべきではないか。現実が見通し難いものであっても、その不安から逃げずに、具体的に、一歩一歩、プラグマティックに理想を現実化する態度、そして何より、それに相応しい理想を新たに形づくる想像力と勇気、これらが求められる。現代音楽を重視する武生、より多様性のある霧島など、国内においても参考にすべき音楽祭は多い。他ならない札幌の地で開催されている音楽祭である。札幌に住んでいる私たち一人一人が、こうした原理的な次元から、この音楽祭の将来へ向けた厳しくも温かい言葉を紡ぎ続けることが、PMFを本当の意味で愛することになるのではないか。これが、本紙がPMFを愛するすべての人に伝えたい精一杯のメッセージである。PMF31回目の夏が訪れるかどうか、まだ分からない。もし実現するなら、ぜひ見せてほしい。オルタナティヴPMFPMF2.0を。

2020726日 札幌にて

  (多田圭介)

 

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